子供を守れるのは親しかいない
 
 横浜のベビーシッター事件ではいろいろと考えさせられました。この事件をめぐる報道で一番気になるのは親の責任を問う声がまったく聞かれないことです。ベビーシッターを紹介するネットのサイトに対する批判や容疑者(今のところ死体遺棄の容疑ですが、もしかしたら殺人に変わるかも)に対する批判ばかりで、親はまるで被害者扱いです。しかし、一番問題なのは2歳の子供と1歳にもならない、まったくの幼児をネットを介して人に預ける、という母親の無責任さなのではないでしょうか? 以前、預けた時も子供の顔にあざができていたことが分かっていながらまた同じ事をやる神経が理解できません。報道によると預けた相手の名前も保育施設の場所も母親は知らない、というのですが、これでは育児放棄と言われても仕方がないと思います。
 以前、回転ドアに子供が挟まれて死亡する、という事件が起きました。それ以来、日本中から回転ドアがなくなったそうです。実に愚かなことだと思いませんか? 電気のいらない、人間の力だけで回る回転ドアは優れたエコ商品です。それなのに、たった1回、 事故があっただけで莫大なお金をかけてなぜ回転ドアをなくさなくてはならないのでしょうか? 親の監督不行き届きを指摘する声が上がらないのが不思議です。
 同じようなことが日本中で起きています。エスカレーターに乗っていた子供が挟まれて怪我をしたらエスカレーターが悪い、と非難されます。だからスーパーに行くと「お子様をお連れの方はしっかりと手を握って・・・」というアナウンスがエスカレーターのところでひっきりなしに流れていてうるさいほどです。公園の遊具で遊んでいた子供が怪我をすれば、遊具が悪いことにされて撤去されます。大部分の子供はそれで楽しく遊べているのです。たった1回、 事故があっただけでなぜ子供の楽しみを奪うのでしょうか?
 小さい子供はじっとしていられません。親が目を離せばどこへ行ってしまうか分からないもので、それは子供が元気な証拠で、良いことなのです。親は子供の安全に気を配りながら子供の自主性も奪わないようにしなければなりません。子育てというのはとても大変な仕事で、だからこそ年配の人の知恵と経験が必要なのです。子供が年配の人になつくのは、やはり何となく安心できるからだと思います。
 待機児童の問題をめぐる報道にもやはり私は違和感を覚えます。母親が働きやすい環境を整えることは確かに大事ですが、そればかりが強調されるのはおかしいと思います。子供の立場が無視されています。母親にとっても一生のうちで一番、可愛い盛りの子供を自分の手で育て、思いっきり愛情を注げる楽しさはよそでは味わえないものではないでしょうか? 
 「戦前の日本の女性は結婚相手も自分で選べなかった。親の決めた相手と無理矢理結婚させられた」とか「戦前の女性には自分のやりたいことをやる自由がなかった」ということがまるで常識のように言われます。では恋愛結婚すれば必ず幸せになれるのでしょうか? 自分のやりたいことって何でしょう? 戦後の女性は本当に戦前の女性よりも幸福なのでしょうか? 
 幸福とは何なのか、ということを女性自身が自らに問う時期に来ているのではないか、と思います。
 
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