小松ドットコムさんのブログ-STIL0039.jpg

蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座
獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座

日本の心を伝える会
メールマガジンNo.701
 2013/9/13

獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座獅子座
ホームページ
http://www.nippon-kokoro.com/
蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座蟹座

【転送歓迎】


日本の心をつたえる会です。

ねずブロメルマガ(有料版)のお申し込みは↓から。
http://www.mag2.com/m/0001335031.html


車車車車車


────────
■□【1】朝鮮通信使(1/3)
────────

秀吉の朝鮮征伐は有名です。
このとき捕虜としてたくさんの朝鮮人が日本に連れて来られました。

連れて来られたのは、儒者、陶工など特定の技術知識集団です。
私達の祖先は、それら知識や技術を学ぶために彼らを日本に連れ帰りました。
当時の記録をみると、彼らは「捕虜」というより、むしろ知恵のある者たちとして、敬い、歓迎されています。

ですから彼らは「国に帰れない」という悲しみはあったけれど、知識人あるいは技術職人として、日本で尊敬され、敬われ、十分な食物や、身の回りの諸事をこなす家人さえも与えられ、身分まで保証され、厚遇をされていたわけです。

ところが、ここは当時の李氏朝鮮の偉いところですが、名目上であっても「戦時捕虜」となるこれら渡来職人たちについて、日本に対して返還を申し出ているのです。
拉致被害が確認されていても何もしないどこぞの国とはえらい違いです。

返還請求をうけたとき、朝鮮人の儒家は、ほとんど帰国を希望したそうです。
ですから日本は、あご足つきで、ちゃんと彼らを朝鮮半島に送り返しました。

ところが技術職人である陶工たちは、多くが朝鮮帰還を拒否しました。
彼らは自らの意思で日本に残ったのです。


これには理由があります。
李氏朝鮮では、陶工たちは白丁(奴隷)であり、収奪の対象であり、最下層の賤民でした。
上から命令されたものを強制的に作らされ、少しでも反抗したり、作ったものが貴族である両班の気に召さなければ、極めて残酷な体罰が科せられていたのです。

ところが日本では、古来、技術者(職人)はたいへん高く評価されています。
研究や開発費用まで面倒をみてくれ、しかも家人まで与えてくれる。
体罰による身の危険もなく、好きなだけ、思う存分仕事ができる。

もちろんなかには、それでも日本人を信じられなかったり、どうしても故郷に思い残すところがあって帰国を申し出た者もいましたが、ほとんどの職人たちは、むしろ積極的に自分の意思で日本に残って腕を振るいたいと願ったのです。
つまり、圧倒的大多数の朝鮮人職人さんたちは、日本に居残ったわけです。

ところが李氏朝鮮にしてみれば、これが気に入らない。
あくまでも「返せ!」というわけです。

そうした李氏朝鮮の姿勢は、特に朝鮮との国境を接する対馬の対馬藩にしてみれば、大きな問題です。
なぜなら対馬藩は、島の田畑に限りがあるため、基本的に海洋からの漁労収入と、日本本土および朝鮮との交易が藩の財政と民政の柱だったからです。
いまも対馬は韓国からの旅行者にたいへんな苦労をしていますが、昔はそれに武力行使が重なった分、より一層の気遣いがあったわけです。
そこで対馬藩は、藩の領海内での漁業操業の安定化を実現するために、徳川幕府に李氏朝鮮の和解を願い出ました。

一方、李氏朝鮮です。
秀吉の朝鮮征伐のあと、ようやく明軍という脅威が去り、国情が安定してくると、いつものように自尊肥大が起こります。
李氏朝鮮は対馬藩に、日本が朝鮮征伐の謝罪をし、捕虜を帰すなら、国交を開いても良いともちかけました。
言うことをきかなければ、武器を持たない対馬の漁民に対して危害を加え、対馬に軍を出すというのです。
いつものやり方です。

そうなったとき何が起こるか、対馬の人たちには、元寇のときの苦い思い出があります。皆殺しにされ、女達は強姦され、裸にして軍船に吊るされ、食い物にされたのです。
こうした李氏朝鮮の意向に、対馬藩がどれだけ困ったかは、想像に難くありません。

