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【講演録】台湾の「日本精神」から見た日台関係 

戎 義俊(台北駐福岡経済文化弁事処処長)



熊本ロータリークラブ「週報No.48 6月13日分」より
 http://kumamotorc.otemo-yan.net/e852532.html

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戎義俊(えびす・よしとし)1953年生まれ。76年、輔仁大学日本語科卒業。85年、慶応義塾大学修士課程修了。2013年3月31日から台北駐福岡経済文化弁事処処長。

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一、日本と台湾の結びつき

 半世紀にわたった台湾の日本統治時代。「蓬莱(ほうらい)の島」、そして「美麗島(びれいとう)」と呼ばれた台湾で日本人と台湾人がともに過ごした日々の歴史遺産は今も人々に親しまれ、台湾に息づいています。

 日本と台湾、その結び付きが大変強いことは言うまでもありません。日本から台湾へ向かう渡航者は年間140万人を超え、台湾から日本を訪れる渡航者は2013年度の実績で230万を数えます。台湾の人口が2,300万人余りである事を考えれば、その数の多さが分かるでしょう。往来の多さだけでなく、心と心の結び付きが強いともよく言われます。東日本大震災の時に巨額の義援金が台湾から送られたことや、インターネットを通じての被災地応援のメッセージなど、日台の結び付きは想像を超えるものがあると言っていいと思います。

二、「日本精神」は台湾では固有名詞として定着している

 最近、台湾で『KANO』という映画が大ヒットしています。KANOこと嘉農は正式名称を嘉義農林学校といい、1931年、台湾代表として甲子園に初出場、準優勝を果たした野球部のことです。映画は史実を基につくられており、日本人、本島人(台湾人)、そして原住民からなるチームを一つにまとめ上げ、当初は弱小だったチームを生まれ変わらせた指導者・近藤兵太郎監督の立派な人物像が描かれています。近藤監督役を演じているのは、日本の俳優・永瀬正敏さんです。

  『KANO』を通して、日本の教育は素晴らしかったという事が分かりました。「日本の植民地時代を美化しすぎている」という批判もありましたが、台湾が中国に呑み込まれようとしている現在、台湾人が顧みるべきは、この映画で描かれているような「日本精神」であります。この「日本精神」に触れる事を通して、台湾人は中華思想の呪縛から改めて脱し、「公」と「私」を区別する武士道的な倫理に基づいた民主社会を確立しなければなりません。「台湾人も日本人もこの映画を見るべきだ」と思い、私からおすすめさせていただきます。

 「日本精神」とは台湾人が好んで用いる言葉で「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神をさす言葉です。日本統治時代に台湾人が学び、ある意味、台湾で純粋培養された精神として、台湾人が自らの誇りとしたものであります。「日本精神」すなわち大和魂は「●命(ビヤミア)」「全力を尽くして事に当たる」「命を懸けて行動する」ことの象徴です。「●」は台湾語で「全力を尽くす」の意味で、「打●」というと「倦(う)まずたゆまず頑張る」すなわち「勤勉」に通じる言葉であります。
(●=手偏に弁)

 日本の近代教育を受けた台湾人が戦後、目にしたものは中国文化ですが、この時、台湾人は「日本精神」の優位性を見出(みいだ)したのです。そして自ら選んで「大和魂」で精神武装し、内外の厳しい環境を生きようとしているのです。彼らの「大和魂」はひとつの生活の知恵であり、台湾人の魂として生き続ける新たな精神文化なのであります。

 教育によって台湾に浸透した「日本精神」があったからこそ、台湾は中国文化に呑み込まれず、戦後の近代社会を確立できたと考えられます。私の母は、昔の日本人の先生は、この日本精神で接してくれたと言いました。だから私たちも多少なりともその日本精神というものに染まっているのです。

三、「日本精神」を体現した人物

 台湾の農業改革で大きな貢献をした水利技術者の八田与一のことを台湾で知らない人はいません。八田先生は干ばつが頻発していた台湾南部の嘉南平野を徹底的に調査し、灌漑設備が不足していることを指摘して、当時としては世界最大規模である「烏山頭ダム」の建設事業を指揮しました。

 その後、フィリピンでの灌漑調査のために乗った船が米潜水艦に撃沈されて八田先生は亡くなりましたが、遺骨は台湾に戻り、烏山頭ダムのほとりに眠っています。ダムのほとりの八田先生の銅像とお墓は今では国が整備した公園となって、国民から親しまれています。

 日本は1895年4月に台湾総督府を開庁し、そのわずか3ヶ月後の7月に、「教育こそ最優先すべきである」として台北郊外の芝山巖というところに最初の国語学校(日本語学校)「芝山巖学堂」を開校しました。現在では芝山巖は台湾教育発祥の地とされ、「六氏先生」の慰霊碑が建立されています。

 「六氏先生」というのは、匪族に襲われて殺された6人の日本人教師のことです。危ないことが分かりながらも決して逃げる事のなかった教師たちの責任感と勇気は、教育者としての模範と受け止められ、多くの人から敬(うやま)われました。戦前の日本人は勇気と責任感を持ち、「六氏先生」はその象徴的存在でありました。この「勇気と責任感」こそ、日本人が台湾で尊敬された最大の理由であると私は思っています。

 「日本精神」というものを究極にするのならば「勇気と責任感」に集約されるのではないかと常々思うのです。教育に命をかけた「六氏先生」の話は台湾ではよく知られ、慰霊碑には今も献花が絶えません。

