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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26(2014)年3月31日(月曜日)
         通巻第4193号    
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 弱腰オバマ政権はフィリピン防衛にどこまで本気か?
  アキノ政権、米国と防衛条約の再改訂を討議、4月末に発表か
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 フィリピンはスカボロー岩礁を中国に奪われた上、南方のセコンド・トーマス環礁に駐屯するフィリピン海兵隊への輸送船を中国海軍に妨害され、その中国への怒りは高まっている。
 アジアタイムズ(3月27日)に拠れば、すでにフィリピン政権は米軍と「米比安保条約の改定を討議しており、四月末のオバマ訪問を前に概要が発表される政治日程にある」と伝えた。
 
 スビック湾の海軍基地とクラーク空軍基地から撤退した米軍は、2002年の対テロ戦争宣言以後、空白状態のフィリピンに500名前後の特別チームを派遣している。これは「太平洋特別作戦」の一環で、ミンダナオ周辺に盤踞するアルカィーダ系の「アブ・サヤフ」(武装組織、イスラム過激派)との軍事衝突に対して、防衛装備品や武器提供とテロ防止の軍事訓練が目的だ。

 そのうえ、昨秋フィリピンをおそった台風被害の救援を名目に米国は空母を筆頭に多数の軍人を派遣し「友だち作戦」を展開した。

 現在検討されている米比安保条約改定の内容は、これまでの「フィリピン国内での危機対応」という主目的が、近年の中国の侵略的行為を目の前にして「対外敵対勢力との対応」へと焦点が移されているという。
とくに「敵海軍への偵察情報の共有、海軍施設のシェアと装備強化」などが唱われているとされる。現存の米比安保条約は米軍の国内駐留を認めていないが、これも「臨時的に駐留を認める」と条項が変更される手はずだと前掲アジアタイムズが伝えた。

 米国は「ピボット」「リバランス」を打ち出して海軍の60%を太平洋に移管するとしたものの、実現には至らないばかりか大幅な国防費カット、アジア諸国はオバマ政権への不信を募らせている。


 ▲オバマの外交不在の空白に乗じる北京

そのうえ、オバマ大統領自身がこれ以上の南シナ海の領海係争に関与したくないという姿勢であり、ペンタゴンが密かに進めている米比安保条約改定に乗り気ではない。ペンタゴンはオバマ政権の防衛戦略に不快感を示しており、関係は険悪でもある。

オバマはあきらかに中国を重視して、フィリピン、韓国、日本を訪問する前にミッチェル夫人を一週間も中国に親善訪問させてバランスをとる等、外交戦略がはちゃめちゃである。
米国内ばかりか国際社会でもオバマ大統領への評価は最悪に近いが、その無能力を中国はチャンスととらえ隙を突いているのだ。

これらの情勢をふまえてフィリピンは日本への接近を急速に強めてきたが、直近の情報ではベトナムとの協同も視野に入れており、就中、三月に訪日したベトナム主席と安倍首相との会談で防衛協力が討議された事実に着目し、フィリピンは将来的に「日越比」三国の防衛協力をも視野に入れたと分析されている。

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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1053回】              
――「言うだけ番長」では困ります
   『中国が世界に深く入りはじめたとき』(賀照田 青土社 2014年)

  ▽
著者は、「80年代以降の現代中国分析、および中国革命の認識構造の再検討の両面で、意欲的な論考を次々と発表している。いま東アジア全体でもっとも注目されている若手知識人のひとり」と紹介されている。話半分としても、これからの中国を考えるためには、やはり一読しておく必要があるだろうと、この本を手にした。

以前、何気なく読んだ著者の難解な文章を思い出しながら読み進んだが、確かに文体・用語を含め、日本語には訳し難いと思う。そこで生硬な訳文にならざるをえないだろうが、著書が現代中国の知的空間に抱く苛立ち、延いてはイケイケドンドン的な政治の動きに対し抱く危機感は、痛いほどに伝わって来る。

それは、次の発言からも容易に読み取れるはずだ。
「中国大陸学術思想界の一員として、私は常に焦燥、緊張、無力感に包まれている。その最大の理由は、物事を熟考し、中国社会に関心をもつ人文系のインテリとして、現在の国家体制の合法的な枠組の下で自分のアイディアを提供し、民族の未来のために責任をになう適当な場がみつからないこと」であり、「このような複雑な情勢を前にして、中国の学術思想界における知的ストックが頗る不足していることである」。そこで現在という「政治・経済・文化・社会・制度の重大な転換期において、様々な危機や困難に直面しているとき、諸説あっても、信頼性のある、実施可能な理論的枠組みが未だ現れていないことにつくづく気づくのである」。

著者は、その背景を「権力エリートと知識エリートのコミュニケーションの断絶」に求め、「国家権力への弁護に熱心な知識人」は、「重要で避けがたい現代中国の歴史の問題に対して、理解・把握・蓄積が少なく、少なからぬ人はどうしてこうした問題を認識しなければならないのか〔・・・〕について最低限の理解すら持っていない」と呆れ果てる。これを強引に言い換えるなら、共産党政権に擦り寄り、その周辺に群集い「偉大なる中華民族の復興」と意気軒昂にオダを挙げ、「中国の夢」なる妄想に耽っているヤツラは「知的エリート」を偽装する大バカで、知的粉飾商売に励んでいるに過ぎない、ということだろう。

