1) 中韓に侮られる日本民族の醜態    ― 主権回復を目指す会

2) 「経済成長率は 11%にできる : 下村治」 
 ― 成せば成る。成さねば成らぬ何事も。成せぬは人の成さぬなりけり。


3) 奇妙なドイツ人

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1) 中韓に侮られる日本民族の醜態    ― 主権回復を目指す会


「中韓に侮られる日本民族の醜態」(酒井信彦)【『月刊日本』2013年9月号 羅針盤
2013年8月22日】


八月を迎えて、また戦争の話題で盛り上がっている。三百万人の犠牲者という数字は、日本の歴史の中では空前の被害であるか知れないが、いつまでも戦争にこだわっているのはあまりにも愚かである。しかも過去にばかりに気を取られていると、現実が分からなくなり、未来考えることもできなくなる。

そうならないためには、日本人の戦争の被害を、世界史の中で客観的に眺めてみることも必要であろう。例えば、第二次大戦当時の日本の人口を約七千万人と考えると、三百万の犠牲は、約二十三人に一人ということになる。ところで、朝鮮戦争の朝鮮人犠牲者は、人口の一割を超えているはずであり、戦争でなくとも、シナ人のチベット侵略によって、人口の二割百二十万人が犠牲になったと、チベット人は主張している。

ただし戦争に情緒的にこだわり続けるのは、日本人の中に「反省屋」と言うべきものが存在していて、頻りに戦争を回顧・反省することを商売にしているからである。その典型が、朝日新聞・岩波書店を典型とするマスコミであり、またそれに重用される学者・知識人である。彼らは敗戦後たちまち占領軍へつらって、日本罪悪史観の宣伝係に転身した。更にそれに付け込んできたのがシナ人であり朝鮮人である。外交問題としての歴史問題は、一九八二年の第一次教科書事件、一九八六年の第二次教科書事件・靖国参拝問題とエスカレートし、九十年代からは慰安婦問題も出てきた。この内外合わせた歴史問題による攻勢に、自由民主党政権は卑屈に屈伏し続けた。その犯罪的責任者が、宮沢喜一・中曽根康弘・河野洋平と言った、自民党の最高首脳である。

この約三十年の歴史問題の歴史を通じて、日本人は官民を挙げて、偽善的で軽薄な謝罪を繰り返すことによって、まともな国家意識もその根底の民族意識も、すっかり喪失してしまった。この明白な事実を、シナ人・朝鮮人ははっきりと認識したのである。その証拠こそ、昨年から今年にかけての、中共・韓国両国のあからさまな対日蔑視行動の展開である。中共は尖閣諸島を核心的利益であり、日本に奪われたものだと、明白な侵略宣言をした。韓国の前大統領は竹島に上陸し、新大統領は加害者と被害者の立場は、千年経っても変わらないと言い、アメリカに行っても中共に行っても、日本の悪口を言い続けている。

かつてシナ人・朝鮮人が言っていたのは、我々は個人としては日本人に負けないが、団結力において日本人に劣る、とのことであった。しかしこれは全く過去のことになった。マスコミや知識人のみならず、政権政党自民党の中にすら、日本を貶めることを平気でやる、民族の裏切り者がゴロゴロと存在するようになったからである。現在の日本人は、かつての大和魂を有する誇り高い民族では全くない。シナ人・朝鮮人の方がはるかに国家意識・民族意識を持っているのであり、百年前とは立場が完全に逆転しているのである。ただしこの悲惨な現実は、まだまだ日本において正確に認識されていない。特に保守の側では、日本民族優秀論に浸っている人々がいるが、昔はともかく、日本民族は極度の劣等民族になっている現実を、厳しく直視しなければならない。

歴史問題において、日本人がシナ人・朝鮮人にやられている有様は、まことに無様極まりない醜態である。そもそも中共はまぎれもない現実の侵略国家であり、その侵略国家から尖閣を盗んだと因縁をつけられているからである。最近の中韓首脳会談で、歴史問題での対日共闘を宣言したが、休戦六十周年を迎えた朝鮮戦争では、韓国と中共は直接戦ったのであるから、韓国の民間人が中共軍に大量に虐殺されたことは間違いない。しかし首脳会談では、朝鮮戦争の話は全く出なかったらしい。また朝鮮人は慰安婦問題をナチスのユダヤ人大虐殺と同等の犯罪だと、とんでもないデマ宣伝をしている。つまり日本人は歴史問題において、謝罪すればするほど、その謝罪している相手に精神を侵略されているわけである。客観的に言って、これほど滑稽なことはない。日本民族として限りない恥辱であり屈辱である。最大の問題は、これだけ無様にやられても、まだ目が覚めないことである。

このままではシナ人・朝鮮人に迫害されるだけではない。現在それを見守っている世界中の人間も、日本人をことさらに侮ってくるだろう。それはすでに、慰安婦問題における欧米の反応や、麻生発言へのユダヤ人の攻撃に、明瞭に表れてきている。


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2) 「経済成長率は 11%にできる : 下村治」 
 ― 成せば成る。成さねば成らぬ何事も。成せぬは人の成さぬなりけり。



昨日、我々の仲間入りをした方からのブログ記事の情報です。
日本の高度経済成長時代は戦後10年近く経ってからの1954年(昭和29年)12月から石油ショックの1973年(昭和48年)11月までの期間だと言われています。
その期間の理論的支柱が下村治氏です。
その後どうして安定成長へ、そして低成長、デフレへとつながったかと言うと国際金融マフィアが戦略的に工作活動をして成功したから。

