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『三橋貴明の「新」日本経済新聞』
2014/03/04
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From 藤井聡@京都大学大学院教授
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●三橋貴明の最新無料Video「中国リスク徹底検証~不動産バブル崩壊で、、、」
http://www.youtube.com/watch?v=IZ8B1f1g7Kc
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先週、先々週のメルマガにて、今、明治大学の飯田氏が、雑誌VOICEにて、討論を行っています。
先週の当方からのコメントを受けた「飯田氏から再リプライ」をいただいており、かつ、その直後に当方からの再々コメントを、先方のメディア(シノドス)に掲載いただくべく、既にお送り致しております(なお、現在、一時的に当方のHPに掲載しています。ご関心の方は是非ご覧下さい)。
なお、これまでの経緯は以下となっております。
1.飯田氏より:月刊誌『Voice』3月号での連載「ニッポン新潮流」に関し、
2.藤井からの討論:http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/02/18/fujii-76/
3.飯田氏からのリプライ:http://synodos.jp/economy/7198
4.藤井からの追加コメント:http://synodos.jp/economy/7259
5.飯田氏からの再リプライ:http://synodos.jp/economy/7261
6.藤井からの再追加コメント:https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/486347314799550?stream_ref=10
これだけ討論が続いて参りますと、この話がどう展開しているか、ほとんど誰も分からなくなってきているのではないかと危惧します(笑)。
そして、話の「本流」がみえず、時々に出てくる補足的な話(支流)に対してだけ反応してしまう読者が、大半になってきているのではないかと。。。危惧しています。
(#例えば、「政府の供給制約問題」だけにかかずらったコメントをする、等です。それが如何に補足的なのかについては、最後に指摘します)
ついては、まずは、この長い討論のおおよその流れがどうなっているのかを、些末な論点や補足的な論点(支流)を捨象し、重要な話の流れ(本流)を、ここで簡単に解説しておきたいと思います(以下、上記の1.から6.の数字を使って解説します)(なお、以下の解説は、分かりやすくするために、直接言及しておられない単語も使用して解説しますが、趣旨としては、以下の通りとなると、筆者は理解しています)。
本流は何と言っても「政府支出は民間よりも無駄、不合理が多いと言えるのか?」というこの一点を巡る論争なのです。
1.飯田氏VOICE原稿
飯田氏が、
「政府支出には平均的に無駄が多い、
一方で、GDPは生産した価値の合計である。
だから、本来なら、無駄な政府支出は価値を生み出しているのではないため、
政府支出をGDPに加算することは正当で無い。」
と主張。
これに対して、当方が、「ツッコミ」を入れるところから、この討論がはじまっていくのですが、主な流れは、以下のA,Bの二つに集約されます。
(A)政府は民間よりも不合理なのか?
2.藤井
「飯田氏の議論は間違っている。
政府だけでなく民間も無駄を行っているのは明白。
一方で、民間だけで無く政府も有益な事業をおこなっている事も明白。
だから、政府支出だけをとりあげて、『GDPの泣き所』と主張するのは、
明らかに不当な言説だ」
と言うツッコミを入れる。
3.飯田氏 それに対して。。。
「そんなことはない。
教科書に載っている「主観価値説」に基づくなら、
経済における価値の源は、消費者の「主観」(いわば、好み)が決める、
という事になっている。
同時に、市場では、その主観価値で評価されなかった企業は淘汰される。
だから、おおむね、市場で活動する企業は、無駄がなくなっている。
一方で、政府には、その市場メカニズムが働かず、
消費者の主観(つまり好み)とは無関係な事業が展開されがち」
とリプライ。
(だから、「やっぱり、政府支出はGDPの泣き所」という自分の説は本質的な誤りではない、という事を示唆)
4.藤井 それに対して。。。
「あなたは間違っている。
人々の主観なんで移ろい易いもので、不合理なものだということは、
心理学でイヤという程証明され尽くしている。
だから、市場がおおむね正しいとは言えないのは、明白だ。
