李登輝元総統からのメッセージ
 
 台湾で12年間の長きにわたって総統をつとめ、民主化を達成した李登輝さんは91歳となった今もなお、驚異的な体力、精神力で内外に影響力を発揮していらっしゃいます。その李登輝さんが校長をつとめる日本李登輝学校の台湾研修団に参加して、5日間、台湾へ行ってきました。
 李登輝学校の台湾研修団では最終日に校長先生の特別講義があります。90分を予定しているのですが今回はなんと! 講義時間を40分もオーバーして、スタッフが「もうお時間ですから・・・」と言ってもなお話し足りない、という不満そうなお顔をなさっていました。もちろん講義は流暢な日本語で行われます。いつものことながら李登輝さんの日本と日本人に対する熱いがひしひしと伝わってくる講義でした。
 李登輝先生の講義を聴くのは5回目なのですが、今回は何か、熱さがいつもと違うように感じました。身振り手振りを交えて、ほとんど座らずにずうっと語っていらっしゃいました。政治や経済の話だけでなく、少年時代の話や「自我と個の問題」「生と死の問題」「唯心論と唯物論」「信仰とは何か」など、話は哲学や宗教にまで及びました。91歳でボケるどころか、老いてますます鋭さを増すような深いお話が聞けたことは最大の収穫でした!
 わが国が大東亜戦争に負けるまでの50年間、台湾は日本の領土でした。日清戦争に勝って清から割譲された領土である台湾を統治するために、私たちの先人が味わった苦労は並大抵のものではなかったはずです。清は台湾を「化外の地」=文明の及ばない野蛮な土地、と呼んで見下し、ほったらかしにしていました。日本が領有した頃の台湾は「文化果てる地」だったのです。風土病が蔓延する台湾に総督府は鉄道を敷き、道路を敷き、ダムを造り、産業を興し、教育を普及させました。しかし当初からスムーズに行ったわけではありません。文化や価値観の違いから原住民との戦闘も何度もあり、犠牲者も少なくありませんでした。あまりの大変さに「台湾を売却した方が良いのでは」という話も起きたほど苦難に満ちた台湾経営だったそうです。
 しかし、東日本大震災の時、台湾の人たちが200億円という世界一の義援金を寄せてくれたことでも分かるように今、台湾は世界一の親日国です。台湾人たちは(全員ではないにせよ)50年間の日本統治を今では懐かしく思い、子や孫の世代にも「日本人の精神は素晴らしかった」と語り継いでいます。
 李登輝先生の2歳 上の兄上、李登欽さんは靖国神社に眠っています。1943年に台湾で帝国海軍の特別志願兵制度が発表されると入隊希望者が殺到しました。李登欽さんは当時、台湾でいちばん大きい派出所の巡査でした。当時の巡査というのは非常に地位が高く、台湾人で巡査になれるのはそうとう優秀だったはずです。その地位を投げ出して、しかも奥さんと幼い子供を残して志願兵を受験し、合格したのです。お兄さんがどのような最期を遂げたのか李登輝先生はずっと知らなかったそうですが、マニラで戦死なさったそうです。遺骨も戻らなかったので、お墓もありません。李登輝先生は「自分の大好きな兄が戦争で亡くなって靖国神社に祀られている。もうそれだけで、本当に感謝しています」とおっしゃっています。
 大東亜戦争を共に戦った日本人に対して台湾人は今でも「どこか他人とは思えない」というような感情を持っているようです。「日本に大地震が起きた、というニュースを聞いていても立ってもいられなかった」という言葉を台湾の人から聞いたことがあります。そこまで日本を思ってくれる国がすぐ側にあることを一人でも多くの日本人に知ってもらいたいです。
 李登輝さんは日本人に向けていつもメッセージを発信なさっています。日本人よ、自分が日本人であることを誇りに思いなさい! 自分の国を愛しなさい! と。
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