昭和の教科書には、「初期の国際関係」の小見出しの中で、条約改正と清国・朝鮮との国交再開が大きな問題だったとしている。続いて西郷・板垣らの「征韓論」の紹介がある。

『しかし、1871(明治4)年、欧米各国巡回の途にでた岩倉具視・木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らが欧米近代国家の異常な発展をみて帰朝すると、かれらは外征より内治が先であるとして、強く征韓に反対した』

 と記述し、『岩倉大使一行の出発』という絵を掲示し、そのキャプションは次の通りである。『岩倉を全権とする使節一行と、ほかに留学生たちが同行した。大使の使命は先進国の政治や産業の視察と、条約改正の希望を各国に伝えるにあった。』とある。

 これに対して平成教科書は、小見出しは「初期の国際問題」としている。

『外交問題では、幕府から引き継いだ不平等条約の改正が大きな課題であった。1871(明治4)年末、右大臣岩倉具視を大使とする使節団(岩倉使節団)が、アメリカ・ヨーロッパに派遣され、まずアメリカと交渉したが目的を達することはできず、欧米近代国家の政治や産業の発展状況を細かく観察して帰国した。』

 また、説明が具体的な注がついている。

『安政の諸条約は1872(明治5)年から改正交渉ができるようになっており、使節団はその条約改正に関する予備交渉と、欧米の制度・文物の視察とを目的としたものである。一行は岩倉大使、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳の各副使以下約50名におよぶ大規模なもので、ほかに留学生が約60名加わっていた。留学生の中には津田梅子・山川捨松ら5名の若い女性もふくまれていた。』

 昭和の時代と比べると、平成の記述はさまざまな角度、視点から使節団をとらえようとしていることが分かる。
 

▼使節団の構成と行程

 副使の四人は参議木戸孝允、大久保利通大蔵卿、伊藤博文工部大輔(たいふ)、山口尚芳外務少輔(しょうゆう)。内閣制度をとっていなかった新政府は各省の長官は卿、輔は次官であり、大(つかさどる)と少(たすける)の名称を使っていた。一等から四等の書記官と、大蔵・宮内・兵部・工部・司法各省の理事官、その他多数の随行者が参加した。

 欧米への留学をするために集められたのは、先に書いた女子留学生が五人、中江兆民や団琢磨などの華族・士族の子弟四九人だった。

 一行は横浜港を明治四年十一月にアメリカに向けて旅立った。その後、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスなどを歴訪。一八七三(明治六)年九月に帰国するが、一年十カ月にもなった大旅行だった。

 彼らが留守にしていた間にも、国内では学制が公布され、鉄道も横浜・新橋間に開通、富岡製糸場も開業、国立銀行条例制定、そして列国と同様に太陽暦も採用された。


▼アメリカとの交渉に失敗

 一八七二(明治五)年一月、アメリカ大陸を横断してワシントンDCに到着した使節団はグラント大統領に謁見する。二月にはフィッシュ国務長官と条約改正の交渉に入った。しかし、とんだ失敗があった。本交渉には国家主権者が発行した全権委任状が必要である。

 大久保と伊藤が急ぎ帰国したが、本交渉を始めることは、使節団の使命を超えたものであると批判を受けた。結局、本交渉には進めないという条件で委任状を渡されたに過ぎなかった。二人がワシントンに戻ったのは六月のことである。

 国際交渉には互いの譲歩が必要である。どちらも自分たちの国益を考えるのが当然で、すでに手にした権利を見直す、場合によっては手放すのはまず不利益になる。そこで、わが国も当然、交渉を妥結しようとするためには、アメリカに何らかの譲歩を与えなくてはならない。すると、その譲歩は当然、片務的最恵国条款によって四カ国にも適用されることになる。そこで大久保・伊藤の渡米後、すぐに条約改正交渉を打ち切るようにした。

 その後の訪問国に対しても、改正の目的を伝え、希望を表明するといった形式的なものにとどまってしまった。
 

▼「文明」の壁

 アメリカの国務長官との交渉で指摘されたのは欧米的司法制度の整備である。欧米人は、ハラキリ、斬首などといった「残虐な刑」に嫌悪感をもつ人々が多かった。日本で法を犯したら、現地の官憲が捜査し、現地の裁判所が刑を科する。領事裁判権を手放したら、そのおぞましい前近代的な司法制度がある国に自国民を引き渡すことになる。そんなことができるかというのが列国政府の立場であり、欧米の民衆の声でもあった。

 また、わが国がキリスト教の布教を禁じていることにも不信感をもたれていた。使節団は行く先々で政府ばかりか民間宗教団体からも激しい抗議を受けた。教科書にも載る「五榜の掲示」にはキリスト教を厳禁するといった文言が確かにあった。そこで使節団は留守政府に対して、少なくとも黙許すべしといった献策を行った。しかし、留守政府は掲示を高札場からおろしはしたが、内容について取り消しはしなかったともいわれる。

 使節団は英国の産業の盛んな様子を目の当たりにした。それを支えているのは鉄と石炭だということも認識することができた。また、ドイツでは鉄血宰相といわれたビスマルクの演説を聞き、欧州の政情の弱肉強食の実態を身にしみて感じることができた。条約改正にはまだ至らなかったけれど、近代国家を目指すわが国の行く道について多くの知見を使節団はもたらすことができた。


(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴

荒木肇(あらき・はじめ)

1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書

「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供にも嫌われる先生」「東日本大震災と自衛隊」(いずれも並木書房 http://www.namiki-shobo.co.jp/ )

「日本人はどのようにして軍隊をつくったのか」

(出窓社 http://www.demadosha.co.jp/ )


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