しかも、政府は、市場が無視しがちな、長期的な利益、広域的な公益を考慮することができるという点で、市場よりも優位性がある。
だから、政府が完璧だとは言えないとしても、
市場も完璧だとは言えないのだ。
だから、やっぱり、政府だけが無駄が多いと言うことを前提にして、
「政府支出はGDPの泣き所だ」というのは、不適切ではないか」
と言うことを改めて主張。
5.飯田氏 それに対して。。。
「確かに民間も政府も無駄なこともやれば、有益なこともやるが、平均的には民間の方が合理的だ」
とリプライ
6.藤井←今ココ
「あなたは今、民間の方が政府よりもより、平均的に合理的だ、と主張したが、あなたはその根拠を明確にしていない。当方が論駁議論を提示したにも拘わらず、それに触れずに同じ主張を繰り返しているだけではないでしょうか?」
というツッコミをさらに強く入れる。
。。。ということで、飯田氏が「政府支出はGDPの泣き所だ、なぜなら民間より政府は無駄が多いから」という論旨に対して、当方は「本当にそうなのか?」というツッコミを入れ、それに対して、明確な回答が未だ得られていない状況である。。。と当方は認識しているところです。
さて、もう一つの議論の流れは、「フロー効果があるのかないのか?」という議論です。
一つずつ、見て参りましょう。こちらについても、当方が、飯田氏の「政府支出はGDP統計の泣き所だ」発言に対して、次の様なツッコミを入れたところから始まります。
2.藤井
「万一、ある事業が完全に役に立たないものをつくる無駄なものあっても、そこで民間市場を活用する仕事が発注されるなら、経済効果(一般に言う、フロー効果)はある。だから、その意味でも、政府支出を「GDPの泣き所」と言うのは不当な言説だ。」
というツッコミを入れる。
3.飯田氏はこれに対して、
「やはり、「10億円配る」のと「10億円の無駄な事業を行う」のは同じだ」
と主張(これはつまり、政府支出は統計の泣き所だという飯田氏の説を、この点から弁護されたのです)
4.藤井 はこれに対して。。。
「『10億円配る』のと『10億円の無駄な事業をする』」とでは、飯田氏が主張する『主観的価値説』の観点から言って、異なるではないか!」
という形でのツッコミをさらに入れました。
これはつまり、飯田氏本人に返ってくる「ブーメラン」を、飯田氏本人が気付かない内に打ってしまっているのでは無いですか?と言う(少々高次元の w)ツッコミを入れた次第です。
5.飯田氏はこれに対して、
「やはり、「10億円配る」のと「10億円の無駄な事業を行う」のは同じだ」
という主張(これはつまり、「政府支出はGDP統計の泣き所だ」という主張を弁護された格好になっています)。
ただし、その際、当方が、両者がなぜ違うのかを説明した論理、つまり、「飯田氏の論理に基づいて飯田氏の主張は論駁されなければならない、というブーメラン型のツッコミ」に対しては、明確に言及されていません。ついては、
6.藤井は、今、
「あなたは、当方のツッコミに対して全く答えていないではないか?」
という再ツッコミを入れています。 ←今ココ
・・・・
以上、いかがでしょうか?理解の助けになりましたでしょうか。。。?
いずれにしても当方は、
「『政府支出はGDP統計の泣き所だ』という『政府支出は平均的に不合理だという趣旨の発言』をされたが、その発言は、論理的に正当化されないのではないですか?」
という事を主張したいがため
「だけ」
に討論を「はじめ」、終始一貫して、その方向からのツッコミを入れ続けている、という状況となっているものの、未だ、この当方の指摘に対して、適切には答えられて
「いない」
と認識している次第です。
ですがもちろん、当方が「勘違い」している可能性も常に残されていますから、常に、当方の意見は直ぐに飯田氏ご本人に送付させていただき、リプライをお願い致している次第です。
なお、改めて補足しますが筆者は、政府は常に間違わない、なぞというアホな事を主張しているわけではないと言う点はご理解ください(笑)。政府が正しいこと「も」あるのであり、それを過小評価してはなりませんし、素人の読者にそういう印象を与えるような言説を専門家が吐くことは許されざることなのではないか、と言っているに過ぎません。
(そうでなければ、「政府において正しい判断が下されるよう、全力を投入する努力をせねばならぬ」ということにならなくなって、結局、政府の「サボり」を助長してしまうことにもなりかねないのですから)。
なお、飯田氏が提示している政府の供給制約の議論は、上述の「泣き所発言=政府支出は平均的に不合理発言」を巡る議論を本流としたところの、「補足的議論」に過ぎません。
なぜなら、「政府支出が飯田氏の言うように平均的に無駄が多い」という事になるのなら、供給能力を上げる必要はあまりなくなりますが、当方が言う様に「平均的に無駄が多いとは言えない」ということになるのなら、供給能力を上げる努力を、国家として官民挙げてやっていくことが必要になるからです!!
だから!
