日本を中国の隷属国家に転落させようと『努力』するおかしな人々
左翼活動家と在日中国人との共同陰謀が地下で躍動している
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板東忠信『静かなる日本戦区』(青林堂)
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中国人の横暴はいまさら指摘する必要もないが、百万近い中国人が日本に住んで、その一部は実に怪しげなことをやっているが、その実態がどうなっているか。末端の犯罪者がいかなる戦争準備をやっているかを坂東さんが論じた。中国の準備する対日戦争は別に武器をともなわなくとも宣伝、心理、思想戦争などを包括する「超限戦」である、と縷々説明がある。
著者は警察畑出身だけに、その道の専門書であるが、わかりやすい文章で構成されている。表紙にまず驚かされる。美女がチーパオを纏い、青竜刀を振りかざしているデザインかと思ったが、よく見るとこれは日本の大和撫子、日本刀を振りかざし、赤い中国に立ち向かっている構図である。
そうだ、沖縄独立、臨時政府樹立を準備する活動家の背景に潜む中国の長期的な謀略は、おおまかに知ってはいても具体的に誰が、どのような団体を名乗り、いったい日常どのような謀略に携わっているかを本書が具体に的に暴露しているのだ。
著者の坂東氏は通訳捜査官として夥しい中国人犯罪者の通訳を経験され、その舌を巻くしたたかな犯罪者の実像を伝える。
また中国人留学生への特別待遇は、すべてわれわれの血税でなされていることは、ようやく知られるようになったが現場の実態をもらすことなく書いている。
驚きはもう一つ。
日本語が出来なくても、運転免許は中国語の試験で可能という、いったい日本は何時の間に主権を捨てたのか。驚いたことに青森県、宮城県、富山県、石川県、静岡、愛知に京都も大阪も、全国十六府県で北京語で運転免許学科が受験できることになった。
おこるべくしておこった悲惨な事故は2012年4月29日、関越道で死者7,重軽傷者39という惨事を引き起こしたが、原因が寝不足の中国人運転手だった。しかも、この運転手は「帰化人ながら日本語ができず、通訳を必要とする程度」だったという。
こういう連中を取り締まる方向へ、国会審議は法改正をいそぐべきではないのか?
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 943】
――「中国第一印象」が・・・これだッ(米川の上)
「目覚めた獅子」(米川正夫 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
▽
おそらくロシア文学者の米川正夫(明治24=1891年~昭和40=1965年)は、日本人としては可なり早い時期に“新中国”を訪れ、籠絡された1人だろう。
米川は旭川第7師団や陸軍大学でロシア語教官を務め、陸大在籍時の1927年には十月革命10周年に招待を受けソ連を訪問し、日米開戦の41年には「依願退職」という形で陸大を事実上解雇されている。
トルストイやドフトエフスキーなどの翻訳・研究の第一人者ということだが、旭川第7師団や陸軍大学でどんな教官だったのか。興味深いところだ。
先ず米川は「私は今度はじめて北京に来て、中国の社会主義革命が一種独自の形で行われているのを感じた」と述べ、そうなった要因を「毛沢東の指導によることではあろうけれども、中国の国民性から来た点も少なくないと思う」と、中国の国民性と社会主義革命との相性の良さを強調する。社会主義革命は国民性の当然の帰結だ、ということか。
彼は53年10月1日の国慶節の式典に参加するが、「(天安門)広場は赤旗の波であったが、この赤旗がここでは血を連想させるような殺伐さを感じさせない」とし、「誰もが知る如く、中国の人民は古来赤色を愛して、これを慶びの色としているので、広場に林立している赤旗も、伝統的な国民的な赤と完全な調和の中に融けこんでいる」と大感激の態だ。
