では、同様にかつて日本が正式に条約によって外国人租界として、あるいは日本人租界として、あるいは日本の租借地として保有していたエリアを、支那人達が一方的に攻撃してきたら、それは何を意味するでしょうか。

日本人が日本にある米軍基地を攻撃するのと、それは同じ意味をもちます。あたりまえのことです。

それが何を意味するかと言えば、支那人による日本への侵略行為です。たとえそれが支那大陸内部の出来事であったとしても、租界や租借地への攻撃は、侵略行為です。

しかも、ただ攻めて来ただけではない。きわめて残虐な方法をもって日本人を殺害し、子供まで殺し、女性は陵辱し、妊婦には生きたまま腹を裂いた。

そういう非道は日本人がした? 冗談じゃないです。支那人と朝鮮人が日本人に対して行った蛮行です。

嘘だと思うなら、当ブログの通州事件、尼港事件などを読んでみてください。
通州事件 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1025.html
尼港事件 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1339.html

尼港事件に至っては、日本の大使館が襲撃され、大使が殺害されているのです。

それでも日本は我慢しました。なんとか、平和に、互いに理解し合うことで戦乱を避けようとしました。

それはどこぞの国の昨今の外務省のような弱腰というものとは、意味が異なります。ちゃんと話し合って解決の糸口をつかむこと。
軍事的衝突を避けること。
それは東亜の団結と自由を願う日本の悲願だったし、そうせざるを得ない事情もあった。

その事情とは何か。日本は、結果として、後年、支那国民党と戦いました。けれど、日本がやむなく上海派遣軍を派遣することになったとき、つまり支那事変がはじまったとき、日本の陸軍兵力は全部動員してもたったの25万でした。国内にも兵力を残さなきゃならないから、外地に派遣できるのは、がんばっても10万少々です。

それに対して、国民党の率いる陸軍兵力はどれだけあったか。

210万です。21倍の兵力です。

しかもナチスドイツから兵器を得て、軍装もドイツ式。最新鋭の装備を持っていて、しかもドイツ人将校から直接軍事指導を受けていた。要するに当時の国民党は、東亜最強といえる陸軍兵力をもっていたのです。。

だから日本を軽んじた。そして通州事件や廊坊事件のような挑発を繰り返した。

日本人居留民の住む日本人租界を公然と襲った。日本を挑発したのです。でも、日本は戦乱にしたくなかった。

当然です。

支那の兵力は、日本の21倍もあるのです。苦しい戦いになることは目に見えている。けれど、現実に被害は起こっている。

大陸にいる日本の民間人や、無責任な当時のメディアは、日本軍に向けて「おまえらの腰の軍刀は竹光か!」と怒鳴りつけ、戦乱をあおりました。

けれど、軍事行動は起こしたくない。大衆は、無責任に熱くなるかもしれないが、国家が兵を動かすというのは、たいへんな責任を負うのです。現実に兵を動かせば死者も出る。被害も出る。戦費もかかる。

しかも日本は貧しいのです。日本陸軍最強とうたわれた関東軍でさえ、歩兵銃の支給は、歩兵三人にひとつです。一本の銃を三人で共有ですよ。

しかもトラックの支給もわずかしかなかったから、大陸に行ったら、陸路を延々と歩いて行軍しなきゃならない。札幌福岡間くらいの距離を50kgの背嚢背負って行軍するのです。

誰だっていやですよ。つらいですよ。しかもそうやって苦労をかける兵達が、生きて帰れる保障はどこにもないのです。なにせ敵は21倍です。最新装備です。

それをわかっていて、でも戦わざるを得なかった。なぜでしょう。

軍人が勇気を持って戦わなければ、民間人にもっとたくさんの被害者が出るからです。だから戦った。

そして戦ったのは、誰でしょう。他の誰でもありません。若き日の私達の父祖たちです。我々の身内が、そういう苦しい戦いに赴いたのです。

その若き日の父祖達は、なんのために戦ったのですか?
輪、和のためです。
東亜の和を守るためです。徒に人を殺す無法者達を、追い払うためです。

敵は、完全武装の21倍の敵です。考えてみてください。200人の敵が、マシンガンを手にして、爆弾まで手にして、さらにトーチカまで作って手ぐすね引いて待ち構えている。そこに、たった10人で戦いに赴くのです。しかも、三八式歩兵銃がたった三挺しかない。弾薬の数も限られている。それで戦う。

みなさん。できますか?息子達にさせますか?

それでも行かなきゃならないところまで、日本は挑発され、貶められ、多数の民間人が犠牲になっていたのです。だから日本は出兵した。その、どこがいったい「侵略戦争」なのでしょう。

みなさん、これって、強盗を捕まえようとした警察官が、逆に強盗から「お前が強盗だ」といわれているに等しい。そうだと思いませんか?

これは是非知っていただきたいのですけれど、日本軍の戦いというのは、大東亜戦争の緒戦で勝利を連続させているときでさえ、たいへんに苦しい戦いでした。日本は貧乏ですからね。弾の数にも限りがある。
だから、敵と銃撃戦をやっているさなかでさえも、伝令が常に飛んできては、弾を何発撃ったか、あと残りは何発残っているかと、逐一聞きにくるのです。
その都度、正確に報告しなきゃならない。
それが日本軍です。
昨今のビデオゲームのように、無制限に弾を乱射し続けるなんてことは、日本軍の兵隊さん達には決して許されないことでもあったのです。

そんな状態で、戦いに行かせますか?
侵略などできますか?
侵略戦争などする気になれますか?
いまどきの左翼は、何を寝言を言っているのかと言いたいのです。

史実を知れば、日本人は誰もが目を覚ましてしまいます。だから近代史を学校では教えない。教えないから、知らない。知らないから、いい加減な嘘をまきちらされると、「そうなの?」と、これまた日本人は人が良いから、素直に信じ込んでしまう。


「日本が侵略戦争をした」って、日本に何のメリットがあるのですか?
そもそも210万の支那陸軍に対して、25万の陸軍でどうやって戦うのですか?
侵略したのはどっちですか?

みなさん、さきほど「200人のマシンガンを手にした完全武装の敵に、コチラはわずか10人で、しかもたった三挺の単発銃で立ち向かった」と書きました。

普通なら、そんな戦い、負けです。勝ち目なんてないです。

ところが、日本軍は、戦う先々で連戦連勝でした。
なぜですか?
相手が弱かったからですか?
いいえ、違います。相手はドイツ式装備にドイツ式教練を受けた精鋭です。

でも勝った。なぜですか?

戦前の歌で「父よあなたは強かった」という歌があります。その歌詞に書いてある。

泥水啜(すゝ)り草を噛み、荒れた山河を幾阡里(いくせんり)も、重さ50キロの背嚢を背負い、戦友の遺骨を抱き、重傷を負った友に肩を貸しながら行軍し、マイナス40度にもなる酷寒の中で三日も水に浸かり(あまりの冷たさに、10分もすると金玉が猛烈に痛くなるのだそうです)、呑まず食わずで10日も過ごしたり、それでも国のみんなの誠意を、人々の和を輪を実現しようという誇りに燃えて、辛い中を歯を食いしばって耐えながら、戦ってくれたのです。

その父祖の苦労を忘れたのみならず、侵略戦争だのと汚名を着せられて、何も考えずに「そうなんだ」と軽く考える。もうインチキに騙されるのは、コリゴリです。

私達は胸を張って、こう言いましょうよ。
俺たちは非道を相手に、勇気と真心で戦ったのだと。

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