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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26(2014)年5月10日(土曜日)弐
       通巻第4225号   
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 トルコ、中国から防空システム導入(34億ドル)を破棄へ
  NATOの一員であるトルコが中国から防空システムを輸入する事態に圧力
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 中国の武器輸出責任者はかんかんに怒っているそうな。サウスチャイナ・モーニングポスト(5月8日)は、入札寸前だったトルコの防空システム導入にトルコ軍事筋情報では中国を入札リストからも外したという。

 アンカラ政府筋は「中国の仕様を詳細に検討すれば、トルコの防衛システムに適合しない。単純な理由だ」と見解を述べるに留めている。
つまり西側のパトリオット・ミサイルシステムに酷似する中国製「FD2000」はトルコの軍事力に役立たないとしているわけで、背後にNATOと米国の政治的圧力が存在するのは明瞭である。

 トルコの防空システム導入に関しての入札にはイタリア、フランス、ロシアも応札準備とされたが、最終的には米国レイセオンに落ち着くだろう。

むしろトルコは中国の入札申請を表沙汰にすることで米国、NATOにカードを切り、条件を良くする交渉の切り札とした気配が濃厚である。

またロシアのロソボロネクスポート社の入札申請も事前に発表し、ウクライナ問題で対立するNATOを意図的に動揺させ、NATOにおけるトルコの立場を強めた。

米国レイセオンは価格低下と仕様の向上を同時に要求されることになり、トルコはしたたかな交渉力をしめしたことになる。
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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆ 
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 大衆作家の大御所、山岡荘八の人生のうらおもて
  甥の立場から誤解されてやまない大作家の真姿を捉え改めた力作

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山内健生『私の中の山岡荘八 思い出の叔父』(展転社)
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 著者の山内健生さんとは評者(宮崎)も嘗て拓殖大学客員教授をつとめた関係でいろいろな会合でお目にかかるが、この本を手にするまで氏が山岡荘八の甥にあたるとは知らなかった。世間は狭いなぁ。
 三十年ほど前、中村彰彦氏と会津の東山温泉に泊まり、それから河井継之助が戦死した奥只見の現場に建つ記念館へ行こうと、年末の雪にもめげずに田舎道を尋ね、民宿に泊まった記憶がよみがえった。なぜかというと、その翌朝、ローカル線を反対方向の長岡へ出るために小出駅でおりて、乗り換え列車まで二時間もある。やることもないので、駅前の看板をふと見ると「山岡荘八記念碑」。えっ? 何故? 
しかし疑問はそのままにして小出駅前の食堂へ入り朝から熱燗を飲んだ。蛇足ながら当時、中村彰彦はデビュー前で文芸春秋の社員だった。年末しか休暇が取れなかった。
 本書で三十年前の疑問を確認した。
山岡荘八は新潟県小出の出身だった。苦学して上京し、下積み時代が長く、やがて戦後最大のベストセラーとなった『徳川家康』を書いた。維新以後、もっとも評判が悪かった歴史上の人物を戦後はじめて客観的に書いたのだ。
いまでも『徳川家康』はロングセラーを続けるが、じつは中国でも全巻が翻訳され、ビジネス・エリートらに広く読まれている。おまけに山岡が惰性で書いた『徳川家光』まで中国語訳がでている。
家康が山岡の代表作と考えられるが、なにしろ多作作家。評者はほかにも『伊達政宗』など数作を読んだ。学生時代には『小説 太平洋戦争』シリーズも出されていたが、「なぜ大東亜戦争にしないか」といぶかって、この本だけは買わなかった。
 山岡荘八は吉川英治とならぶ大衆作家で、その作品群は山岡文庫全百巻として、いまも刊行されている。
 三島由紀夫諌死事件直後、林房雄、保田輿重郎氏らを発起人に『追悼集会』を池袋で開催した(『憂国忌』の原型)が、そのとき、山岡氏にも発起人を打診したところ快諾され、さらに翌年の憂国忌には「白き菊 ささげまつらむ 憂国忌」と献句をいただいた。山内氏は、この追悼会に遅参したものの、公会堂まえの公園に寒風をついで登壇した林房雄、川内康範、藤島泰輔各氏の追悼挨拶を聴いていたそうである。
 著者の山内さんは山岡荘八の甥、しかも山岡家の離れに住んで「おいこら」の関係。身内のような日常を送った人ゆえに、上にのべた経緯を身内の視点から濃密な文章に綴っている。これを読むと『小説 大東亜戦争』とすべき作品を「太平洋戦争」とせざるを得なかった経緯もよくわかる。
戦前の山岡荘八には『御楯』という作品がある。
近年になって著者が台湾の「老台北」こと、蔡昆燦氏と会う機会があった。「山岡荘八先生の甥」と紹介する人があり、すると蔡さんはすぐさま「あ、あの『御楯』の作者の」と反応された由。これは戦争中の日本海軍の懊悩と、当時の外交との凄絶な駆け引きなどが描かれて、山岡自らは「戦争中の記念碑的長編」と言っていた由。昭和十九年に刊行され、当時日本にいた蔡さんも読んで感激していたわけだ。
 もうひとつ個人的な脱線をつけ加えると石川数正の墓とつたわる、古びた墓が愛知県の某所に残るが、現地でもまだ石川数正は受け入れられず密かに葬られた。それから四百年、なにかの記念式典に、なんと山岡荘八が出席し揮毫した。それを評者(宮崎)は現場で発見して、山岡荘八の面目躍如を感慨にふけったものだが、その経緯には触れておられない。おそらく謎だろう。
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 鍛冶俊樹の軍事ジャーナル 鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
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鍛冶俊樹の軍事ジャーナル 第144号(5月10日)

