

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.650
2013/3/27









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■□【1】保守主義と日本主義-1
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「日本主義」について書いてみようと思います。
実は、今日の記事の一番最後のところでご紹介しますが、チャンネル桜の水島さんが、番組の「直言極限」で、「さらばマスコミ、さらば戦後保守」というお話をされています。
H24/9/21の放送分です。
実は、このことは、従前より多くの保守の皆様が疑問に思っていた点であろうと思うのです。以下の文は、その疑問に対する私なりの回答です。
よく、「保守」の対義語は「革新」だといわれます。「保守主義」の対義語は「進歩主義」という人もいます。
一方で「保守」は、過去に学び、そこから少しでもより良い未来を築こうとするはたらきだから、保守こそ革新であり、創造主義であり、進歩主義であるという人もいます。どちらが正しいのでしょうか。正直、よくわかりません。
一方、左翼を代表する共産主義者は、自分たちのことを「革新主義」であり、「進歩主義」といいます。ほんとうなのでしょうか。これまたよくわからないことです。
右翼というのは、反共、反米、反中、反韓等様々なものがありますが、反対するということは、その一方に「護りたいもの」があるから反対するのだということができます。では、その「護りたいもの」とはいったい何でしょうか。
そして右翼と保守はどこがどう違うのでしょうか。
そもそも私達にとって、自分たちが産まれた国を愛するという感情は、ごくあたりまえの素朴な人間感情です。なぜなら人は、木の股から産まれてくるわけじゃない。親がいて、祖父母がいて、愛され育てられて大人になるのです。ですから育ててくれた親を大事に思う、その親を産んでくれた祖父母をまた、大切に思う。そこから先祖代々の血脈にいたる血筋を大切に思う。これまた万国共通のあたりまえの人間感情です。
大人になった男女は、巡り会い愛し合って子が産まれます。子を愛し、子のために良い未来をと考えるのも、人として、これまたあたりまえのことです。
そして人が生きているのは現在です。現代を生きる知恵として、過去に学び、より良く生きることによって、未来を築く。これまた人類普遍のあたりまえの人間感情です。
これを否定するのが共産主義だと言われています。
ではその共産主義思想とは何かといえば、これを唱えたマルクスによれば、それは「ユートピア」の建設を求める社会思想なのだそうです。
「ユートピア」というのは、人が造る「地上の楽園」です。そこでは人々に貧富の差はなく、互いに手を携え、あらゆる制約から解放されて幸福な生を享受することができるのだそうです。
その「地上の楽園(=共産社会)」を築くために、富を独占している富者と闘争し、その富を取り上げ、貧者に再配分する。これには、強制的な大きな力が必要なので、それを国家規模の強制力で実現するというのが社会主義思想です。社会主義は、共産社会建設ための前段階であり、理想はあくまで「地上の楽園」にあります。
そして地上の楽園を目指して、すすんでいまある社会を破壊する。だからそれは「社会の革新」であり、社会を進歩させる「進歩主義」だとされています。
ところが、共産主義において、その地上の楽園である「ユートピア」が、いったいどのような社会体制をもったところなのか、という点については、共産主義を信仰する個々人の夢想に委ねられています。つまり、目指す先の具体的姿は、描かれていないのです。
その一方で、事前の策として、富者と闘争し、その富を奪い、貧者に再配分するということは、現実の出来事となります。これは簡単に言ったら、お金持ちが財産や美しい女たちを独占しているのはけしからんから、奴らを殺してオレたちで富も女も再配分しようではないかというのですから、乱暴な話です。
そもそも富というのは、そこに「ある」ものではありません。人々の努力と協力によって築かれるものです。
従って、金持ちを打ち倒してその富を配分しても、その富を新たに産み出す努力がなければ、再び貧しさに逆戻りとなります。わかりきったくらい、単純な話です。
しかも中には、要領よく立ち回って、再配分し消費された富を巧妙に回収して富者となる者もあらわれるわけで、そうなると再び富者が富を独占しますから、社会主義はどこまでいっても地上の楽園としての共産主義には至りません。子供でもわかる単純な理屈です。
ところが悪いことに、この思想は、「富者を倒し、富を奪う」という概念が正当化されています。
このことは、強盗や殺人鬼や権力のために自己肥大した政治家等にとっては、きわめて「都合の良い」思想です。つまり最近の流行語でいえば「愛国無罪」で、したがってソ連を打ち立てたレーニンやスターリン、あるいは中共を建国した毛沢東などが共産主義者であったことは一度もなく、むしろ邪魔者は消せとばかりの大量殺戮と、肥大化した自己陶酔による他国への軍事侵略ばかり起こしていたことは、歴史が示す事実です。
要するに共産主義というのは、単なる「破壊主義」、「権力主義」しか招かないわけで、どこまでいっても夢想する「地上の楽園(=ユートピア)」は、やってこない。このことも、20世紀という壮大な実験の結果が見事に証明してみせています。
にもかかわらず、共産主義が「革新」であり「進歩主義」というのは、寝言でしかない、ということです。共産主義による「地上の楽園(=ユートピア)」は、どこまでいってもやって来ません。
では、保守主義はどうなのでしょうか。
欧米で保守主義といえば、「保守主義の父」と呼ばれるエドマンド・バークが有名です。彼は、保守を「剣を抜く騎士道」と説きました。そこから派生して、彼の説く保守は「戦闘的イデオロギー」と呼ばれています。
バークの有名な言葉があります。
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1789年にフランスで革命が起こった時、暴民に囲まれてヴェルサイユ宮殿からパリに連行されるマリーアントワネット王妃の恐怖と悲しみを思い、義に馳せて「剣を抜け!」と訴える、戦闘的な荒ぶる魂なくしては保守主義とは言えない。
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さらに彼は次のように続けます。
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他者のために自らの生命を捨てる覚悟で義を貫く勇者の倫理こそ、高貴な自由と美徳にあふれた社会の根幹をなすものである。
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これがバークの主張です。
つまり「高貴な自由と美徳にあふれた社会」の形成のために「戦う意思」を持ち、現に戦うのが保守だ、とバークは述べているわけです。
問題はその「高貴な自由と美徳にあふれた社会」で、これは何かというと、西洋ではそれは「神のもとに還る」ことを意味します。
どういうことかというと、西欧では、キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、ギリシャ教であれ、ロシア正教であれ、唯一絶対神です。
万物は、その唯一絶対神によって創造されたと考えます。人間も神によって創造されたものです。
創造されたばかりの人間は、神によって庇護され、自由、平等、博愛に満ちた祝福された絶対幸福な生活を送っていました。エデンの園です。エデンは「神のもとの楽園」です。
ところが人間は、神に与えられた禁(タブー)を犯したことで、楽園を追放されます。これが人類の「原罪」です。「原罪」を負った人間は、神によって男には労働の苦しみ、女には出産の苦しみという罰が課せられています。
バークのいう「高貴な自由と美徳にあふれた社会」というのは、そうした信仰上、人間が放逐される前にいた「神のもとの楽園」を意味しています。つまりそこに還るというのは、「神のもとへ回帰する」という意味です。
