中川機長から、緊急脱出が宣言されます。高度は360メートル、基地まであと4キロの距離でした。
パラシュートで脱出するには、ある程度の高さが必要で、この機の場合、300メートルなければ落下傘がじゅうぶんに開かないのです。しかし、その13秒後の13時42分27秒。
「ベールアウト!」。
ふたたび同じ言葉を受信。中川機長たちは、まだ脱出していなかったのです。高度は300メートル、安全に脱出できるギリギリの高さでした。しかし、この受信を最後に、中川機長からの無線連絡は途絶えます。
そして9秒後の13時42分36秒。
二人の乗ったT33は、地上約60メートルの高圧送電線に接触、入間川の河川敷に墜落しました。これにより、東京・埼玉で80万世帯に停電が起こったのです。
T33が送電線と接触する直前、近所の目撃者が乗員一人の脱出を見ていました。高度約70メートル。後席の門屋三佐でした。門屋三佐のパラシュートは完全に開かないまま墜落し、地面に叩きつけられ、亡くなりました。中川機長の脱出は、高圧線と接触したその瞬間だったようです。垂れ下がった送電線のほとんど真下に中川機長は放り出され亡くなっていました。
事故の概要を見てみると、ひとつの疑問が浮かびあがってきます。練習機に乗っていた二人の自衛官が、「ベールアウト」 すなわち、緊急脱出したのは、高圧線に接触した直前と、接触した瞬間です。しかし、二人は墜落する22秒前の13時42分14秒、さらに9秒前の42分27秒と、2度にわたり「緊急脱出」を宣言しています。にもかかわらず、どうしてすぐ脱出しなかったのでしょうか。そのときに脱出していれば、パラシュートの開く十分な高度があり、二人が亡くなることはありませんでした。この22秒間に、はたして何があったのでしょうか。
翌年の四月、空自の事故調査委員会が発表した調査結果があります。これによると、パイロットが一回目の「ベールアウト」を通報した13秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいたことについて、「いったん脱出しようとしたが、さらにもう少し頑張ろうとしたため」ということが分かりました。
いったい、彼らは何を「頑張ろう」としたのでしょうか。
実は最初に「ベールアウト」を宣言したとき、二人の眼下には、狭山ニュータウンの住宅街が広がっていたのです。彼らは危険を承知しながらも、地域住民に被害が及ばぬよう、何とか機体をコントロールして、人のいない入間川の河川敷まで機体を運び、そこで墜落したということなのです。
結局、二人は高度70mという墜落ぎりぎりのところまで踏ん張りました。高圧電線を切断して大規模な停電を発生させたとはいえ、民間の生命・財産に重大な被害を与えずに済んだのです。
もし宣言通りに高度300メートルで脱出していれば、彼らは助かったかもしれませんが、T33は住宅街に落ち、停電どころの騒ぎではなかったでしょう。
二人は己自身にせまりくる死の恐怖よりも、『国民の生命財産を守る、その使命のためには自らの命を懸けても職務を遂行する』という自衛官の宣誓を、身を以て実行したのです。
亡くなった二人の自衛官、中川尋史さん(享年47歳)と、門屋義廣さん(享年48歳)。何故、このような決断と行動ができたのでしょうか。二人はどのような人だったのでしょう。
中川さんと航空学生入学時からの同期生で、門屋さんのこともよく知る現役航空自衛隊員のKさんに話を聞きました。
中川尋史さんは、長崎県佐世保の出身で、地元の高校を卒業後、昭和47年に航空学生(第28期)となりました。自衛隊のパイロットに憧れる若者は多く、航空学生になるのは、大変な難関でした。およそ70名(当時)の募集枠に対して、毎年約3000名以上の志願者があり、学生の内、3分の1くらいは浪人経験者でした。その多くの学生同様に、中川さんも戦闘機のパイロットに憧れる少年の一人だったのです。
自衛官となった中川さんは、その後、指揮幕僚課程(CS)に合格。これは、航空自衛隊の将来を担っていく優秀な人材(幹部)を育成する部署で、ごく少数の隊員が厳しい試験で選ばれました。
もちろんパイロットとしても非常に優秀で、優れた技量が要求される飛行教導隊のアグレッサ(戦闘機のパイロットを訓練するための仮想敵機役)の任務についたほどでした。
門屋義廣さんは、愛媛県出身で、やはり航空学生 (第25期)から叩き上げのパイロットでした。操縦者としての腕は抜群で、早くからF15戦闘機に搭乗し活躍していました。一般に戦闘機の場合、飛行2000時間を越えると、ベテランのパイロットとされていますが、門屋さんはそれを大幅に超える6492時間。
生涯現役の操縦士の道を歩んだ門屋さんは、筋金入りのパイロットだったのです。親々とした性格で、いつも笑顔を絶やさない人で、門屋さんの怒ったところを誰も見たことがないほど優しい人だったといいます。