この、「政府の合理性」「政府事業は無駄が多いのか否か」を巡る藤井VS飯田論争は、日本の国の行く末を考える上で、極めて重要な意味を持っているの…
[続きはコチラから]
https://mypage.mobile.mag2.com/WebLeading.do?id=8CwHisfoxno&position=4500#position
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2014/03/04
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先週、先々週のメルマガにて、今、明治大学の飯田氏が、雑誌VOICEにて、討論を行っています。
先週の当方からのコメントを受けた「飯田氏から再リプライ」をいただいており、かつ、その直後に当方からの再々コメントを、先方のメディア(シノドス)に掲載いただくべく、既にお送り致しております(なお、現在、一時的に当方のHPに掲載しています。ご関心の方は是非ご覧下さい)。
なお、これまでの経緯は以下となっております。
1.飯田氏より:月刊誌『Voice』3月号での連載「ニッポン新潮流」に関し、
2.藤井からの討論:http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/02/18/fujii-76/
3.飯田氏からのリプライ:http://synodos.jp/economy/7198
4.藤井からの追加コメント:http://synodos.jp/economy/7259
5.飯田氏からの再リプライ:http://synodos.jp/economy/7261
6.藤井からの再追加コメント:https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/486347314799550?stream_ref=10
これだけ討論が続いて参りますと、この話がどう展開しているか、ほとんど誰も分からなくなってきているのではないかと危惧します(笑)。
そして、話の「本流」がみえず、時々に出てくる補足的な話(支流)に対してだけ反応してしまう読者が、大半になってきているのではないかと。。。危惧しています。
(#例えば、「政府の供給制約問題」だけにかかずらったコメントをする、等です。それが如何に補足的なのかについては、最後に指摘します)
ついては、まずは、この長い討論のおおよその流れがどうなっているのかを、些末な論点や補足的な論点(支流)を捨象し、重要な話の流れ(本流)を、ここで簡単に解説しておきたいと思います(以下、上記の1.から6.の数字を使って解説します)(なお、以下の解説は、分かりやすくするために、直接言及しておられない単語も使用して解説しますが、趣旨としては、以下の通りとなると、筆者は理解しています)。
本流は何と言っても「政府支出は民間よりも無駄、不合理が多いと言えるのか?」というこの一点を巡る論争なのです。
1.飯田氏VOICE原稿
飯田氏が、
「政府支出には平均的に無駄が多い、
一方で、GDPは生産した価値の合計である。
だから、本来なら、無駄な政府支出は価値を生み出しているのではないため、
政府支出をGDPに加算することは正当で無い。」
と主張。
これに対して、当方が、「ツッコミ」を入れるところから、この討論がはじまっていくのですが、主な流れは、以下のA,Bの二つに集約されます。
(A)政府は民間よりも不合理なのか?
2.藤井
「飯田氏の議論は間違っている。
政府だけでなく民間も無駄を行っているのは明白。
一方で、民間だけで無く政府も有益な事業をおこなっている事も明白。
だから、政府支出だけをとりあげて、『GDPの泣き所』と主張するのは、
明らかに不当な言説だ」
と言うツッコミを入れる。
3.飯田氏 それに対して。。。
「そんなことはない。
教科書に載っている「主観価値説」に基づくなら、
経済における価値の源は、消費者の「主観」(いわば、好み)が決める、
という事になっている。
同時に、市場では、その主観価値で評価されなかった企業は淘汰される。
だから、おおむね、市場で活動する企業は、無駄がなくなっている。
一方で、政府には、その市場メカニズムが働かず、
消費者の主観(つまり好み)とは無関係な事業が展開されがち」
とリプライ。
(だから、「やっぱり、政府支出はGDPの泣き所」という自分の説は本質的な誤りではない、という事を示唆)
4.藤井 それに対して。。。
「あなたは間違っている。
人々の主観なんで移ろい易いもので、不合理なものだということは、
心理学でイヤという程証明され尽くしている。
だから、市場がおおむね正しいとは言えないのは、明白だ。
しかも、政府は、市場が無視しがちな、長期的な利益、広域的な公益を考慮することができるという点で、市場よりも優位性がある。
だから、政府が完璧だとは言えないとしても、
市場も完璧だとは言えないのだ。
だから、やっぱり、政府だけが無駄が多いと言うことを前提にして、
