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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)7月10日(木曜日)
     通巻第4290号 
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 徐才厚失脚がもたらした中国軍高層部の激震
  連座で八人の大幹部も「延焼」失脚、つぎは郭伯雄(前軍事委副主任)か
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 徐才厚(前軍事委副主任。つまり中国軍のナンバー2)が失脚したのは6月30日だった。党籍剥奪だから、完全に失脚である。
それまで北京の病院に入院し、末期ガン。「死老虎」といわれ、これ以上の追求はないと言われてきたので小誌もそういう憶測を書いた。その「死にかけ老人」を逮捕し、獄舎に収監したのだ。

軍高層部に激震が走る。延焼が燃え広がった、次から次へ。
四大総部、七大軍区は一斉に習近平に忠誠を誓うとし、累が及ぶのを避けた。昨年来、軍は大好きな宴会も自粛し、マオタイ酒を飲まなくなり、酒造メーカーの株価は暴落、あまった酒は中国国内でも売れ残り、世界市場へ。いま世界の空港免税店には山とマオタイ酒が積まれてダンピングの最中だ。

 徐失脚によって連座失脚はとりあえず八人。
 第二砲兵(戦略ミサイル軍)副政治委員だった干大清少将。遼寧出身で徐と親密な関係にあり、08年少将、ことし中将に出世の予定だった。
 くわえて「解放軍報社」前社長の黄国柱が失脚した模様(多維新聞、7月8日)

四川省軍区前政治委員の叶万勇は西南方面に勤務時代、徐才厚に巨額の賄賂を贈ってポストを買った嫌疑。
済南軍区政治部主任だった張貢献は叶万勇が四川省軍区時代に昵懇となり、収賄などに手を染めた。張は徐の秘書を務めていた。

徐才厚失脚事件と直接関連はしないが、前の谷俊山・中将の汚職逮捕に連座して取り調べをうけたのは湖北省軍区副司令の羊伝杢少将。

ほかに方文平(前山西省軍区司令)、府林国(総後勤部副参謀)らの名前があがり、これらの退役少将以外にも多くの軍幹部が現在取り調べを受けている。

このため疑心暗鬼が軍内を支配し、次は我が身かと戦々恐々の空気が人民解放軍高層部を蔽っている。しかし軍隊の腐敗は八路軍時代から中国の伝統であり、驚くことは何もないが、目を見張るのは、そのごまかしたカネが天文学的だということである。

蛇足ながら、失脚した軍人らの勇ましい名前よ! 国柱、万勇、貢献、大清。勇ましき名前の少将らは、名前負けしたんでしょうかね。

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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1097回】                    
 ――「車台はつねに黄土の煙幕に包まれる」(野上16)
    「延安紀行」(野上弥生子 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

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野上は自ら望んでの旅行であると記すが、どう読んでも「延安紀行」は終始一貫して招待者側に意図のままに綴られているとしかいいようはない。

いわく「日本軍の包囲と、?介石の封鎖に対抗するための生産自給運動を」、毛沢東は「身を持って実践した」。「毛沢東が鋤をふるい、肥料をかつぎ、草取りにいそしむ姿は、八路軍の大学生らになによりの刺激になった」。毛沢東は「暇を見つけては百姓たちをたずね、彼らはまた餅粟やじゃが薯を手土産にして、彼の洞窟へ出掛けた」と。

だが『延安 日常生活中的歴史 1937-1947』(朱鴻召 広西師範大学出版社 2007年)に拠れば、毛沢東は当時から昼夜逆転した生活を送っていたとのこと。ならば毛沢東は夜中に「鋤をふるい、肥料をかつぎ、草取りにいそし」んでいたことになる。毛沢東は夜中に「暇を見つけては百姓たちをたずね」、百姓たちもまた夜中に「餅粟やじゃが薯を手土産にして、彼の洞窟へ出掛けた」というわけだから、さぞや百姓たちは眠かったことだろう。

一時、延安で流行ったダンスについて、野上は「単なるリクリエーションにはとどまらない。抱いて手を執り、うち連れてともに踊ることが、心の共同の繋がりと睦みあいを深めさせなかったとはいえない」とし、続いて「そのころの延安の人口は男十六人に女一人の割りあいで、ダンスでもたいていは男同士で踊ったという」と記す。

男女比が16対1で、しかも四六時中の集団生活。革命という“大義”を掲げようが、やはり男女の仲というもの。“恋のさや当て”から刃傷沙汰が起きてしかるべきだろう。

延安にダンスを持ち込んだアグネス・スメドレーは、16分の1の女性のなかで唯一口紅を差していた呉光偉を秘書兼通訳として使っていた。どうやら毛沢東は「抱いて手を執り、うち連れてともに踊る」うちに、呉に「心の共同の繋がりと睦みあいを」求めたようだ。

ある時、毛沢東夫人の賀子貞がスメドレーの住まいを訪ねたところ、そこで「心の共同の繋がりと睦みあいを」認め合う毛と呉の両人を目にしてしまった。その後は、もはやいうまでもない。「革命の領袖」であろうが、犬も喰わない夫婦喧嘩に違いはない。

 一件を知った朱徳夫人の健克清を筆頭とする革命幹部婦人連中は、もちろん賀子貞の肩を持つ。他人の夫を家に誘い込み2人きりで、しかも長い時間を過ごすとは不届き千万。男女が夜な夜な群集いダンスに打ち興じ、互いに睦み合う姿などは「公序良俗に反し社会の風紀を乱すブルジョワ階級の腐敗堕落した生活方式」と大反対の声を挙げる。

