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□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2014年7月5日 第1478号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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◎佐藤守の新刊 『お国のために 特攻隊の英霊に深謝す 』
http://www.amazon.co.jp/お国のために-特攻隊の英霊に深謝す-佐藤守/dp/4792604974/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1403935573&sr=1-1&keywords=佐藤守
◎西村真悟 
同じことが繰り返し起こる・・・覚悟せよ

 タイトルの「同じことが繰り返し起こる」という言葉は、渡部昇一先生の本に書いてあった。
 確か、欧州の国際政治学者が、地球上のある地域では、同じことが繰り返し起こるとして、バルカン半島を例に挙げられていた。
 
 そこで、欧州だけの視点ではなく、我が国がある東アジアを含む世界史的視点からこの格言の現れている地域を観察すれば、
 現在、同じことが起こっているのは、クリミアとその周辺そして朝鮮半島である。
 ユーラシアの西と東で同じことが起こっている。
 
 まずクリミアでは、百六十年前(我が国では黒船来航の嘉永六年)に勃発したイギリス・フランス連合軍とロシアとのクリミア戦争と同じ図式の争いとして、アメリカ・NATOとロシアとの勢力争いが起こっている。
 ロシアのプーチン大統領は、一挙にクリミアを制圧し、百六十年前と同じように、ロシアの勢力圏を軍事力によって示している。
 これによって、「冷戦後の政治」が終わり、
 世界政治は、武力による「古典的勢力圏確保」の段階に戻った。

 そして、東の朝鮮半島は・・・!
 現在、中共の習近平主席が韓国を訪問していて大統領の朴槿恵さんが笑顔で迎え、中韓仲良く「対日非難」をしている。
 これは何を示しているのか。
 これはつまり、支那と朝鮮の「古典的勢力圏」の対日誇示威嚇宣伝である。
 そして、ここで言う支那と朝鮮の「古典的勢力圏」とは、
 「支那に従属する朝鮮」のことである。
 古来、朝鮮の統治者は支那にすり寄り従属することによって朝鮮内の支配権を確保しようとしてきた。従って、必然的に朝鮮は支那の属国になる。これを、朝鮮の宿痾の事大主義という。
 世界中で対日非難を繰り返して中共の習近平に笑顔を向ける朴槿恵の姿は、朝鮮の宿痾の事大主義の象徴である。
 よって彼女は、大統領に就任してから、対日非難を掲げて支那にすり寄り、実は、「朝鮮民族の名誉」を傷つけ続けているのだ。
 従って、韓国内では、そのうち、
 事大主義派(支那派)と海洋派(日米派)との抗争が始まる。
 これ、日清戦争の引き金となった朝鮮半島に於ける内部抗争そのものである。

 そもそも、明治維新に進み始めた我が国を、朝から晩まで、箸の上げ下げまで、非難し続けたのは、清国の「属国であることを誇示する」李氏朝鮮であった。
 李氏朝鮮は、我が国の天皇の「皇」の文字は支那の「皇帝」の「皇」の字と同じであるから無礼であると日本を非難した。これを、支那が言うのはまだ分かるが、属国の朝鮮が言い続けて明治の日本との交渉を傲慢に拒絶し続けた。
 
 しかし我が国は、この朝鮮の無礼との非難を完全に無視する。
 そして、外務卿から駐清国公使となった副島種臣は、北京に赴き、清国皇帝に対して起立したまま就任の挨拶をした(明治五年)。
 この時、清国は欧米列国公使に対しても、清国皇帝に対しては、膝を床に付けて跪いて頭を下げるように要求し、列国公使はそれに従っていた。
 しかし、我が国の副島種臣公使一人、清国皇帝に対して、公然と起立したまま敬礼し、我が国の存在意義を示した。
 これによって、副島は、各国公使から賞賛された。
 その前年の明治四年、副島種臣外務卿は、横浜に入港したマリア・ルース号に欧米諸国に売り払う清国人奴隷約三百名が閉じ込められているのを察知し、欧米関係国の抗議を無視して、断固として清国人奴隷を解放している。

 このように、朝鮮半島で、同じことが繰り返され始めたのであるから、我が国外交に於いても、そろそろ、副島種臣の如き外交、副島と盟友であった、西郷隆盛の如き政治を、出現させねばならん!
 これが、我が国の運命を決する。
 
 なお、真の明治維新は、明治四年から始まる廃藩置県であるが、この明治四年から明治六年までの重要な約二年間弱、後の維新の元勲と称される岩倉、大久保、木戸、伊藤等のそうそうたる連中は、欧米視察に出かけておって日本に居なかった。
 その時、西郷隆盛と副島種臣が日本に留まって実質的な維新を断行していたのだ。
 欧米視察連中は、何の成果もなく巨額の金を使って帰ってきた。その時の岩倉使節団をからかった狂歌。
「条約は結び損なひ 金は捨て 世間に大使 何と岩倉」

 さて、朝鮮半島の南半分の韓国では朴槿恵女史のもとで以上のことが起こっているのだが、
 半島の北半分の北朝鮮にいる三代目の肥った兄ちゃんはどうなるのだろうか。真っ当な親ならば、あれは畳の上で死ねないと心配するだろう。

 とはいえ、この北朝鮮も政権の生き残りをかけて同じことを繰りかえしている。
 即ち、十一年前に、二代目の親父が、訪朝した小泉総理を、「拉致被害者五名生存八名死亡、これで全て」と騙して一兆円を超える金をせしめようとしたように、
 現在再び、三代目の息子が、拉致被害者解放をちらつかせて、日本から巨額の金を出させようとしている。
 