中川さん、門屋さんも含め、自衛官は一つ一つの任務を遂行しながら、しだいに自分なりに問いかけ、そして体得し、芽生えてくる意識があるといいます。
なかでも、もっとも重要な問いかけのひとつは、自分の乗っている飛行機が故障したら、どう行動すべきか、その時の覚悟についてです。これは航空自衛隊のパイロットであれば、誰もが考え、自ら悟っていくものだといいます。
昭和49年、名古屋第3航空団ではF86F機が故障し、市街地に墜落する事故が起こってしまいました。パイロットは、緊急脱出することなく、亡くなりました。その事故が起こって間もなく、中川さんは名古屋に着任しています。ですから、この事故は、中川さんにとってまったく他人ごとではありませんでした。もし、自分がこの機に乗っていたら、どうしていたか、考えさせられたことでしょう。
中川さんや門屋さんだけでなく、航空自衛隊パイロットは、こうした事故を自分のこととして受けとめ、たとえば死についても考え、パイロットとしての任務にあたるようになるのです。
自衛隊が組織として、「事故の時は、こうしなさい」 とあれこれ強制することはないそうです。しかし 「地上に被害を与えて、自分が助かってしまうのは潔しとしない」という覚悟が、しだいに芽生え、自分の中で育まれていくのだそうです。
Kさんは、中川さん、門屋さんの最後の心境について、次のように語りました。
「あくまで推測だけれども、・・・・ベールアウト自体、初めての経験だから、そのときの緊張は最高度だったと思う。ただ、ボイスレコーダーに記録された声を聞くと、とても落ち着いていますよ。・・・・もうここまでやった。・・・・これ以上は・・・・、あとは天に任せる、という心境だったのじやないかと。
だから、民間に被害を出さないように、かといって、高度的には(無事に脱出するのは)難しいとは判っていたけれど、自分自身も生きることに最大の努力を払っただろうと思います。
このような行動は、日本人のDNAの中にあるのではないかと思います。「武士道」というか・・・長い時間をかけて歴史の中でつくりあげた日本人のメンタリティー(精神性)、あるいは国民性と言ってもいいかもしれない。
この事故については、よく「自己…
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パラシュートで脱出するには、ある程度の高さが必要で、この機の場合、300メートルなければ落下傘がじゅうぶんに開かないのです。しかし、その13秒後の13時42分27秒。
「ベールアウト!」。
ふたたび同じ言葉を受信。中川機長たちは、まだ脱出していなかったのです。高度は300メートル、安全に脱出できるギリギリの高さでした。しかし、この受信を最後に、中川機長からの無線連絡は途絶えます。
そして9秒後の13時42分36秒。
二人の乗ったT33は、地上約60メートルの高圧送電線に接触、入間川の河川敷に墜落しました。これにより、東京・埼玉で80万世帯に停電が起こったのです。
T33が送電線と接触する直前、近所の目撃者が乗員一人の脱出を見ていました。高度約70メートル。後席の門屋三佐でした。門屋三佐のパラシュートは完全に開かないまま墜落し、地面に叩きつけられ、亡くなりました。中川機長の脱出は、高圧線と接触したその瞬間だったようです。垂れ下がった送電線のほとんど真下に中川機長は放り出され亡くなっていました。
事故の概要を見てみると、ひとつの疑問が浮かびあがってきます。練習機に乗っていた二人の自衛官が、「ベールアウト」 すなわち、緊急脱出したのは、高圧線に接触した直前と、接触した瞬間です。しかし、二人は墜落する22秒前の13時42分14秒、さらに9秒前の42分27秒と、2度にわたり「緊急脱出」を宣言しています。にもかかわらず、どうしてすぐ脱出しなかったのでしょうか。そのときに脱出していれば、パラシュートの開く十分な高度があり、二人が亡くなることはありませんでした。この22秒間に、はたして何があったのでしょうか。
翌年の四月、空自の事故調査委員会が発表した調査結果があります。これによると、パイロットが一回目の「ベールアウト」を通報した13秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいたことについて、「いったん脱出しようとしたが、さらにもう少し頑張ろうとしたため」ということが分かりました。
いったい、彼らは何を「頑張ろう」としたのでしょうか。
実は最初に「ベールアウト」を宣言したとき、二人の眼下には、狭山ニュータウンの住宅街が広がっていたのです。彼らは危険を承知しながらも、地域住民に被害が及ばぬよう、何とか機体をコントロールして、人のいない入間川の河川敷まで機体を運び、そこで墜落したということなのです。
