権柄晴れて…
自制心のない者に 自由はない
ピタゴラス
同じ米穀なれども
謗法の者をやしなうは仏種を断つ
命をついで弥弥強盛の敵人となる、
又命をたすけて終に法華経を引き入れるべき故か
(高橋殿御返事 日蓮)
所以は経に出でたり、
人の語を信ずること勿れ
(釈迦一代五時継図 日蓮)
異解して説く者を皆名付けて
謗と為すなり
(立正安国論 日蓮)
M. ・スコット・ ペック氏はその著名な名書「平気で嘘をつく人たち」(森英明 訳・草思社文庫)の中で、自身を省察すること無く・全てを他に責任転嫁して憎悪の対象を作り上げ、自身の罪悪感や不安感を投影させて対象を殲滅せんと試みる人々の弱さ・現実逃避が生む危険性に触れ、それを敢えて邪悪と定義なさった。
また科学技術にも言及なさり、近代科学は真理の探究という目的から乖離し、資金援助を受け、大国政府や大企業の飽くなき利益追求という管理計画に合目的的であるよう特化された技術を生み出す為の、単なる狂気のツールと化していると指摘なさり、自制心や道徳心無き研究の危険性を示唆された。
亀毛兎角と揶揄されてしまう様な軍事技術を駆使して詭計を弄するジンゴイスト達。買弁的な国民と共謀して好戦的士気を激成した先に据えているのは利益、つまりカネだ。美辞麗句は一部の経済的覇権の恩恵を蒙る者たちの存在を韜晦するための虚飾に過ぎない。
この、あまりに単純に過ぎて看過してしまいがちな事実に立脚し、大局に立って個々の事象を把握しなければ、只のモグラ叩きに終始してしまう。
狂瀾の呈に翻弄されず、凛然たる態度で現実に向き合わなければ、果然として火を救うに薪を投ずことになるのではないかと思う。
〈労働部隊〉
1
街は猛烈に暑くなってゆく
大きな草のように萎びてはいないが、
太陽の光は激しく照り返す
後ろから前へ、壁から壁へ、
そして、
私たちを虐待して有頂天になっている
D.H.ロレンス全詩集完全版
青木晴男 他訳
彩流社 より
私は名主や武家の家系の方々とのご縁が深い。以前お世話になったある企業の同部所の先輩もその一人だ。非常に可愛がって下さったその女性の先祖は今の錦糸町界隈の名主だったそうだ。
名主は当時、地域の役場の役割を果たしていたのだが、歴史を無視した戦勝国アメリカの一存による「農地開放」により一夜にして全てを失った。先輩のお爺様も、政府のお触れに従い土地の全返納に応じた翌朝には何処の者かも知れぬ人々が輻湊し、勝手気ままに土地にロープを巡らせ、それがそのまま彼らの所有となったそうだ。この不自然な手際の良さ。
一夜にして土地を追われた一家は止む無く東京を離れ、粒々辛苦の挙句に慣れない漁師となったという。その後、の彼の地の発展の仕方を鑑みても、農地開放政策が単なる民衆受けを狙っただけの蛮挙だと言い切れないと気付く方は少なくないだろう。
後難を畏れず、意に沿わねば同胞までも臆せず追い込む狂気の所業は、実は自身の内なる悔悟や道徳心を強制的に隠蔽する為の際限なき逃避なのかもしれない。側杖を食う側にすれば甚だ迷惑だが、しつこく纏わり付きゲームに巻き込みたいのは彼等の方であって、参加する義務は今のところは誰にも無い。私たちは、そんなゲームに参加しないのだと決断しなければ、相手の心の境涯に容易く引きずり込まれてしまう。
私たち解同や創価の被害者は確かに特殊だが、広く世の中を見渡せば決して「特別な」存在ではない。
大病で日々死と向きあいながら大苦に耐える人々・テロや戦争の被害に苦しむ方々や、さらに酷烈な拷問に耐えている方々もいらっしゃる。その程度に差を付けて比較するような愚考は避けるが、彼等と自分と、その苦痛にどれ程の違いがあるだろうか。
目の前の現実を有りの儘に認識し、自身を客観視しつつ対処する。困難は何時でも誰にでも起こりくる。ならば、自分はどうするか。
こんな天気の良い日に、何の心配もせずに窓を開けて風を感じる。太陽の光を・月の雫を、臆する事無く全身に感じる。そんな事が普通に出来ていた頃の生活を取り戻せた時のために。
今自分に出来ることを大切に。
自分が大切に思うどんな細やかなことも、自分からは捨てないで。
きっと、大丈夫。
ただ世間の難来たるともとりあへ給ふべからず。
賢人・聖人も此の事はのがれず、~
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合わせて南無妙法蓮華経と・うちとなへゐさせ給へ
これあに自受法楽にあらずや。
(四条金吾殿御返事 日蓮)
しばらくの苦こそ候とも
つひには・楽しかるべし
(上野殿御返事 日蓮)
絶えず努力する者は救われる
ゲーテ
勇気とは恐怖心に対抗することである
トウェイン
大忍辱の力を以って弘通するを
娑婆世界と云うなり、
忍辱とは寂光土なり、
此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり、
娑婆とは堪忍世界と云うなり
(御義下 日興)
それはできる
それをやる、と決断せよ
それからその方法論を見つけるのだ
リンカーン
十界の生命とは、地獄・餓鬼・畜生・・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という十種の生命です。分かり易く言えば私たちの心や感情の働きなのですが、それが絶えず湧現したり隠れたりしています。
これを大まかに説明すると、
地獄…怒りや憎しみなどの苦悩の感情
餓鬼…満足を知らない貪りの心
畜生…目先にとらわれた愚かな心や、弱者を侮り強者に媚びる心
修羅…心が邪曲し、正しいことでも注意されると直ぐにカッとなる傲慢の心
人界…平かで穏やかな心
天界…目標を成し遂げた時の喜び
声聞…難解な理論などを理解できた時の喜び
縁覚…芸術家などが味わう三昧の境地
菩薩…我を忘れて他を利する、他人を思い遣る心・菩薩心
仏界…永遠の生命を覚知して、絶対的な幸福感に立脚した境地
と、このように思って頂いてよろしいです。
人は誰でも幸福でありたいと願うが、その幸福とは何かと聞けば、それは人それぞれで確定的なものはないのです。一般敵には生きる喜びを得ることとか(中略)自身の心を満足させる何かがあれば幸福感に浸ることが出来るのですが、しかしこれらの幸福感は一時の喜びでしかなく、永続的なものではないですね。(中略)
そんな一瞬のうちに消えてゆく、幸福感をもってして、それで本当の幸せと言えるだろうか。蔵の財や身の財は、刹那の喜びとはなり得ても、絶対に永遠の財とはなり得ないと断言したい。
本当の幸せとは、永遠にそして絶対に崩れることのないもの。この境地を、仏は成仏と説かれたのであろうと私は思っているのです。
(中略)
十界の生命は、その時その時の縁に触れて現れてきますね。
縁する相手によって様々な生命に変化、或いは涌き起こってきているのです。
仏の精神的もこれと同じで、仏に縁しなければ湧いてこないのです。
Mr.Mount-hat氏のおたよりから
道を信ずるは恰も大船に乗るが如し
岡崎 文吉
南無妙法蓮華経