ところが日本は、当時の李氏朝鮮を「国」としてさえ認識していません。
どういうことかというと、当時の日本もいまの日本も「国は民のためにある、民あっての国である」というのが、変わらぬ思考です。
その日本人から見ると、当時の朝鮮半島は、李氏という明と通じた強盗一家が、半島内を縄張りとして身勝手な暴虐暴政を行っているだけの未開の蛮族地帯でしかない。

当時の日本は、全世界の鉄砲の半数を保持し、世界最強の軍事大国です。
国家としての体裁をきちんととり、民百姓の人別帳まできちんと整備された日本にとって、朝鮮半島にある自称政権は、ただの暴力団でしかありません。
「外交」の名にさえ値しない。
これは正しい認識です。

そうはいっても対馬藩にとっては、相手がそういう手合いだから一層困るのです。

やむをえず対馬藩主の宗義成は、朝鮮出兵とは無関係の藩内の罪人たちの喉を水銀で潰して声を出せないようにしたうえで、「朝鮮人捕虜」として、李氏朝鮮に差し出します。
ひどい話のようですが、これも国を守るためです。

李氏朝鮮側も、形式が整っていれば「日本が捕虜を帰した」と公式には発表できるため、事実を知りながらこれを黙認して捕虜(実は罪人)たちを受け取りました。
李氏朝鮮の要求に従ったわけですから、これでひと安心、となるはずでした。

ところが、ひとつ要求が通ると、ますます増長して要求をエスカレートするのが、古来変わらぬ朝鮮人の特徴です。
今度は、対馬藩に対し、「日本の徳川幕府に、国書をもって朝鮮征伐行為を謝罪させよ」と言ってきたのです。

日本にしてみれば、秀吉の時代の朝鮮半島への進出は、あくまで明国が相手です。
朝鮮半島にある李氏朝鮮は、同じ朝鮮人から搾れるだけ搾り取っている明国の出先軍閥でしかありません。
前線にいる軍隊の長が、相手国に対して国家としての謝罪要求をしても、相手にされない。
あたりまえのことです。

けれどそうはいっても、その朝鮮と領海を接する対馬藩にとっては、李朝との交流は、死活問題です。
困りきった対馬藩宗家では、慶長十(1605)年、日本の謝罪国書を勝手に偽造し、李氏朝鮮に提出しました。
とんでもない、というご意見もあろうかと思いますが、李氏朝鮮は、日本の謝罪さえあれば、それ以上、ことを荒立てることなく、対馬藩の領海への侵害もしないと約束したのです。

このことは、平成十(1998)年の日韓共同宣言のときの日韓外交と酷似しています。
このとき日韓共同宣言をまとめたのは、当時外務大臣だった高村正彦氏(衆議院議員、現・自民党副総裁)です。
氏はこのとき、金大中韓国大統領(当時)から、「一度謝れば韓国は二度と従軍慰安婦のことは言わない」と説得され、「痛切な反省と心からのおわび」を共同宣言に明記しました。
その結果何が起こったかといえば、ひとたび日本政府から「反省とお詫び」を引き出すや、韓国は手のひらを返したように、今度はこの共同宣言をネタにして、慰安婦問題を日韓関係のカードに使い、賠償を要求し、韓国への巨額の財政援助をゴリ押しし、さらに世界中で、日本が朝鮮人をセックス奴隷にしたと宣伝してまわっています。

日本人の感性では、「綸言汗の如し」といって、ひとたび口に出したなら、それを守るのが信義の道ですが、朝鮮人にはそうした考えはありません。
ケモノと同じで、「いま」が満足できれば、真実などはどうでもいい。
約束などは、その場限りの言い逃れにすぎないのです。
実際に、朝鮮半島に渡り、そうした朝鮮人の習性を、日常的に目の当たりにしていた慶長・元和・寛永の頃の日本は、ですからそうした朝鮮人の体質、政情を体験的に熟知しています。
家康も、秀忠も、家光も、李氏朝鮮の言い分など、まるで頭から相手にしていません。