結局、二人は高度70mという墜落ぎりぎりのところまで踏ん張りました。高圧電線を切断して大規模な停電を発生させたとはいえ、民間の生命・財産に重大な被害を与えずに済んだのです。
もし宣言通りに高度300メートルで脱出していれば、彼らは助かったかもしれませんが、T33は住宅街に落ち、停電どころの騒ぎではなかったでしょう。
二人は己自身にせまりくる死の恐怖よりも、『国民の生命財産を守る、その使命のためには自らの命を懸けても職務を遂行する』という自衛官の宣誓を、身を以て実行したのです。
亡くなった二人の自衛官、中川尋史さん(享年47歳)と、門屋義廣さん(享年48歳)。何故、このような決断と行動ができたのでしょうか。二人はどのような人だったのでしょう。
中川さんと航空学生入学時からの同期生で、門屋さんのこともよく知る現役航空自衛隊員のKさんに話を聞きました。
中川尋史さんは、長崎県佐世保の出身で、地元の高校を卒業後、昭和47年に航空学生(第28期)となりました。自衛隊のパイロットに憧れる若者は多く、航空学生になるのは、大変な難関でした。およそ70名(当時)の募集枠に対して、毎年約3000名以上の志願者があり、学生の内、3分の1くらいは浪人経験者でした。その多くの学生同様に、中川さんも戦闘機のパイロットに憧れる少年の一人だったのです。
自衛官となった中川さんは、その後、指揮幕僚課程(CS)に合格。これは、航空自衛隊の将来を担っていく優秀な人材(幹部)を育成する部署で、ごく少数の隊員が厳しい試験で選ばれました。
もちろんパイロットとしても非常に優秀で、優れた技量が要求される飛行教導隊のアグレッサ(戦闘機のパイロットを訓練するための仮想敵機役)の任務についたほどでした。
門屋義廣さんは、愛媛県出身で、やはり航空学生 (第25期)から叩き上げのパイロットでした。操縦者としての腕は抜群で、早くからF15戦闘機に搭乗し活躍していました。一般に戦闘機の場合、飛行2000時間を越えると、ベテランのパイロットとされていますが、門屋さんはそれを大幅に超える6492時間。
生涯現役の操縦士の道を歩んだ門屋さんは、筋金入りのパイロットだったのです。親々とした性格で、いつも笑顔を絶やさない人で、門屋さんの怒ったところを誰も見たことがないほど優しい人だったといいます。
中川さん、門屋さんも含め、自衛官は一つ一つの任務を遂行しながら、しだいに自分なりに問いかけ、そして体得し、芽生えてくる意識があるといいます。
なかでも、もっとも重要な問いかけのひとつは、自分の乗っている飛行機が故障したら、どう行動すべきか、その時の覚悟についてです。これは航空自衛隊のパイロットであれば、誰もが考え、自ら悟っていくものだといいます。
昭和49年、名古屋第3航空団ではF86F機が故障し、市街地に墜落する事故が起こってしまいました。パイロットは、緊急脱出することなく、亡くなりました。その事故が起こって間もなく、中川さんは名古屋に着任しています。ですから、この事故は、中川さんにとってまったく他人ごとではありませんでした。もし、自分がこの機に乗っていたら、どうしていたか、考えさせられたことでしょう。
中川さんや門屋さんだけでなく、航空自衛隊パイロットは、こうした事故を自分のこととして受けとめ、たとえば死についても考え、パイロットとしての任務にあたるようになるのです。
自衛隊が組織として、「事故の時は、こうしなさい」 とあれこれ強制することはないそうです。しかし 「地上に被害を与えて、自分が助かってしまうのは潔しとしない」という覚悟が、しだいに芽生え、自分の中で育まれていくのだそうです。
Kさんは、中川さん、門屋さんの最後の心境について、次のように語りました。
「あくまで推測だけれども、・・・・ベールアウト自体、初めての経験だから、そのときの緊張は最高度だったと思う。ただ、ボイスレコーダーに記録された声を聞くと、とても落ち着いていますよ。・・・・もうここまでやった。・・・・これ以上は・・・・、あとは天に任せる、という心境だったのじやないかと。
だから、民間に被害を出さないように、かといって、高度的には(無事に脱出するのは)難しいとは判っていたけれど、自分自身も生きることに最大の努力を払っただろうと思います。
このような行動は、日本人のDNAの中にあるのではないかと思います。「武士道」というか・・・長い時間をかけて歴史の中でつくりあげた日本人のメンタリティー(精神性)、あるいは国民性と言ってもいいかもしれない。
この事故については、よく「自己…
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