中露海軍演習の真意
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 中国海軍とロシア海軍が今月下旬、東シナ海で合同軍事演習を実施するそうである。
東シナ海といえば尖閣周辺で実施する事が危惧される。ときあたかも、オバマが日本で「尖閣は日米安保の対象」と明言し、フィリピンに再び米軍基地を置くと宣言した直後である。
この時期にそんな事をすれば。東アジア地域において日米対中露の軍事対立は避けがたいものになろう。しかしこの対立構造は、米国と対立したくない中国にとっても、また日本と対立したくないロシアにとっても好ましくはない筈である。

では何故、中露は東シナ海で演習をする羽目になったのか?疑問に感ずる所である。というのも中露海軍は昨年7月には日本海で、一昨年4月には黄海で合同演習を行っているが、東シナ海まで出てきたのは今回初めてである。
実は中露の海軍の合同演習は一昨年からだが、海軍だけに特化しない合同軍事演習はそれ以前から行っている。中露の大規模な合同軍事演習の最初は2005年8月である。中国山東省の山東半島で実施された。
当初、中国は台湾に近い浙江省での実施を主張、「米国を刺激する」とロシアが難色を示し、朝鮮半島の付け根にあたる遼東半島に変更されたが、これまた「北朝鮮を刺激する」ということで対岸の山東半島での実施となった。

さてこの経緯を見ると、今回、東シナ海で行う事は、「米国を刺激する」故に好ましくないのは明らかだが、昨年同様、日本海で行うことは「北朝鮮を刺激する」故に出来ないという中露の苦しい事情が見えてくる。
そして北朝鮮の意向を優先したということなのだろう。なにしろ北朝鮮は「新しい形態の核実験を行う」と宣言している。北朝鮮の核兵器はワシントンには届かないが北京やウラジオストックには確実に届くのだ。
ロシアとしてはウクライナ問題で中国を味方に付けたいし、中国はロシアからの天然ガスと兵器の供給を必要とするから、合同演習そのものは外せない。やむなく東シナ海での実施と相成ったわけだ。
注目すべきは東シナ海のどこで実施するか?である。
もし尖閣周辺で実施すれば、米国、豪州、アセアンは日本側に付くだろう。中国は海外からの投資が減額され、ロシアは極東開発で日本の協力を得られなくなる。悪魔の選択である。
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 編集後記 へんしゅうこうき EDITORS‘ NOTE
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<某月某日> 萩で吉田松陰の事跡を歩いた。山口宇部空港からバスを乗り継いで三時間。いやはや萩は日本のチベットのように遠い。萩は四半世紀ぶりである。松陰神社には歴史館が二つ増設されていて目をシロクロ。松陰の生涯をシンボライズした蝋人形の陳列館まであった。生誕地から野山獄跡、武家屋敷跡では木戸孝允、高杉晋作邸宅跡など時間をかけて見学し、城跡にものぼった。で、この詳細はいま準備中の『吉田松陰とその時代』で書くので省略。萩でのこぼれ話を加えると、宿からみた夕日のうら悲しさ、郷土自慢のレストランでたべた日本海の魚介類のうまさ、である。
前後するが昨夏すませた下田と浦賀行きにつづいて一月には長崎から平戸、そして萩、京都。松陰が遊学した水戸から会津若松。付随的に松陰の師匠である佐久間象山の事跡は長野市松代へ出向いて調べた。執筆はなかなか進まない。松陰はたいへんな旅行家でもあったので、その足跡を全国各地に訪ねるには相当な時間がかかるうえ、同期間にインド、トルコ、豪州、中東へ行き、このあと夏までにモンゴル、カナダ取材が控えているため、なかなか執筆時間が取れないためである。

<某月某日>個人的には待ちに待った薩摩琵琶の上演会。東京杉並公会堂へ着くと時間が早すぎたので付近の喫茶店でちょっと腹ごしらえ。主催者が小ホールにこだわるのは生演奏をマイクなしで聴いて貰うためとか。出し物の第一弾は「金剛石」。♪「金剛石も磨かずば玉の光は添はざらむ」。これは昭憲皇太后作詞である。薩摩琵琶には前から興味があったがCDで聴いたことはあっても、じつは生で聞くのは初めて。迫力があり、響きに古来よりの日本人の悲しみを謳う哀愁がある。
弾き手は島津義秀氏。
http://shimazu-yoshihide.com/profile/
もとより昨年秋、『週刊新潮』の掲示板に「西郷さんの西南の役での鹿児島までの敗走ルート、とりわけ山越えの調査をしている団体や資料を呼びかけて、ついで薩摩琵琶【城山】の演奏会がどこかで開催される機会があるか、どうか」を読者に問いかけて貰ったところ、何人かの九州の歴史研究家、郷土史家からご連絡をいただき、あるいは西南戦争の官軍の電報の束のコピィを送ってくれた人もいた。有り難いことである。また人を通じて島津氏からCDが送られてきた。筆者は、この人の書いた『薩摩の秘剣』(新潮新書)をすでに読んでいたが、この著者が薩摩琵琶の演奏をするマルチな才能の持ち主であることは知らなかった。さて二曲目は「物狂い」(作者不詳)。そして最後が「城山」だった。//