「デモの群集が運んでいる標語」を見ても、「殊に砕けた美しい行書の金文字で記されたものなど、床の間の懸軸か聯を鑑賞しているのと、やや共通した気分を起させる」。デモの群集が持つ造花は「さながら生きて動く花園の観を呈し」、「更に平和的な感じを強めるのであった」。天安門の楼上に立つ毛沢東の前にさしかかると、「群集は高く楼門の上を振り仰ぎ、しばし歩みをとどめて、歓呼の叫びをあげるのだが、この熱狂ぶりも単純素ぼくな美しさを含んでいる」――なんともはや、手放しの感動であり讃仰ぶりである。
戦前、米川が中国人をどう見ていたのかは判らない。だが、彼が天安門広場で目撃した中国人の溌溂とした姿は、戦前に中国を歩いた多くの日本人の旅行記に登場する不潔で、狡猾で、騒々しく、無気力な中国人とは、全くと言っていいほどに違っている。数千年の時間を経て鍛造されてきた彼らの民族性が社会主義革命を潜り抜けただけで一瞬のうちに変わるわけはないはずなのに、米川の文章には戦前の日本人が抱いていた中国人に対するマイナスのイメージは皆無である。いや、それに止まらず、中国人の鷹揚さに対する驚嘆ぶりが溢れ返っている。
「中国へ着いて第一に感じたことは、この国の人が非常に鷹揚だということである」
「この中国の鷹揚さは革命遂行の面にも現れている。例えば、ソヴェートの十月革命は一挙にして皇帝を葬り、貴族、資本家を滅ぼしたが(これは極端に走り易いロシアの国民性にもよる)、中国では今日なお資本家の存在を許容している」
「ともあれ、これらすべては中国人の大人的な鷹揚さ、清濁あわせ呑む的な包擁性の現われであることは間違いない」
中国人の「大人的な鷹揚さ」と「清濁あわせ呑む的な包擁性」が「ソヴェートの十月革命」とは異なった革命を中国で実現させたとでもいいたがに、毛沢東率いる中国共産党による革命が「大人的な鷹揚さ」と「清濁あわせ呑む的な包擁性」の対極にあったことは、たとえば土地革命における地主に対する残虐非道な処分をみただけでも明らかだろう。
いったい何を根拠に、「この中国の鷹揚さは革命遂行の面にも現れ/
左翼活動家と在日中国人との共同陰謀が地下で躍動している
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板東忠信『静かなる日本戦区』(青林堂)
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中国人の横暴はいまさら指摘する必要もないが、百万近い中国人が日本に住んで、その一部は実に怪しげなことをやっているが、その実態がどうなっているか。末端の犯罪者がいかなる戦争準備をやっているかを坂東さんが論じた。中国の準備する対日戦争は別に武器をともなわなくとも宣伝、心理、思想戦争などを包括する「超限戦」である、と縷々説明がある。
著者は警察畑出身だけに、その道の専門書であるが、わかりやすい文章で構成されている。表紙にまず驚かされる。美女がチーパオを纏い、青竜刀を振りかざしているデザインかと思ったが、よく見るとこれは日本の大和撫子、日本刀を振りかざし、赤い中国に立ち向かっている構図である。
そうだ、沖縄独立、臨時政府樹立を準備する活動家の背景に潜む中国の長期的な謀略は、おおまかに知ってはいても具体的に誰が、どのような団体を名乗り、いったい日常どのような謀略に携わっているかを本書が具体に的に暴露しているのだ。
著者の坂東氏は通訳捜査官として夥しい中国人犯罪者の通訳を経験され、その舌を巻くしたたかな犯罪者の実像を伝える。
また中国人留学生への特別待遇は、すべてわれわれの血税でなされていることは、ようやく知られるようになったが現場の実態をもらすことなく書いている。
驚きはもう一つ。
日本語が出来なくても、運転免許は中国語の試験で可能という、いったい日本は何時の間に主権を捨てたのか。驚いたことに青森県、宮城県、富山県、石川県、静岡、愛知に京都も大阪も、全国十六府県で北京語で運転免許学科が受験できることになった。
おこるべくしておこった悲惨な事故は2012年4月29日、関越道で死者7,重軽傷者39という惨事を引き起こしたが、原因が寝不足の中国人運転手だった。しかも、この運転手は「帰化人ながら日本語ができず、通訳を必要とする程度」だったという。
こういう連中を取り締まる方向へ、国会審議は法改正をいそぐべきではないのか?
