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■第1179話 国民のおばばさま、貞明皇后(下)(2/4)
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今回は以下のメールマガジンに掲載された内容の転載です。
メイル・マガジン「頂門の一針」3248号 2014(平成26)年3月17日(月)
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(前回から続く)
■3.「みんなで皇太后さまにおれいを申しませう」
もう一つ「燈台守の労苦を慰める」とは、次のような事績である。
皇太后は昭和11(1936)年12月末に、全国の燈台を守る人々に、次のお歌とともに、金一封を下賜された。
荒波もくたかむ(砕かむ)ほとの雄心をやしなひながら守れともし火
このお歌を色紙に複製し、御下賜金で購入したラジオとともに、全国約200の燈台に配ることになった。
燈台守の家族は、人里離れた岬や離島に住んでいる事が多いので、その慰めとなること、そしてラジオで気象情報を聞く事で、いざという時にも役立つという配慮があったのだろう。
節子皇太后の志を生かした名案である。
この時にラジオを贈られた燈台守の家族の少女が書いた作文が残っている。
山口県の瀬戸内海の小島に住む尋常小学校3年生の八木みゆきという少女が書いた「楽しいラジオ」と題した作文である。
{この間の晩お父さんが燈光ざつしを読みながら「こんど皇太后陛下さまから燈台にラヂオを下さるそうだから、らしゆう丸で来るだろう」
とおっしゃいましたので、私はうれしくてたまりませんでした。
らしゆう丸のくる日がちようど日ようだつたので、朝から弟と二人ではまへ出てまつていました。
急に沖の方で汽笛がきこえましたので、見ると白い大きな船がとまつていました。
・・・やがてらしゆう丸のおぢさんがラヂオの箱を持つてあがつてきました。
弟は「ばんざい」と両手をあげて喜びました。
夕方らしゆう丸のおぢさんたちがかへられてから、お父さんが「さあ これからラヂオをきかせてやるから、みんなで皇太后さまにおれいを申しませう」とおつしやると、お母さんが本箱から皇太后陛下さまの美しいおしやしんを出してラヂオの前へかざりました。
私はていねいにおじぎをしました。}・・・
ラジオという物質的な恵みもさることながら、皇太后が自分たち燈台守とその家族のことを気にかけてくれている、という事実が、人里離れた場所で孤独な職務に励んでいる人々にとって、いかばかりか心の支えになったことだろう。
皇太后の燈台守たちへの思いやりが刺激となって、燈台職員の待遇改善、福祉増進などが積極的に行われるようになったという。
日の当たらぬ人々の身を常に案じていた皇太后にとって、それはなによりの結果であったろう。
■4.「おまえたち、わたくしの帰るのを待っていてくれたのね」
もう一つ、皇后が力を入れたのは養蚕である。
明治4年に明治天皇の后・昭憲皇太后が宮中で養蚕を始めた。
資源の乏しい日本で、絹製品は外貨を稼げる貴重な輸出品だった。
宮中で自ら養蚕を行うことで、国民に範を垂れ、大事な産業の奨励に努めたのだった。
その思いを節子皇后も引き継いだ。
第1次大戦が終わり、日本の輸出はめざましく伸びたが、その花形が他国に真似のできない美しい絹製品で、製糸工場には3百万人の女工が働いていた。
大正2(1913)年には宮中の紅葉山に養蚕所を新築し、さらに旧本丸跡に3千坪の桑畑も設けた。
そこでは各県の養蚕学校から選抜された学生が10人も作業にあたっていた。
節子皇后も時間があれば養蚕所にいそいそと出向き世話をした。
そこで蚕が桑を食べている賑やかな音を聞くと、「おまえたち、わたくしの帰るのを待っていてくれたのね」と話しかけた。
大正14(1925)には製糸工場で働く女工たちの悲惨な実態を描いた『女工哀史』が刊行された。
各地で労働組合が結成され、社会主義的思潮が広がりだした。
節子皇后が養蚕に打ち込んだのは、養蚕の尊さを身をもって訴え、女工たちの生活を思いやってほしい、という気持ちもあったのだろう。
ちなみに皇后による養蚕は「皇后御親蚕」と呼ばれ、現在の美智子皇后にも引き継がれている。
特に美智子皇后は「小石丸」という日本古来からの純粋種の飼育を、国内でただ一カ所、皇居の中で続けられており、正倉院の染織品の復元に貢献されている。