かくして著者は続ける。

2012年に胡錦濤が「進路に自信を持ち、理論に自信を持ち、制度に自信を持つ」と語り、2013年に習近平が「全国各民族は、中国の特色ある社会主義の理論への自信、進路への自信、制度への自信を強め、確固たる態度で正しい中国の道に沿って前進しなければならない」と高らかに宣言したが、2代の「国家の最高指導者が述べた『三つの自信』をいくら検討しても、その正確な政治的・経済的・観念的意味を明らかにすることは難しいが、中国大陸の九〇年代以来の脈絡の中で考えたとき、一つはっきりすることがある。『世界とリンクする』観念の感覚に対して、明確に別れを告げたことである」――これまた強引に言い換えるなら、中国は世界を足下に置き、各国を睥睨する道に舵を切ったということだ。

暴走を止め中国破滅への道を防ぐため、著者は「中国の知識人は民族の運命を一身に担わなければならない」と自らが授かる崇高な責務を語り、「運命が既に戸を叩いている」と並々ならぬ決意を披歴する。その“悲壮な姿”は、歴代王朝末期に現れた憂国・憂憤の文人官僚や知識人を彷彿とさせるのだが、先人が辿った人生の悲喜劇に思いを致せば、呉々も敵前逃亡などというブザマな姿だけは曝さないでもらいたいと、強く望みます。
《QED》

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もう一本
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【知道中国 1054
――やはり毛沢東と?小平は稀代の政治的ペテン師・・・なのかなあ
          『中華人民共和国史十五講』(王丹 ちくま学芸文庫 2014年)

  ▽
 著者は1989年の天安門事件当時、天安門前広場で運動をリードした民主派学生のリーダーの1人である。98年に釈放されアメリカに亡命。ハーバード大学歴史系博士。アメリカや台湾で研究生活を継続。09年秋学期に台湾の国立精華大学人文社会学部で行った「中華人民共和国史」の講義が、この本の基になっている。3度、ノーベル平和賞候補に。

 この本で批判の標的は専ら毛沢東と?小平の2人。これをいいかえるなら、民主派にとっての最大の敵は、この2人ということか。

 先ず毛沢東の“遠大なる野望”について。「ブルジョワ階級の改造、そして民族ブルジョワ階級の的をしぼった政治運動、さらには党内のブルジョワ階級の一掃を呼びかけた『文化大革命』、これらすべては、毛沢東がすでに一九四九年に吐露した心の声にその手がかりを見出すことができるのである。それゆえ、以後に起きたこれらの運動のすべて、情勢に応じて始動したものということはできない。実際、これらは早くから実現を待っていたのだが、毛沢東の胸中を完全に理解する人がいなかっただけのことなのである」

 次いで毛沢東の人間性について。「毛は他人に対する見方を心中深く秘匿し、時期を待って憤怒を表出することのできる人であった」

 ?小平の改革・開放路線いついて。「?小平ははっきり認識していた。一〇年に及んだ文革の混乱から、中共の統治を救う唯一の方法は、経済を発展させることである。対外開放し、外資を導入し、貿易を拡大することだけが、中国の経済を高度成長させることができるのである」

 だが、「?小平の改革路線も新たな発明ではない」。じつは1948年の党中央から華北局に出された「われわれの任務は、資本主義の管理制度を批判的に受け容れ、その合理性と進歩性を引き出して、不合理と反動性とを取り除くことである」との指示に既に示されていたとする。だが著者は、?小平が示した南部沿海地域からの対外開放による経済成長路線は、19世紀末にインドネシアで大成功した華僑商人で後に清朝高官に取り立てられた張振勲の清朝経済振興策に酷似していることを知らない。実は?は、張をパクっただけなのだ。

!)小平路線の「欠点は、階層ごとの格差を人為的に広げ、社会に深刻な不公平を招来した」。かくして「改革それ自身に内在する問題は、人民の不満を呼び起こし」、「党内保守派の動きはエリート階層の憂慮を誘った」。この段階で、?小平は支持基盤を民主派から保守派へと切り替えた。?小平の心変りが天安門事件の伏線だ。「いまや?小平は、民間の民主派の利用価値がすでに尽きつつあると感じていた。そこで勢い盛んに発展する民主派勢力の弾圧に、いよいよ着手すべき時が来たと決意を固め」、かくして党内外民主派に対する血の制圧へと突き進んだ。それを象徴するのが、天安門広場における惨劇ということになる。

 最後に著者は、天安門広場に集まった学生による民主化要求が失敗した原因を学生の政治的未熟さに求めて、「実際、学生運動の指導しか念頭に置いていないにもかかわらず、外部の期待をよいことに、〔・・・〕政治運動の技術としての妥協の重要性を理解できず、社会の各種勢力と連合する必要性を認識することができなかった」と結論づけた。
 「中共は、厳密な現代的意味で政党とは言い難い」って・・・気づくのが遅いよ。
《QED》
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