「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25(2013)年7月19日(金曜日)
   通巻第3986号   
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 アセアン歴訪中の「安倍外交」、次はラオス、カンボジア訪問も実現を
 「取り残された最貧国」支援がラオス、カンボジアの中国離れを促す
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 アセアン重視に軸足を移行した安倍政権にアジアが注目している。
安倍首相自らタイ、ベトナム、インドネシアを訪問し、ついでミャンマーへ大型経済使節団をひきつれて訪問した。
 参院選挙のあと、月末にはシンガポール、マレーシア、フィリピンを歴訪する。

 残るくにぐには「最貧国」のラオス、カンボジア、そして「資源リッチ」のブルネイだ。
 ブルネイに関して言えば、ブルギア国王自らが操縦して自家用飛行機で来日されたので、改めて訪問する必要性は薄い。

 問題は「取り残された最貧国」へのてこ入れである。
 カンボジア、ラオスともに親日派、まして過去の日本の援助は最大。ラオス首都のビエンチャンでは乗り合いバスの前後左右に日本国旗が飾られ、このバスは日本国民の善意による寄付です、と明記してある。日本の協力による北京空港にも、海南島のハイウェイにも一切の感謝の表示はないことと比べると、その恩義を表明する国民には心に血が通っているのではないのか。

 ベトナム、ミャンマーへのブームのような進出とは対照的にラオス、カンボジアへの日本企業の投資がきわめて少ない。
 少数の日本人がたとえばカンボジアで黒胡椒を、ラオスでラム酒を生産しているが、中小零細企業のたぐいで、産業の根幹を形成する大企業の投資が少ない。他方、中国とタイの両国への投資は凄まじい限りである。

 じつはラオスとカンボジアは地政学的にベトナムと対決する構造、そのうえ歴史の経緯から両国民はベトナムが嫌い、そのため外交的には「遠交近攻」策によって中国に異常接近しているのである。
 この死角を突き、状況を突破する次の外交戦略を日本は考慮するべき時がきたのではないのか。
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■BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー☆
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 領土問題の本質は何か、歴史を展望しつつ探る
 尖閣問題は軍事的視野からみると、こうなるだろうと大胆な予測も

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鍛冶俊樹『領土の常識』(角川ONEテーマ21新書)
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 軍事評論家として活躍する鍛冶俊樹氏が『国防の常識』に続く第二弾を上梓された。
 領土をめぐる歴史がぎっしりと濃縮されて、しかも日本の北方領土、竹島のみならず、世界史的に地政学的視野から世界各地の領土問題を展望する野心的な著作となった。
 『日本の常識は世界の非常識』であることは言を俟たないが、竹島とて、当時、海軍力で圧倒的に優位だった日本が竹島を奪回に行けば、すぐに解決できた問題である。しかし『世界の常識』が通じないため、日本は軍事力を行使しなかった。
 尖閣は日本の領土であり、日中間に領土問題は存在しない。もし中国が攻めてくれば、世界戦略上、沖縄を維持するアメリカが日本と共同して軍事行動を起こさざるを得ないというのが中国にも通じる世界の常識、しかし日本は「ない」ものを「ある」という中国側の言い分を大声で代弁する人がいる。
 南京大虐殺はなかった。「ある」と言っているのは中国のプロパガンダ、日本の精神を痛めつけ、二度と立ち上がれないようにする謀略の一環である。
 吉田松陰は言った。
 「日本が西洋列強に周囲を取り囲まれ、国内も侵されつつある状況に警鐘を鳴らし、そもそも西洋が優位に立ったのは軍事技術が優れているからであるから、その技術を学び、軍事力を向上させるべしと論じた」(中略)「地政学的な認識として、北海道以北を開拓し、カムチャッカ、オホーツク海を領有し、沖縄を正規に日本に編入、朝鮮半島、満州、台湾、フィリピンまでを日本の勢力範囲に収めよとの構想を示した」
 ロシアのほうが早く行動にでた。
「沿海地方を獲得、ウラジオストックの建設が始まり、樺太へのロシア人の入植も本格化した」(中略)明治「新政府は1875年、ようやくこの事態に対応すべく北海道に屯田兵を置き、同年、樺太をロシアに引き渡して千島列島を何とか確保した」。
けれども、これらの行動は後手後手の国家安全保障だったのである。吉田松陰の先見性が、いまさらながら身にしみる。
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  樋泉克夫のコラム   樋泉克夫のコラム   樋泉克夫のコラム
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  樋泉克夫のコラム
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【知道中国 938】    
 ――「蒙疆にまではみだしてゆく生活力にはおどろくほかはない」
 「朔風紀行」(尾崎士郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)


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大長編小説の『人生劇場』を著した尾崎士郎(明治31=1898年~昭和39=1964年)が万里の長城を越えて朔北を旅した昭和15(1940)年は、紀元二千六百年。日米開戦の1年前である。

7月に近衛内閣が発足し、9月には大政翼賛会が組織される一方、日独伊三国同盟も結ばれた。かくて日米関係は回帰不能点に向かって突き進む。中国においては汪精衛が1月に?介石に対日講和を勧告し、3月には南京に国民政府を成立させるなど、日中間も抜き差しならぬ情況に陥りつつあった。ついでにいうなら、フランスのビシー政権が日本側の要求を受け入れたことから、9月には日本軍は仏印(ベトナム)のドンタンに進駐している。

北京を発って張家口を目指す列車に乗り込んだ尾崎は、先ず「蒙疆まではみだしてゆく生活力はおどろくほかない」と記す。やがて「大同を過ぎると。どの駅にも警備隊が物々しく警戒している」。さらに進むと「山かげから馬に鞭って」匪賊が襲撃して来る地域だ。

かくも危険ながら、日本人は「蒙疆まではみだしてゆく」。だが、そんな中にも、尾崎の眼から見て好ましからざる人物は少なくなかったらしい。
なんでも「小駅の一等地は三分の二、もしくは四分の三の割合で日本人が権益を占めてしまっている」のだが、そのうえに「おどろくべきことは売笑窟の親爺が日本人会の会長であり、淫売屋の店頭に『日本人会本部』『産業組合事務所』――と大きな看板のならんでいるところもある」。

ここは占領地区だが、敵が完全に掃蕩されたわけではなく、現地民衆の眼も厳しいうえに戦場にも近い。そこで「軍は極度の警戒をもって不良日本人の侵入を防いでいる模様であるが彼等は何処からともなくずるずるとすべりこんでくる」。こういった「占領地区の小都会に跋扈する不良日本人」について、北京で会った旧友は尾崎に向かって、「一言で言えば彼等は立派な仕事をしなければならぬというヒロイズムがない。支那の民衆も戦争から生じた被害はあきらめている。
しかし、彼等の生活を根こそぎに奪ってゆく小商人の陰謀にはあきらめきれないものがあるのだろう」と告げたそうな。

その友人は、「私が一ばん恥ずかしい思いをしたのは山海関から北支に入るとき駅員が呉れる注意書の小冊子を一読したときであった。その中には、支那人は日本人を貞操観念の稀薄な、男女関係において規律のない人種だと思っているから特にその点を注意して欲しいと書いてあった」ことだったと、尾崎に述懐している。

友人は北京を拠点に軍の宣撫工作に携り、仏教の布教によって一帯の村落で農民に強い影響力を持つキリスト教勢力を排除しようとしているのだが、なかには「すぐれたカトリック教会の坊主」もいて、「政策化された宗教ではどうにもならぬということを痛感」している。