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★小誌4200号を迎えました!
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26(2014)年4月8日(火曜日) 
        通巻第4200号    
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 ヘーゲル米国防長官、訪中して空母「遼寧」に試乗
  中国海軍の増強に注目、話し合いの重要性を強調したが
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 訪日したヘーゲル米国防長官は、安倍首相、小野寺防衛大臣との会合を終え、中国へ向かった。日本では「尖閣諸島は日米安保条約の守備範囲にある」と明言したほか、北朝鮮の暴発を予防するために追加でイージス艦二隻を派遣するとした。

4月6日、訪中で真っ先にヘーゲルが視察した先は青島。ここから中国海軍空母「遼寧」に試乗したのである。
米軍トップが中国海軍空母を視察したのはこれが初めて。

関友飛少将(国防外事弁公室主任)が出迎え、艦内を案内したがヘーゲルの遼寧視察は二時間に及んだ。
そして「中国はすでに軍事大国であり、とりわけ海軍の増強ぶりに注目しているが、対話による平和的解決の道を閉ざしてはならない」とした。
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1060回】         
 ――「大中国は全国土、全人民をあげてわき立っている最中なのだ」(中野3)
   「中国の旅」(中野重治『世界の旅 8』中央公論社 昭和38年)


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中野の反右派闘争に関する寝惚けた観察ぶりを見る前に、現代中国を代表する古代史家として知られた楊寛(1914年~2005年)が綴った『歴史激流 楊寛自伝 ある歴史学者の軌跡』(東京大学出版会 1995年)から、この反右派闘争に関する記述の一部を拾っておきたい。それというのも中野、いや中野に代表される当時の日本の進歩派が如何に荒唐無稽でデタラメ極まりないものであったのか知っておく必要があると考えるからだ。

そこで一例を。『中国現代史』(岩村三千夫・野原四朗 岩波新書 1964年)に記された反右派闘争を故意に「整風運動」と綴り、それが「一部の幹部の誤った作風をなおす目的を果たしただけでなく、社会主義改造達成後の中国に、溌溂とした政治的旋風をまきおこし、中国の人民をいちだんと奮いたたせたのである」との記述を忘れることなく、以下の楊寛の回想を追ってもらいたい。些か長文の引用になるが、ご勘弁のほどを。

■「一体この反右派闘争では、何人の右派分子が作り上げられたのであろうか。確実で詳細な統計などあるはずはないが、多くの人は、四〇万人から五〇万人、すなわち当時の知識分子の約一〇分の一を占めたのではないかと見積もっている。しかも、その一〇分の一とは、ほとんどが高級知識分子であり、著名な専門家・研究者を多数含んでいた。また社会科学分野だけではなく、自然科学分野の著名な専門家も多くふくまれていた」

■「被害者は右派とされた本人だけにとどまらず、彼らの家族まで巻き添えになった。すなわち、地主・富農・反右派分子・悪質分子など四類分子の家族同様、右派分子の家族も人より一等低い『賤民』として扱われたからである。したがって、四、五十万の右派分子の背後には、巻き添えとなった二、三百万に達する家族がいたのである。右派分子に対する処分も、反革命分子の場合と同様、免職・降格・減給・配置転換・懲罰労働・集団労働改造などがあり、さらに、それまでの幾分広めの住居を立ち退き、極めて狭小な住居に移るよう迫られた」

■「私は、この闘争がもたらした悲劇の凄惨さを身をもって体験したことで、はっきりと分かった。いわゆる右派分子は多くの場合、右派的な言論などいっさい口にしておらず、実際は、実権を握る者が運動に名を借りて、意に満たぬ配下の者を陥れたに過ぎない、と。つまりすべてが冤罪なのである」

■「この反右派運動を通じて、人々は、共産党が指導する無産階級専制という政権の本質を、より深く認識できるようになった」

■「この政権は、各段階の党組織が、事実上それぞれの行政機関を管理し、また各機関の党組織が、事実上それぞれの行政機構を管理し、また各機関の党組織が、事実上それぞれの機関のすべてを管轄するというように、党と行政機構が未分離であるばかりか、各段階で権力を掌握している者が、行政・業務、さらには司法までをも一手に統括するといったように、権力が極度に集中しているのである」