 かくて37年7月には呉が、8月に賀が、9月にスメドレーが延安を離れた。そして10月、革命幹部養成のための抗日軍政大学で第六隊隊長を務めた26歳の青年が恋愛のもつれから16歳の女子学生を射殺する事件が発生した。もちろん革命法廷が下した判決は死刑だ。

 42年になると毛沢東は王明を筆頭とするソ連留学組を狙い撃ちし、党全権を掌握するための整風運動を展開することになるが、『野百合の花』を著し、“革命聖地”における幹部連中の革命とは程遠い生活ぶりを批判・告発した王実味もまた整風運動の渦中でトロツキストと糾弾され断罪されてしまった。

「あの壮大な叙事詩的長征と言い、またこの渓谷に営まれた模型的な国づくりといい、なお且つすべての仲間が石の洞窟に軒をならべて困苦を分かちあい、勇気づけあい、労りあった当時の友情、愛、団結をみじんも乱さないで今日に及んでいる中共の生成過程は、世界の革命の歴史に曾つてない珍らかな美しいものだと私は信じたい」と“感動的”に謳いあげる。信じようが信じまいが、それは野上の勝手だ。だが「中共の生成過程」が「珍らか」ではあったとしても、決して「美しいもの」でなかったことは事実が伝えてくれる。

やはり“戦後民主主義の良心”とやらの野上も共産党の宣伝要員・・・でしたネ。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)習近平の盧溝橋への言及は、裏で第二次上海事変を隠蔽する意図が見えます。日本の反日派も同じです。
いわゆる日中戦争の発端は、盧溝橋などではなく、ドイツの軍事顧問ファルケンハウゼンのけしかけに乗って周到な準備と兵力、兵器を準備して、海軍陸戦隊しかいない日本軍に総攻撃を仕掛けた国民党軍が起こした第二次上海事変が真の発火点です。日本軍と国民党軍の兵力差を見ただけで、日中戦争は、どちらが欲し、どちらが仕掛けたか子供でも分かります。
盧溝橋などが発火点ではないことを、日本人は認識すべきです。
なお三国同盟の盟邦であるべき日本に戦争を仕掛けさせたドイツ人の行為を見ても、ドイツは信用できません。
 (杉並の噛みつき亀)



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(読者の声2)ドイツの国民性についてはいろいろな意見があります。日本人は第二次大戦の同盟国の好印象の記憶があることと、破れたりとは言え強大で勇敢な独軍へのあこがれがあるのかもしれません。しかし実際にドイツ人に接触すると特に親日でもないので失望するという事でしょうか。
靖国神社で文句を言う無知なドイツ人は東ドイツの反日共産主義者なのかもしれません。あるいはドイツが謝り続けているので屈服しない日本人を嫉んでいるのかもしれません。ただドイツのメルケルはオバマをドイツの靖国神社にあたる英霊慰霊堂に案内し、一緒に参拝しています。演奏された音楽は日本の♪海ゆかば♪にあたる戦前の軍歌♪旧友(アルトカメラーデン)♪です。キリスト教だから良いのでしょうか。
基本的には国際関係は地政学によるので、敵の敵は味方の原則からソ連・ロシアを共通の敵とすると、日本と独は国家として友好的になる可能性を持っています。
ただしドイツ人は第二次大戦の敗者なので、表と裏の使い分けが複雑なように思います。
また核自衛していない弱みがあり、注意深く国際政策をすすめています。ロシアはドイツの地政学的な敵国ですが友好に務めています。ロシアは常に東西挟撃を恐れているので、ドイツは日本との友好は強調したくないのかもしれない。中共がドイツとの友好に努めるのは米英との白人分断でしょうか。あるいはロシアという共通の敵があるので戦略的な味方にしようとしているのかもしれません。
経済では、日本と独は共に過剰人口を抱えた輸出依存国です。だから国際市場で競合する競争相手です。
第一次大戦では戦後十年でドイツ単独悪者論からドッチモドッチになったそうです。しかし第二次大戦ではソ連が大犯罪国家と分かった今もドイツは悪者です。
私が以前ルフトハンザ航空の機内で、暇なスチュワーデスにドイツの近代史について感想を聞いたところ、少し考えて「言えません」と答えたのが印象的でした。
私にはドイツは国民全体が本音を隠しているように思います。腹の中は、♪世界に冠たるドイツ♪ ではないか。それを欧米は知っているのではないか。
なお京都大学名誉教授 後藤敏雄先生によると、戦後ウクライナの捕虜囚所で会ったドイツ軍捕虜は、みなスターリングラード戦のときに日本がチョコット手伝ってくれたら勝てたのに、と述べたそうです。もっともスターリンはそれを読んですでに1937年に支那事変を起こしていたのですが。
敗戦時ドイツのUボートが日本に向かいましたが、途中で本国が降服しました。このため乗っていた日本人技術者が服毒自殺した事績があります。これを悼んでドイツ海軍のキール軍港には日本人の氏名を刻んだ記念碑があるように記憶しています。
ドイツは敗戦しましたが、敗戦時の感慨は、「ドイツは雑草だから必ず再建する」、また「失われたものは取り返せば良い」であったと言います。事実すでに憲法を改正し、徴兵を再開しています。
危機の時代、この点において日本はしぶとく用心深いドイツに学ぶところが大いにあると思います。
 (東海子)//