

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.646
2013/3/18









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■□【1】奴隷と人種排除-2
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※昨日からの続き
南北戦争以前の北部諸州ではどうだったかというと、北部には綿花のような中心となる産業がありません。
人はたくさんいますから、繊維製品の製造業や、日用品製造業、あるいは建設業等々の労働市場は数限りなくあったけれど、それら労働者市場は、白人移民たちの労働市場でもあったわけです。
ではそこに黒人奴隷という私的所有権に基づく労働力が介入してきたら、何が起こるか。答えは簡単です。白人労働者の職場が奪われるのです。
白人労働力は、雇用主からみれば、「契約関係」です。月給は20万よこせ。休みはよこせ。給料あげろ、気に入らなければ会社を辞めると言い出す。文句ばかり言って働かない。だからといって殺せば、こんどはコチラが殺人罪です。
ところが黒人奴隷を労働力として採用するとどうなるか。月給は半分でOK。所有物ですから、生殺与奪の権は、オーナーの側にあり、使い物にならなければ、売り飛ばすこともできるし、殺しても、あくまで「動産」であって「人」ではありませんから、罪になりません。
これは圧倒的な「力関係」となりますから、その分、黒人達にちゃんとした仕事を仕込めば、会社は儲かるようになります。経営者からみて、こんなに「都合の良い」労働力は、他にありません。
そうした奴隷制度が、北部の町に進出してきたらどうなるか。これまた答えは簡単です。北部の白人労働市場は壊滅し、黒人労働力が北部を席巻することになるのです。そしてこのことは、北部に住む多くの白人の生活を圧迫することになります。
だからこそ、北部の人々は、「奴隷制度」に反対し、黒人を「差別」することによって、北部の労働市場から排除しようとしたのです。
これはどういうことかというと、「黒人を差別する」というよりも、黒人の「存在そのものを否定」するという動きです。黒人がいるから、白人の労働市場が奪われるのです。ならば、この世から黒人を消すしかない。
ところが、南部諸州では、次々とアフリカから黒人を連れて来る。そして南部で何らかの事情であぶれた黒人が、北部に流れて来る。
住み着く。彼らだって食べなきゃいけないから、労働させてくれるところを探す。雇う雇用主が現れる。するとそこで、子が生まれ、ますます黒人が増える。そして増えた分だけ、白人は職を失う。
だから、排除するしかない。黒人に対する、米国内の人種差別というものは、だから「差別」というより「排除」の動きだったのです。
これを「人種差別」と書くからわかりにくいのであって、実際には「人種排除」だったと考えると、イメージをつかみやすくなるかもしれません。
しかし、米国自体が、黒人排除論に動くと、困るのは南部11州の農場主たちです。農奴を使っているから、商売になっているのです。それが白人の使用人たちにとってかわったら、コストは倍以上につきます。綿花農園そのものが存続できなくなる。
そこで起こったのが南部11州の、米国からの脱退と、アメリカ共和国の建国、そして南北戦争でした。
南北戦争では、南北合わせて320万の兵力が激突し、たった3年で、両軍あわせて123万人が死傷者を出した凄惨な戦いだったのです。
かわいそうなことに、この戦いに北軍側では、100万人以上の黒人義勇兵が、最前線で戦っています。
彼らは、この南北戦争が、「奴隷解放のための戦い」であり、「人種差別撤廃のための戦い」と信じていたのです。
結果として南部諸州が負け、もとの米国に戻り、そして米国では「奴隷制度」が廃止されました。しかし、人種差別は、以前より一層、酷いものにかわったのです。
要するにリンカーンの行った南北戦争は、北部諸州の白人の労働雇用を守るために、低賃金、終身雇用の労働力である「黒人を排除」することを目的として、黒人が米国内に増加する温床となっている南部の「奴隷制度」を、根こそぎ排除しようとした戦い、である、ということなのです。
ですから、南北戦争で、いっけん、人道主義的にみえる「奴隷制度反対」を主張した北軍は、実のところは、制度に反対していただけで、人種への偏見は、むしろ南部以上に酷かった。
そしてこのことが、義勇兵として参加した黒人を、前線で数多く死においやり、結果として両軍合わせて123万人というとほうもない死傷者数となった、というわけです。
そして南部の綿花栽培における「格安労働力」としての「黒人奴隷」が法的に禁止となると、黒人は法的には白人と同じ高コストな労働力となり、南部の綿花栽培を衰退させ、さらに、黒人の大量の失業者を産み出す結果となります。
そして人種差別は、人種排除の動きとなり、しかも黒人には「公民権」は与えられていないままですから、差別は一層過激なものへとなっていきました。
黒人奴隷は、農園主の貴重な財産としての「終身雇用財産」ではなく、単なる「人種排除、人種差別」の対象となっていったのです。
米国が、黒人に公民権を与えたのは、南北戦争から100年も経った昭和39(1964)年のことです。
では、その100年の間に、米国では何があったのでしょうか。
米国における黒人差別の実情については、さまざまな本も出ているし、ネットでも黒人問題等で検索すれば、たくさんの記事がヒットしますので、そのあたりは、是非、ご自分でお調べ下さい。
当ブログでも、過去記事
「公正な世界を目指して戦った日本」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-642.html
で、デュボイスの例をひいて、黒人差別の実態について書いていますので、ご参照いただければと思います。
問題は、奴隷解放をしたはずの南北戦争から、100年も経ってから、なぜ、黒人は差別の対象から米国市民としての「公民権」を与えられるようになったか、ということです。
実は、ここに日本が深く関係しています。
第一次世界大戦が終結した大正8(1919)年、第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことがないために「国際連盟」を創設しようという「パリ講和会議」が行われました。
このとき、米国の黒人たちが最大の注目したのが日本です。日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという、その時点ではまさに画期的な提案をかかげて、戦勝国の一員そてい講和会議に出席しています。
この講和会議に出席する日本の全権使節団は、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄りました。
本来ならば、パリに向かうなら、インド洋を回るルートが早道です。けれど、日本の使節団は、あえて別ルートで米国をまわったのです。
これには理由があって、人種差別撤廃を図りたい日本の使節団は、講和会議の議長役となる米国のウィルソン大統領に、あらかじめ根回しをして人種差別撤廃への協力を求めようとしたからです。
ですから、この日本の訪米は、長年人種差別と戦ってきた米国の黒人社会が大絶賛しています。
「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人は、日本の使節団に「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、という嘆願書まで渡しているのです。
「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」
これは、全米黒人新聞協会が発表したコメントです。
人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。
当時、ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、やはり黒人紙の「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べています。
