「朝鮮通信使」は善隣友好の使者?
 
 長崎県の対馬では「朝鮮通信使」行列を再現したお祭りが毎年、行われていたそうです。ところが観音寺というお寺の仏像が韓国人に盗まれ、いまだに返ってきません。「朝鮮通信使」行列を盛り上げようと熱心だった人たちもこれには憤慨し、お祭りは中止になったそうです。日本人は常に性善説で行動しては裏切られるのですが、そもそも「朝鮮通信使」とはどのような目的で行われ、実態はどのようなものだったのでしょうか?
 今、発売中の雑誌『歴史通』(ワック出版)に韓国文化研究家の雨森済州さんが「朝鮮通信使は反日・侮日だらけ」という論文を書かれています。それによると朝鮮通信使で日本に来た使臣たちは日本人を「自分たちより文化的に劣った人間」と見ていたそうです。その内容がなかなか面白いので紹介させていただきます。
 朝鮮通信使は室町時代末期に始まり戦国時代に入って豊臣秀吉の朝鮮出兵で一時、中断します。江戸時代に入ると徳川幕府から朝鮮側に国交回復が打診され、1607年から1811年まで計12回の通信使が派遣されました。1719年に通信使の製述官(記録係のようなもの?)として日本に来た申維翰は、その時の見聞を『海游録』という紀行文に残しています。『海游録』では日本人の風俗習慣は「夷狄の習俗」、つまり野蛮人の習俗だと決めつけています。何が野蛮か、というと日本人がいとこ同士で結婚すること、男女が混浴すること、などで服装は「奇怪な服」、通信使の接遇に当たる日本側の官吏は「多くの場合凡庸にして愚劣であり、礼儀さえわきまえないものがいる」と言いたい放題です。
 しかしこういう感想は申維翰だけのものではなく、当時の朝鮮の知識人一般に共通するものであったようです。1655年に通信使の従事官として日本に来た南龍翼は『扶桑録』という紀行文を書き残しています。彼によれば日本人は「人品が軽薄でずるがしこい」 「淫乱である」「残忍である」「儒教的な礼儀をわきまえない」そうです。これ、韓国人に言われたくないですよね~
 これを読んで驚いたことは、現代の韓国人もこれとほとんど同じステレオタイプの日本人観を持っているということです。例えば「いとこ同士で結婚するなんて人間のすることではない」「混浴なんて獣のすること」といった言葉は今の韓国人からいくらでも聞くことができます。文化的な側面や風俗習慣における違和感といったものは何百年経ってもあまり変わらないようです。
 朝鮮通信使の抱く日本人観の根っこにあるものは自分たちは中華文明を身につけた文化人、日本人は中華文明の恩恵を受けられない野蛮人、という「華夷観」です。これが根っこにあるので何を見ても面白がれないし、素直に感動できないのです。当時に比べればはるかに豊かになった現代の韓国人が相変わらず日本人の言うことやること、すべてを悪意に受け取るのは彼らが未だに「華夷観」から脱却できていない証拠ではないでしょうか?
 これまで朝鮮通信使は「善隣友好の使者だった」という側面ばかりが語られてきました。そういう側面がまったくなかったとは言いませんが、それだけでもなかったと思います。徳川幕府は朝鮮通信使を通じて中国の情報を得ようとしていたのではないか、あるいは朝鮮通信使は中国のスパイだったのではないか、という説もあります。とにかく私たちが認識すべきことは朝鮮人は昔から日本人を侮蔑していた、ということです。日本人が朝鮮人を差別しているのではなく朝鮮人が日本人を差別している、というのが真実なのです。
 
 
ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。 
人気ブログランキングへ