ひとつ皮肉な話があります。
対馬藩のことです。
対馬藩は、国書まで偽造して李氏朝鮮との関係修復をしようとしました。
これを推進したのが、藩主の宗義成です。
けれどこうした二枚舌は、日本人がもっとも嫌うものです。
このため家老であった柳川調興(やながわしげおき)が、三代将軍徳川家光に、「嘘はいけない」と藩主の宗義成を告訴したのです。

柳川調興は、たいへんな教養人で、支那語、朝鮮語にもよく通じ、古今の書物にも精通する人物でした。
おそらく、それだけに藩主の行動が許せなかったのでしょう。
江戸幕府内でも、幕府の官僚の一部は、柳川氏の意見を、もっともだと評価したようです。

そこで徳川家光の命令で、江戸城大広間において、江戸にいた全国の大名を全員総登城させたうえで、対馬藩主の宗義成と、対馬藩家老の柳川調興を直接対決が行われたのです。

理は、柳川調興にあります。
嘘はいけない。まして国書の偽造など、もってのほかです。

ところが、その場にいた全国大名の総意と、家光の判断は同じでした。
結論は、藩主宗義成はお咎めなし。
家老の柳川調興が津軽に流罪となったのです。

これはなぜでしょう。
なぜ嘘はイケナイと言った柳川調興が罰せられ、偽書を書いた宗義成が無罪とされたのでしょう。
普通に考えれば、これはおかしな裁決です。

けれど、このことは時代背景を考えると、理由は明白なのです。
現実に朝鮮出兵をしてきた全国の大名たちからすれば、民を人として扱わず、民に対して暴虐と貪りの限りを尽くし、平気で奪い、殺し、その肉を食らう李氏朝鮮の一族は、まさに獣であり、国の名に値しない。
獣に対して自己防衛のために偽書を送り、対馬藩の民衆の安寧を図るのは、たびたび熊に襲われる村人たちが、熊に偽の餌を与えて、熊からの被害を食い止めようとするのと同じである。
つまり宗義成の行動は、藩主として当然の行いであるとみたのです。

ですから李朝を「人の王朝」と考える家老の柳川調興のほうが、むしろ実態をわきまえない「曲学阿世の徒」であり、さらにはその曲学に基づいて藩主を告訴するなど、もっての他であると判断された。
だから、家老の柳川氏を遠島流罪としたのです。

江戸の武家社会では、この事件を「柳川一件」といい、幕末から明治にかけても、学問が空理空論に走ることを戒めた事件として、大切な教訓とされました。
要するに、いくら勉強ができてても、「民を靖んじる」という施政の本義を失っては、国民の生活を守ることはできない。
民を靖んじれないなら、それは無学と同じであるとされたわけです。
これが現代にも通じる、きわめて正しい姿勢であると思います。

もっとも対馬藩では、この事件で漢籍、朝鮮語に通じた柳川調興がいなくなり、朝鮮と直接交渉ができる通訳がいなくなってしまったため、藩主の宗義成は幕府に泣きついて京都五山の僧の中から漢文に通じた碩学を派遣してもらい、ようやく外交ができる体制を整えたという逸話も残っています。
苦労もあったことでしょう。
けれど施政とは何か、人材とは何かを考えるうえで、これはたいへん重要な歴史のエピソードであると思います。



※明日のメルマガに続く




コーヒーコーヒーコーヒーコーヒー


=========
【2】携帯で接続の皆様へ
=========

日心会ML等に携帯からお申込みや閲覧をご希望の方へのご連絡です。

せっかくお申込みをいただき、当会からお返事をさしあげても、携帯の≪迷惑メールフィルタ≫によって当会からのメルマガやメーリングリストが届かない、というケースが頻発しています。

お手数ですが、日心会入会申込の際、次の2つのドメインの受信が可能になるように、あらかじめご自身で携帯への設定をお願いします。

【ドメイン】
@nippon-kokoro.com
@freeml.com


指輪指輪指輪指輪指輪


回回回回回回回回回
<編集 配信>
日本の心を伝える会
<代表者ブログ>
ねずさんの ひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/
回回回回回回回回回
※配信停止依頼はコチラ
 ↓ ↓ ↓
assist@nippon-kokoro.com
(必ず件名に「配信停止依頼」と書いてください)