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【知道中国 943】
――「中国第一印象」が・・・これだッ(米川の上)
「目覚めた獅子」(米川正夫 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
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おそらくロシア文学者の米川正夫(明治24=1891年~昭和40=1965年)は、日本人としては可なり早い時期に“新中国”を訪れ、籠絡された1人だろう。
米川は旭川第7師団や陸軍大学でロシア語教官を務め、陸大在籍時の1927年には十月革命10周年に招待を受けソ連を訪問し、日米開戦の41年には「依願退職」という形で陸大を事実上解雇されている。
トルストイやドフトエフスキーなどの翻訳・研究の第一人者ということだが、旭川第7師団や陸軍大学でどんな教官だったのか。興味深いところだ。
先ず米川は「私は今度はじめて北京に来て、中国の社会主義革命が一種独自の形で行われているのを感じた」と述べ、そうなった要因を「毛沢東の指導によることではあろうけれども、中国の国民性から来た点も少なくないと思う」と、中国の国民性と社会主義革命との相性の良さを強調する。社会主義革命は国民性の当然の帰結だ、ということか。
彼は53年10月1日の国慶節の式典に参加するが、「(天安門)広場は赤旗の波であったが、この赤旗がここでは血を連想させるような殺伐さを感じさせない」とし、「誰もが知る如く、中国の人民は古来赤色を愛して、これを慶びの色としているので、広場に林立している赤旗も、伝統的な国民的な赤と完全な調和の中に融けこんでいる」と大感激の態だ。
「デモの群集が運んでいる標語」を見ても、「殊に砕けた美しい行書の金文字で記されたものなど、床の間の懸軸か聯を鑑賞しているのと、やや共通した気分を起させる」。デモの群集が持つ造花は「さながら生きて動く花園の観を呈し」、「更に平和的な感じを強めるのであった」。天安門の楼上に立つ毛沢東の前にさしかかると、「群集は高く楼門の上を振り仰ぎ、しばし歩みをとどめて、歓呼の叫びをあげるのだが、この熱狂ぶりも単純素ぼくな美しさを含んでいる」――なんともはや、手放しの感動であり讃仰ぶりである。
戦前、米川が中国人をどう見ていたのかは判らない。だが、彼が天安門広場で目撃した中国人の溌溂とした姿は、戦前に中国を歩いた多くの日本人の旅行記に登場する不潔で、狡猾で、騒々しく、無気力な中国人とは、全くと言っていいほどに違っている。数千年の時間を経て鍛造されてきた彼らの民族性が社会主義革命を潜り抜けただけで一瞬のうちに変わるわけはないはずなのに、米川の文章には戦前の日本人が抱いていた中国人に対するマイナスのイメージは皆無である。いや、それに止まらず、中国人の鷹揚さに対する驚嘆ぶりが溢れ返っている。
「中国へ着いて第一に感じたことは、この国の人が非常に鷹揚だということである」
「この中国の鷹揚さは革命遂行の面にも現れている。例えば、ソヴェートの十月革命は一挙にして皇帝を葬り、貴族、資本家を滅ぼしたが(これは極端に走り易いロシアの国民性にもよる)、中国では今日なお資本家の存在を許容している」
「ともあれ、これらすべては中国人の大人的な鷹揚さ、清濁あわせ呑む的な包擁性の現われであることは間違いない」
中国人の「大人的な鷹揚さ」と「清濁あわせ呑む的な包擁性」が「ソヴェートの十月革命」とは異なった革命を中国で実現させたとでもいいたがに、毛沢東率いる中国共産党による革命が「大人的な鷹揚さ」と「清濁あわせ呑む的な包擁性」の対極にあったことは、たとえば土地革命における地主に対する残虐非道な処分をみただけでも明らかだろう。
いったい何を根拠に、「この中国の鷹揚さは革命遂行の面にも現れ/