■「こうして、上から下への家父長制的な統治体制が作られているのである」

■「(中央・地方、規模の大小を問わず)いずれも各機関のいわば大家父長制であり、機関所属のすべての人間に対する生殺与奪の権を握っている」

■「このような上から下への政治運動に対して、人々は、極めて恐るべきものであると感じるようになっていった」

まだ続くが、ここまでの引用だけでも、何を根拠に中野が「反右派闘争というのもそんなものではない。こう私がいいたくなる」と断言できるのか・・・デタラメが過ぎる。
《QED》
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もう一本
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【知道中国 1061回】         
 ――「大中国は全国土、全人民をあげてわき立っている最中なのだ」(中野4)
   「中国の旅」(中野重治『世界の旅 8』中央公論社 昭和38年)


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中野は「そんなものではない」と断言し、岩波新書『中国現代史』が「一部の幹部の誤った作風をなおす目的を果たしただけでなく、社会主義改造達成後の中国に、溌溂とした政治的旋風をまきおこし、中国の人民をいちだんと奮いたたせたのである」と高く評価した反右派闘争ではあるが、再三言及しているように、実態は毛沢東=共産党にとって不都合な、つまり不必要な存在であった知識人を社会から追放するための策謀でしかなかった。

後日談だと言ってしまえばそれまでだろうが、敢えて中国の知識人たちの反右派闘争評をいくつか示しておきたい。それというのも、中野にしろ『中国現代史』の著者にしろ、中国側の粉飾・偽装工作にまんまと乗せられ、ウソ・デタラメを信じ込み(信じ込まされ)、それを、さも真実のように日本国内に撒き散らした罪を明らかにしておきたいからだ。

たとえば楊寛は、「年若い学生は、愛国の熱情に溢れるあまり、気負い立って改革の意見をだし、かえって上層から反党反社会主義的とみなされ、弾圧を受けることになってしまったのである。順調にいけば傑出した人材になるはずであった多くの優秀な学生が、この運動に押しつぶされて埋もれて行く例を、我々はこの目でみてきた。また、各地の有名な大学で大勢の教授が右派にされただけでなく、年若い教師たちも右派のレッテルを貼られ、二度と立ち上がれなかった者も少なくない」(前掲『歴史激流 楊寛自伝』)

また89年の天安門事件における民主派指導者の王丹は「『反右派』運動は、中国の知識分子階層のなかのエリートを、ほとんど一網打尽にした。〔中略〕政治に参与し議論する知識分子の気風は、ここにいたってすっかり断たれてしまった。〔中略〕知識分子階層もまた一つのグループを形づくることをやめ、精神的に潰滅させられたに等しかった」(前掲『中華人民共和国史十五講』)

さらに共産党古参党員で毛沢東の秘書を務め、現在は党と国の民主化に執念を燃やし言論活動を続ける李鋭は、「一九五七年におこった反右派闘争は、知識分子を粛清する運動で、民主党派、とくに民主同盟(その中の多数派知識分子)を粛清する運動でもあった」(前掲『中国民主改革派の主張』)

――人生、職業、社会的影響力、政治的立場、思想傾向など三者三様に異なるが、反右派闘争は毛沢東=共産党が強力な独裁体制を布くために仕掛けたという点では一致している。つまり反右派闘争は「一部の幹部の誤った作風をなおす目的」で発動されたわけでも、「社会主義改造達成後の中国に、溌溂とした政治的旋風をまきおこし」たわけでも、ましてや「中国の人民をいちだんと奮いたたせた」ものでもない。

その実態は、毛沢東を頂点とする「一部の幹部の誤った作風を」野放図に拡大再生産させ、「社会主義改造達成後の中国に」陰鬱で危険極まりない「政治的旋風をまきおこし」、「中国の人民をいちだんと」意気消沈させ、毛沢東=共産党に刃向うことなく、権力に従順な群集に仕立て上げようとしたわけだ。この?小平を最高責任者とする大中国人改造計画が成功したがゆえに、その後の毛沢東の暴政が止めどもなく続いたのである。

確かに中野や『中国現代史』の著者は外国人である。
だから、中国にとって不都合なことは隠そうと思えば隠し遂せただろう。だが苟も中野が文学者の看板を掲げているなら、見えないところから当時の中国の民心の変調を読み取るべきだった。

にもかかわらず中野は反右派闘争は「そんなものではない」と説き、同行した山本が帰国後に「(中国では)目立つ着物を着ていると、生活的に右派分子だといって、たたかれる恐れがある」と記すと、それは中国に対する「いらぬ嫌悪感、いらぬ恐怖心を、わざわざ日本人読者にあたえること」になるとまで言い切る。
やはり中野も中国側の対日工作の道具でしかなかった。  
《QED》
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