「政府支出はGDPの泣き所だ」というのは、不適切ではないか」
と言うことを改めて主張。
5.飯田氏 それに対して。。。
「確かに民間も政府も無駄なこともやれば、有益なこともやるが、平均的には民間の方が合理的だ」
とリプライ
6.藤井←今ココ
「あなたは今、民間の方が政府よりもより、平均的に合理的だ、と主張したが、あなたはその根拠を明確にしていない。当方が論駁議論を提示したにも拘わらず、それに触れずに同じ主張を繰り返しているだけではないでしょうか?」
というツッコミをさらに強く入れる。
。。。ということで、飯田氏が「政府支出はGDPの泣き所だ、なぜなら民間より政府は無駄が多いから」という論旨に対して、当方は「本当にそうなのか?」というツッコミを入れ、それに対して、明確な回答が未だ得られていない状況である。。。と当方は認識しているところです。
さて、もう一つの議論の流れは、「フロー効果があるのかないのか?」という議論です。
一つずつ、見て参りましょう。こちらについても、当方が、飯田氏の「政府支出はGDP統計の泣き所だ」発言に対して、次の様なツッコミを入れたところから始まります。
2.藤井
「万一、ある事業が完全に役に立たないものをつくる無駄なものあっても、そこで民間市場を活用する仕事が発注されるなら、経済効果(一般に言う、フロー効果)はある。だから、その意味でも、政府支出を「GDPの泣き所」と言うのは不当な言説だ。」
というツッコミを入れる。
3.飯田氏はこれに対して、
「やはり、「10億円配る」のと「10億円の無駄な事業を行う」のは同じだ」
と主張(これはつまり、政府支出は統計の泣き所だという飯田氏の説を、この点から弁護されたのです)
4.藤井 はこれに対して。。。
「『10億円配る』のと『10億円の無駄な事業をする』」とでは、飯田氏が主張する『主観的価値説』の観点から言って、異なるではないか!」
という形でのツッコミをさらに入れました。
これはつまり、飯田氏本人に返ってくる「ブーメラン」を、飯田氏本人が気付かない内に打ってしまっているのでは無いですか?と言う(少々高次元の w)ツッコミを入れた次第です。
5.飯田氏はこれに対して、
「やはり、「10億円配る」のと「10億円の無駄な事業を行う」のは同じだ」
という主張(これはつまり、「政府支出はGDP統計の泣き所だ」という主張を弁護された格好になっています)。
ただし、その際、当方が、両者がなぜ違うのかを説明した論理、つまり、「飯田氏の論理に基づいて飯田氏の主張は論駁されなければならない、というブーメラン型のツッコミ」に対しては、明確に言及されていません。ついては、
6.藤井は、今、
「あなたは、当方のツッコミに対して全く答えていないではないか?」
という再ツッコミを入れています。 ←今ココ
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以上、いかがでしょうか?理解の助けになりましたでしょうか。。。?
いずれにしても当方は、
「『政府支出はGDP統計の泣き所だ』という『政府支出は平均的に不合理だという趣旨の発言』をされたが、その発言は、論理的に正当化されないのではないですか?」
という事を主張したいがため
「だけ」
に討論を「はじめ」、終始一貫して、その方向からのツッコミを入れ続けている、という状況となっているものの、未だ、この当方の指摘に対して、適切には答えられて
「いない」
と認識している次第です。
ですがもちろん、当方が「勘違い」している可能性も常に残されていますから、常に、当方の意見は直ぐに飯田氏ご本人に送付させていただき、リプライをお願い致している次第です。
なお、改めて補足しますが筆者は、政府は常に間違わない、なぞというアホな事を主張しているわけではないと言う点はご理解ください(笑)。政府が正しいこと「も」あるのであり、それを過小評価してはなりませんし、素人の読者にそういう印象を与えるような言説を専門家が吐くことは許されざることなのではないか、と言っているに過ぎません。
(そうでなければ、「政府において正しい判断が下されるよう、全力を投入する努力をせねばならぬ」ということにならなくなって、結局、政府の「サボり」を助長してしまうことにもなりかねないのですから)。
なお、飯田氏が提示している政府の供給制約の議論は、上述の「泣き所発言=政府支出は平均的に不合理発言」を巡る議論を本流としたところの、「補足的議論」に過ぎません。
なぜなら、「政府支出が飯田氏の言うように平均的に無駄が多い」という事になるのなら、供給能力を上げる必要はあまりなくなりますが、当方が言う様に「平均的に無駄が多いとは言えない」ということになるのなら、供給能力を上げる努力を、国家として官民挙げてやっていくことが必要になるからです!!
だから!
この、「政府の合理性」「政府事業は無駄が多いのか否か」を巡る藤井VS飯田論争は、日本の国の行く末を考える上で、極めて重要な意味を持っているの…
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