(次回へ続く)
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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第1179号)(2014年03月28日号)
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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。
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もう一つ「燈台守の労苦を慰める」とは、次のような事績である。
皇太后は昭和11(1936)年12月末に、全国の燈台を守る人々に、次のお歌とともに、金一封を下賜された。
荒波もくたかむ(砕かむ)ほとの雄心をやしなひながら守れともし火
このお歌を色紙に複製し、御下賜金で購入したラジオとともに、全国約200の燈台に配ることになった。
燈台守の家族は、人里離れた岬や離島に住んでいる事が多いので、その慰めとなること、そしてラジオで気象情報を聞く事で、いざという時にも役立つという配慮があったのだろう。
節子皇太后の志を生かした名案である。
この時にラジオを贈られた燈台守の家族の少女が書いた作文が残っている。
山口県の瀬戸内海の小島に住む尋常小学校3年生の八木みゆきという少女が書いた「楽しいラジオ」と題した作文である。
{この間の晩お父さんが燈光ざつしを読みながら「こんど皇太后陛下さまから燈台にラヂオを下さるそうだから、らしゆう丸で来るだろう」
とおっしゃいましたので、私はうれしくてたまりませんでした。
らしゆう丸のくる日がちようど日ようだつたので、朝から弟と二人ではまへ出てまつていました。
急に沖の方で汽笛がきこえましたので、見ると白い大きな船がとまつていました。
・・・やがてらしゆう丸のおぢさんがラヂオの箱を持つてあがつてきました。
弟は「ばんざい」と両手をあげて喜びました。
夕方らしゆう丸のおぢさんたちがかへられてから、お父さんが「さあ これからラヂオをきかせてやるから、みんなで皇太后さまにおれいを申しませう」とおつしやると、お母さんが本箱から皇太后陛下さまの美しいおしやしんを出してラヂオの前へかざりました。
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皇太后の燈台守たちへの思いやりが刺激となって、燈台職員の待遇改善、福祉増進などが積極的に行われるようになったという。
日の当たらぬ人々の身を常に案じていた皇太后にとって、それはなによりの結果であったろう。
■4.「おまえたち、わたくしの帰るのを待っていてくれたのね」
もう一つ、皇后が力を入れたのは養蚕である。
明治4年に明治天皇の后・昭憲皇太后が宮中で養蚕を始めた。
資源の乏しい日本で、絹製品は外貨を稼げる貴重な輸出品だった。
宮中で自ら養蚕を行うことで、国民に範を垂れ、大事な産業の奨励に努めたのだった。
その思いを節子皇后も引き継いだ。
第1次大戦が終わり、日本の輸出はめざましく伸びたが、その花形が他国に真似のできない美しい絹製品で、製糸工場には3百万人の女工が働いていた。
大正2(1913)年には宮中の紅葉山に養蚕所を新築し、さらに旧本丸跡に3千坪の桑畑も設けた。
そこでは各県の養蚕学校から選抜された学生が10人も作業にあたっていた。
節子皇后も時間があれば養蚕所にいそいそと出向き世話をした。
そこで蚕が桑を食べている賑やかな音を聞くと、「おまえたち、わたくしの帰るのを待っていてくれたのね」と話しかけた。
大正14(1925)には製糸工場で働く女工たちの悲惨な実態を描いた『女工哀史』が刊行された。
各地で労働組合が結成され、社会主義的思潮が広がりだした。
節子皇后が養蚕に打ち込んだのは、養蚕の尊さを身をもって訴え、女工たちの生活を思いやってほしい、という気持ちもあったのだろう。
ちなみに皇后による養蚕は「皇后御親蚕」と呼ばれ、現在の美智子皇后にも引き継がれている。
特に美智子皇后は「小石丸」という日本古来からの純粋種の飼育を、国内でただ一カ所、皇居の中で続けられており、正倉院の染織品の復元に貢献されている。
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