高度成長時代は所得が毎年増え、物価も上がる。物価が上がるのは国民にはつらいのですが、しかし数年経って過去を振り返ると生活は確かに良くなっている。
車を買える人は本当に少なかったが、いつの間にかみんなが持っている。冷蔵庫、電気洗濯機なんか当たり前。
それで国民は物価が上がっても納得でした。しかし納得しないのが金融賭博を稼業とする外国の卑しい博打打たち。

彼らにとっては殆ど全部の人が豊かになり、毎年所得が増え、物価が上がると生活水準の格差が生まれない。
日本企業は株主の為に一銭でも配当可能利益を増やすよりも会社を大きくすることに熱心。
なぜなら終身雇用だから古い従業員の給料は高くなるので会社を維持するには大きくするしかない。

だから日本企業の配当の率は非常に低いのですが、その代わり会社が大きくなるので株価が上がる。
それで良いではないかとなるのですが、配当で所得を得る、つまり不労所得で生活する証券賭博稼業家達は面白くないわけです。
つまり日本経済潰しは1987年からのバブル潰しからではなく、19703年から始まったのです。

それともう一つ重要な事があり、1936年にケインズが出した「雇用・利子および貨幣の一般理論」という本が世に出て、経済学の世界では大論争が始まりました。
ケインズ革命と呼ばれるほどの大変革の理論でした。
従来と何が違うと言って、従来は自由主義を唱える時代に発展した経済学で、政府は市場に手出しをするなと言う経済思想。

それに対し、ケインズ理論は不況期には政府は積極的に市場に介入せよ、という経済思想。

しかし、政府は市場に介入するな、という思想は経済強者の好きなようにさせろと言う意味となり、経済強者は王侯貴族と繋がりを付け、利権を独占的に得れば更に強者となります。
日銀のような中央銀行なんてその典型です。
だからケインズの主張するような政府が市場に介入すると言う発想とは敵対します。
それにさらに高度成長に付き物の物価上昇ですから、ケインズと従来の古典派がぶつかるのは当然の成り行きかと思います。

それで古典派の系統の者達が表に裏に活発に動いてケインズ潰しに必死なわけです。
古典派、新古典派あるいはシカゴボーイズ、マネタリストなどと言う名称の学派は古典派と同じ流れです。

増税は所得の内、税金を払った残りの可処分所得を間違いなく減らします。その増税額は約2,5倍の所得減をもたらします。
ですから消費税増税論の背後の思想は古典派の流れの思想だと言えるわけです。


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2011年10月05日
◆ 最大のトンデモ経済学者(下村治)

 下村治という経済学者がいる。常識に反して、「経済成長率は 11%にできる」という数値を唱えて、学界からは大反発を食らった。
 だが、現実にはその数値が達成された。かつての日本の「高度成長」時代を主導したのは、異端のトンデモ学者だったのだ。

 ──
    ( ※ 本項の実際の掲載日は 2011-10-08 です。)

 今ではほとんど夢物語に思えるだろうが、かつての日本には「高度成長」時代というものがあった。そこでは年率 11%もの高度成長が達成された。
 ではなぜ、そのような高度成長は達成されたのか? 自然にそうなったのか? 違う。「経済成長率は 11%にできる」という数値を唱えた経済学者がいたからだ。彼は異端の学者だったし、学界からは猛反発を食ったが、異端の首相である池田勇人が、その異端の学説を採用した。
 こうして、「所得倍増計画」という政策が取られた。その結果、まさしく、11%もの経済成長が達成され、所得倍増もまた達成された。
 これが「高度成長」時代に起こったことだ。
 そして、この異端の経済学者の名は下村治という。

 ──

 下村治という名前は、その業績に比して、あまり有名ではない。「所得倍増計画」を主導した池田勇人の名はあまりにも有名だが、「所得倍増計画」を提言した経済学者である下村治の名前はあまり有名ではない。Wikipedia でさえ、ろくに紹介していない。
  → Wikipedia 「下村治」

 しかし近年、NHK の番組で紹介されたことをきっかけに、いくらか名を知られるようになった。番組の情報は、ネット上にもある。下記。
  → 所得倍増計画を支えた「下村理論」 (感想)
  → その時歴史が動いた:所得倍増計画

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 ただ、それとは別に、読売新聞・朝刊 2011-10-08 には、詳しい特集記事がある。これがなかなか興味深い内容だ。私も初めて知った。電子新聞にはゴミみたいな記事ばかりがあるが、金を払えばまともな情報を得られる。(池田信夫みたいに電子新聞[無料版?]しか読まない人には届かない情報だが。)
 詳しい内容は、金を払った読者が読めばいいが、ここで簡単に一部を紹介しておこう。


 池田勇人は首相になる前に「所得倍増論」(賃金2倍論)を打ち出したが、その裏には私的な経済ブレーン集団「木曜会」があった。そこでは大蔵省出身の田村敏夫がイニシアチブを取ったが、彼は木曜会の中核として、近代経済学の数式を使ったモデル分析を駆使する下村治を据えた。
 下村は東大卒で大蔵省入省。結核に悩んだ。そのせいで大蔵省では主流からはずれたが、独自の経済理論を深めていった。下村の考えでは、日本経済は現在「勃興期」にあり、民間の設備投資意欲は旺盛で、年率10%以上の成長を続けることができるはずだ、とされた。
 56年の経済財政白書では、「もはや戦後ではない」と強調された。その意味は、これまでの高成長は戦後の復興需要によるもので、いったん戦前の水準に戻ったからにはもはや高成長は見込めない、という低成長論だった。このような低成長論が主流だったので、高成長を唱える下村理論は異端視された。(つまりトンデモ扱いだ。)
 下村は当時、後藤誉之介との「在庫論争」など、名だたるエコミストとの論争を繰り広げた。
 池田が「月給2倍論」を唱え始めた59年、//