 「八田与一先生」「六氏先生」、他にも台湾のために自らを犠牲にした方々が大勢おられます。
彼らに共通するのは「日本精神」を体現した人物であるということです。

 これから、日本にも台湾にも、この「日本精神」が脈々と継承され、そしてお互いにますます輝いてもらいたいと祈願します。

四、昔の日本人は素晴らしかった

(一)研究熱心

 日本人がすごいところは、何かを研究する時にとことんやることです。何かを真似する時には、日本人はそれを自分のものにして、更に改良を加えてまた別のものを作ってしまいます。しかし、台湾人は見た目だけしか真似できません。外観だけ真似をして、あとは出来るだけ手抜きをするのです。

 日本人は違います。これはいいと思ったら、グループで一生懸命研究して、その原理を求めて、自分でまたそれに基づいて研究を進めて、更に別のものを作るのです。そこのところが私は立派だと思います。

 それから、日本人はお金と時間をかけてでも新しいものにチャレンジします。そして、もう一つ私が立派だと思うことは、日本人はチャレンジしたものを公にして皆で研究します。昔の日本人は、緊急時には皆で力を合わせて、一つのものを四つに分けて、みんなで頂いたものです。自分だけがいっぱい得られればよい、自分だけが大きくなりたい、餓死したくない、という人は少なかったのです。台湾人も苦労してでも、一口のものを半口に減らしてでも人にあげます。

(二)けじめを重んじる

 それから、日本人は「けじめ」を重んじます。「はい」といった事は最後まで全うします。日本人は、必ず約束を守ります。そういうふうに私たちは日本人を見てきたのです。

(三)素朴な宗教心がある

 昔の日本人が素晴らしかったのは、前の代の教え方が良かったからではないかと思います。つまり、当時の日本人にも更に昔の日本人にも、いわゆる儒教の精神が生きていました。特定の宗教というより、生かされていることをお天道(てんとう)様に感謝し、お天道様に恥じないように生きようという素朴な宗教心があったからこそ、昔の日本人は素晴らしかったのだと思います。

五、今日における日本の若者の問題点

(一)今の日本の問題点は、平和すぎて将来に対する夢がないことなど色々ありますが、一番の問題点は、日本人には、生かされていることに感謝するという素朴な宗教心がないことではないでしょうか。だから自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのかが分からないのではないでしょうか。

(二)今の日本の青年は裕福すぎて考えが甘くなっているのではないかと思います。今の日本の若者は感謝を知りません。喜びを知りません。今、自分がこんなに幸せな国家に住んでいるのにそれを当たり前と思ってしまい、幸せを幸せと思えないのです。正にこれこそが不幸なことではないでしょうか。単一国家でやってきた日本人に生まれたことを、日本の方々は心から感謝しなければならないと思います。

この世界には、国を二つにされた経験を持つ国家というものがほとんどですけれど、日本だけが二つにされていないのです。戦国時代といった内乱はありましたが、外国から二つにされた経験はないのです。例えば、中国は八つに分かれていました。ドイツは東西、朝鮮は南北、ベトナムも南北です。私たち台湾人にいたっては、一時、国籍のない人間という立場に立たされていたのです。
ですから、皆さんは日本人であることに感謝し日本という国を大切にして欲しいと心から願います。

六、台湾と日本、二つとも立派になってほしい

いつも日本の地図を見ていてつくづく思うことがあります。自然の神様は国の形でその国の生き方を教えているのではないかと。ある時にふと地図を逆(さか)さにして見ると、日本が龍に見える、そして台湾はまるで龍を踊らせている火の玉のようだと思いました。この時、この日本という龍について行けば東洋は立派になるんだなと思いました。台湾と日本は同じ火山脈(かざんみゃく)でつながれていて、切っても切れない強い強いつながりがあるのです。

 日本がしっかりしなければ、東洋には平和は来ないと私はずっと信じています。日本の経済がよくならないと、世界の少なくともこの東洋の経済は良くなりません。日本という国が強く立派になったら、台湾も立派になります。日本の経済が立ったら台湾の経済も良くなります。そして台湾が良くなったら日本も更に伸びます。

 日本と台湾、二つとも立派になって欲しい―これが私の心からの願いです。日本の皆さんが本当に自信を取り戻して、日本のために努力をして欲しいと思います。もちろん台湾も努力を続け、お天道様から見られても恥ずかしくないように立派な国を作っていきたいと思っています。日本と台湾、これからもお互いに切磋琢磨してまいりましょう。

◆台湾の近代化のインフラ整備のため犠牲になった6名の日本人

 今から100年少し前、日本統治時代と呼ばれる1895年からの50年間、かなりの日本人がフォルモサ・麗しき島と呼ばれていた台湾に渡りました。

 1898年、第4代総督児玉源太郎の民政長官として赴任した後藤新平が台湾で行った近代化政策は、「生物学の原則に従う」ものでした。元来医者であった後藤は、新領土の社会を一つの生命体として捉え、生き生きとした生命力を引き出す進め方を選択しました。台湾の社会風俗などの調査を行い、その結果をもとに政策を立案していきました。

 その具体策として後藤は、台湾の人々の暮らしを豊かにする産業を興すと同時に、港湾、鉄道、道路、上下水道など基本的なインフラの整備に総力を結集しました。そのために内地から各分野で最も優れた人材が呼ばれました。

                 (「台湾の礎を築いた日本人たち・緒方英樹著」より抜粋)//