■ しつけや挨拶にも「金がすべて」の思想が現れている

 では、中国人が現実的で現世的であるとはどういうことかというと、中国人にとって価値のあるものは、すべてお金で換算できるものであって、「金がすべて」ということである。例えば、中国人は新年に必ず「恭喜発財(コンシファーツァイ)」と挨拶する。日本人は「新年明けましておめでとうございます」と挨拶するが、中国人は「恭喜発財」、即ち「儲かるように」と挨拶するのが常である。また、中国人が新年に家の門に張り出す「春聯(チュンリェン)」を見ても、よく見かける文句に「招財進宝(ザォツァイチンバォ)」という言葉がある。つまり「財を招いて宝を入れる」という意味で、これはもっとも一般的な春聯の文句である。

 中国人の子供に対する教育では、日本と同じように「よく勉強しなさい」と言う。しかし、その意味は、日本人の親たちが子供に期待しているような「立派な人間になりなさい」とか「社会に役に立つような人間になりなさい」というようなことではなく、中国人の考えでは、勉強しないと「出世できなくなる」「金儲けができなくなる」ということを意味しているのであるまた、子供が出世しお金持ちにならなければ、親が困るからでもある。

 「名利双収(ミンリースワンソウ)」という言葉が中国にはある。ここに中国人の考え方の究極的な概念が端的に表されている。意味は「有名になって金持ちにもなる」ということである。そのためになにが必要かというと、権力が必要だと考えるのである。

 古来から中国では、勉強とは官僚になるためのものであって、科挙(かきょ)制度をみても、勉強して官僚になって権力を手に入れることが最終目的なのである。権力者になれば利益をたくさん得られるし、有名にもなれるという理屈なのである。中国の庶民的な言葉で、学校でもよく教えていることわざに「書中自有黄金屋」「書中自有顔如玉」がある。これは書物の中に黄金の家、即ちたくさんの財産があり、「顔如玉」即ち美人も出てくるということだ。勉強して出世さえすれば、たくさんのお金が入るし、美女をはべらすこともできるという意味だ。

 つまり、勉強する最終目的とは、金が儲かり、美女をはべらすような豪奢な生活を手に入れるため、というものだ。これが中国人の究極的な思想なのである。このように至って現実的なのが、中国人の本質なのである。

 中国人は、人と会うと、初対面の人であっても平気で収入を聞いてくる。まるで挨拶でもするように「あなたは一ヶ月の収入をいくらもらっているのですか」と聞いてくる。これは、中国人が収入をもって人間の価値を判断するという卑近な例だが、このようなところにも「金がすべて」という中華文化の本質がはしなくも表れている。「神は細部に宿る」という。このような挨拶の文化は日本ではまず見られない。

 国家が解体し、経済がすべてとなった感のある日本は「エコノミック・アニマル」と呼ばれた時期があったが、日本人がエコノミック・アニマルならば、中国人はまさに「金の亡者」といってもよいのである。

■ 蒋介石政権が拝金主義を台湾に持ち込んだ

 台湾人は五十年間、日本の影響を受けたせいで、中国人的な面は非常に薄くなっている。だから戦後、中国人が台湾を占領したとき、台湾人にとって慣れないことは「金がすべて」という中国人の文化だった。しかし、中国人による占領が長引くにつれて、台湾には汚職文化や「袖の下」文化が行政にも司法にも蔓延したのだった。

 蒋介石政権下では司法も、大陸から台湾に逃げ込んだ中国人(外省人)に独占され、よく「有銭判生、無銭判死」と言われた。金があれば生きる、金がなければ死ぬ、ということだ。裁判官にお金を包んでいくことができれば死刑になることはない、つまり裁判に勝てるということで、逆に包めなかったら裁判に負けるということを意味する。

 このような中国的なやり方は蒋介石政権が台湾に持ち込んだもので、拝金主義が台湾に広まった原因はこの中国人の文化にあった。もちろん、中国本土に比べれば、台湾の拝金主義はかわいいものだが、拝金主義、金がすべてとする文化、これが中国人の本質なのだ。われわれ戦後世代の台湾人や中国文化に汚染された台湾人なら、よくわかることなのである。

 もちろん日本にも「地獄の沙汰も金次第」ということわざに示されるように、お金がすべてを解決するという考え方がある。しかし、お金で解決できないこともたくさんあると考え、お金に執着心を持たない日本人もまたたくさんいるのである。

■ 国の指導者にも値段をつける中国人

 では、日本の拝金主義と中国の拝金主義はどう違うのかというと、その違いには雲泥の差がある。レベルが違うといってよい。中国の拝金主義は、命の値段を含め、嘘偽りなくすべてを金で換算する。これは日本人の想像を絶している。

 例えば、日本人が中国へ行くと要人に会いたがる人が少なくない。中国の要人と記念写真を撮りたがる人が極めて多い。この仲介をしているのが日中友好協会であるのは周知の事実なのだが、実は要人には相場がある。首相クラスの場合は二百万円とか、その下なら百万円とか相場が設けられているのである。

 中国では一国の指導者に相場がある。あらゆる人物に値段が付けられているのである。しかし、このことを日本人はよく分らないようだが、これが中国の本質なのである。日本人が中国と付き合う場合は、中国が表に出している大義名分や歴史認識、文化だの道徳だの、これらはすべてウソであり、単なるひとつの手段であることを認識すべきなのである。

 中国人の究極的な価値観、欲望を一言でいえば、権力を手に入れて、名声と独占欲を満たすことに尽きる。欲望の塊というなら、それは中国人なのだ。日本人はこの中国人の本質を敢えて見たくないから目をつぶっているのかどうか分らないが、理解できていないように私には見えるのである。しかし、それでは面と向かって中国と競争することもできないし、中国自身がまともに取り合うこともないと断言しておこう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

参考

「中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版





『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html