 しかも、こちらの外務も、三代目に併せて同じことを繰りかえしているのだ!
 つまり、前のめりになって北朝鮮と歩調を合わせようとしている。
 昨日の我が国の制裁の一部解除は、ボタンの掛け違いの結果だ。 そもそも、わざわざストックホルムくんだりまで出掛けて、北朝鮮が「調査委員会」を立ち上げたら制裁を解除するとした約束自体が、「行動対行動」への裏切りではないか。
 委員会立ち上げと制裁解除は「口先対行動」ではないか。
 そんな会談なら、ストックホルムまで行かずに、日本海の漁船の上でやれ。
 次は明治の岩倉使節団と同じような狂歌。

「約束を結び損ない ストックホルム 世間に大使 何と伊い原(はる)」

 よって、今は、北朝鮮に騙されてはならぬと、
 最大の注意を払って我が国外交を監視し点検しなければならない時である。
 十一年前に、北朝鮮の
「拉致被害者五名生存八名死亡、これで全て」という嘘を見破ったのは、コロリと無責任に信じていた外務省ではなく、救出に向けた国民運動と国民組織であったように、
 国民一人一人が、断じて北朝鮮の嘘を断固として許さないという怒りを新たにして「全員救出の決意」を新たにするときだ。
 


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目次
◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 464」


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◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 464」

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アメリカの国務教官ジョン・ヘイが発した「第1次門戸開放通牒」は、当時のアメリカの願望を示したものに過ぎなかったが、アメリカもシナ大陸に野心を持っていることを示していた。再び、渡辺氏の著書に戻る。

≪義和団の乱の始まりで、支那の領土蚕食がエスカレートするだろうことは、どの国の政次家にとっても予想のつくことでした。

膠州湾租借条約で山東省全体を影響下に置こうとするドイツにシンクロナイズするように、ロシアは義和団の乱を口実にして満州を占領していくのです。義和団の乱がその激しさを増した一八九九年には、ロシア陸軍大臣アレキセイークロパトキンは「満州をわれわれの次のブハラにしなければならない」と述べています。ブハラはロシアが一八六八年に占領したウズベキスタンの主要都市です。満州を占領し、さらには領土化するという強い意思を表明したのです。

義和団の騒乱はロシアにとっては軍を進める絶好の口実でした。アメリカがそうした動きに対してわずかな抵抗を見せたのが「門戸開放通牒」だったのです。そこでは特殊権益圏における門戸開放を要求していました。しかしロシアの狙いは、そのような生ぬるい、権益圏形成を目指すものではなく、領土化そのものを狙うものだったのです。

ヘイ国務長官が二回目の「門戸開放通牒」を発したのは一九〇〇年七月三日のことでした。それは各国に清国領土を尊重するよう促した文書でした。

天津城の攻撃を控えた騒乱の真っ只中で、アメリカは、ロシアやドイツのさらなる領土化の動きを牽制しようとしたのです。ロシアは陸軍弱小国アメリカの牽制を嘲笑うかのように満州を侵食していきます。七月末から八月にかけて国境を越えたロシア軍はチチハル(八月二十六日)、長春(九月二十一日)、吉林(同二十三日)と占領し、さらに遼陽(同二十六日)、瀋陽(十月一日)と南下し、満州全体を支配下に置いたのです≫

当時の列強の植民地主義政策の本音が明瞭に解説されている。後れを取ったアメリカは、切歯扼腕したものの、微弱な陸軍力ではどうにもならない。その隙間を埋めるかのように、“繋ぎとして”出した門戸開放通牒だったが、実力のないアメリカの言葉は、どこからも見向きもされなかった。

≪ドイツとロシアの支那大陸侵食はアメリカにとって羨ましいものでもありました。しかしアメリカの軍事力では、アメリカ自身が領土獲得の動きを起こすことはできません。脆弱な陸軍はフィリピン民族派の征圧に手一杯でした。手も足も出ないアメリカ。そのフラストレーションは少しばかり歪められた形となって現れてくるのです。

未開人を啓蒙するアメリカ西漸運動の最終地がフィリピンであったことはすでに述べたとおりです。支那大陸までその運動を広げる力のないアメリカの政治家の心中に、アメリカの軍事力ではどうにもならない支那に対しては温かく見守って、その「文明開化」を支えてやるべきだ、という「歪んだ温情主義」が芽生えるのです。凶暴なヨーロッパ勢力の防波堤にアメリカが、なってやらなければいけないのです。それはかつて幕末の初代駐日領事タウンゼントーハリスやグラント大統領が日本に見せた態度を彷彿とさせるものでした。「歴史家ウォーレンーコーエン(Warren Cohen)は一九〇〇年から一九五〇年の半世紀をアメリカの(支那に対する)温情主義の時代と定義している。アメリカは支那を(西洋列強の強引な外交政策から)守る父親のような立場をとると決めたのである。支那の文明開化のモデルとなるのがアメリカでなければならず、支那はアメリカから多くを学ぶ必要があると考えるようになった。門戸開放通牒がその手始めとなる動きだったのである」≫

現在、問題になっているウクライナ問題や、クリミヤ半島を取り込んだロシアの行動は、正に当時の植民地主義の“名残?”であることがわかる。これがロシアの本質なのだが、ロシアのみならず、国家を形成した集団が取る基本的な行為であることは、戦後70年間、極楽とんぼ化して国際環境間を浮遊していた日本人にはなかなか理解できないことだろう。最近になって、シナ大陸や朝鮮半島に“生息”する≪国家もどき≫によって脅かされて初めて、戦後一貫して“平和主義”を唱えて、「四方の海同胞…」と念仏を唱えてきたツケが、廻ってきたことに気が付き始めたのだといってもいいのだろう。//