

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.632
2013/2/21


















■皇后陛下のご講演(3)





※昨日からの続き
生きている限り、避けることの出来ない多くの悲しみに対し、ある時期から子供に備えさせなければいけない、という思いがあったのでしょうか。そしてお話の中のでんでん虫のように、悲しみは誰もが皆負っているのだということを、子供達に知ってほしいという思いがあったのでしょうか。
私は、この文庫の編集企画をした山本有三につき、2、3の小説や戯曲による以外詳しくは知らないのですが、「日本名作選」及び「世界名作選」を編集するに当たっては、子供に喜びも悲しみも、深くこれを味わってほしいという、有三と、その協力者達の強い願いがあったのではないかと感じられてなりません。
本から得た「喜び」についても、ここで是非お話をさせて頂きたいと思います。
たしかに、世の中にさまざまな悲しみのあることを知ることは、時に私の心を重くし、暗く沈ませました。しかし子供は不思議なバランスのとり方をするもので、こうして少しずつ、本の中で世の中の悲しみにふれていったと同じ頃、私は同じく本の中に、大きな喜びも見出していっていたのです。
この喜びは、心がいきいきと躍動し、生きていることへの感謝が湧き上がって来るような、快い感覚とでも表現したらよいでしょうか。
初めてこの意識を持ったのは、東京から来た父のカバンに入っていた小型の本の中に、一首の歌を見つけた時でした。それは春の到来を告げる美しい歌で、日本の五七五七七の定型で書かれていました。
その一首をくり返し心の中で誦していると、古来から日本人が愛し、定型としたリズムの快さの中で、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われました。詩が人の心に与える喜びと高揚を、私はこの時始めて知ったのです。
先に私は、本から与えられた「根っこ」のことをお話いたしましたが、今ここで述べた「喜び」は、これから先に触れる「想像力」と共に、私には自分の心を高みに飛ばす、強い「翼」のように感じられました。
「世界名作選」の編集者は、悲しく心の沈む「絶望」の詩と共に、こうした心の踊る喜びの歌を、その選に入れるのを忘れてはいませんでした。ロバート・フロストの「牧場」という詩は、私にそうした喜びを与えてくれた詩の一つでした。短い詩なので読んでみます。
「牧 場(まきば)」
牧場(まきば)の泉(いづみ)を掃除(さうぢ)しに行(い)ってくるよ。
ちょっと落葉(おちば)をかきのけるだけだ。
(でも水が澄(す)むまで見てるかも知れない)
すぐ帰(かへ)ってくるんだから―君も来(き)たまヘ
小牛(こうし)をつかまへに行ってくるよ。
母牛(おや)のそばに立ってるんだがまだ赤(あか)ん坊(ぼう)で
母牛(おや)が舌(した)でなめるとよろけるんだよ。
すぐ帰(かへ)ってくるんだから―君も来たまヘ
この詩のどこに、喜びの源があるのか、私に十分説明することは出来ません。
勿論その詩の内容が、とても感じのよいものなのですが、この詩の用語の中にも、幾つかの秘密が隠れているようです。
どれも快い想像をおこさせる「牧場」、「泉」、「落葉」、「水が澄む」等の言葉、そして「すぐ帰ってくるんだから―君も来たまえ」という、一節ごとのくり返し。
この詩を読んでから7、8年後、私はこの詩に、大学の図書館でもう一度巡り会うことになります。
米詩の詩歌集(アンソロジー)の中にでもあったのでしょうか。この度は原語の英語によるものでした。
この詩を、どこかで読んだことがある、と思った時、二つの節の最終行のくり返(かえ)しが、記憶の中の日本語の詩と、ぴったりと重なったのです。
「すぐ帰ってくるんだから―君も来たまえ。」
この時始めて名前を知ったバーモントの詩人が、頁の中から呼びかけてきているようでした。
英語で読むと、更に掃除(クリーン)、落葉(リーヴス)、澄(クリアー)む、なめる(リック)、小牛(リトルカーフ) 等、L音の重なりが快く思われました。
しかし、こうしたことはともかくとして、この原文を読んで私が心から感服したのは、私がかつて読んだ阿部知二の日本語訳の見事さ、美しさでした。
この世界名作選を編集する時、作品を選ぶ苦心と共に、日本語の訳の苦心があった、と山本有三はその序文に記しています。
既刊の翻訳に全て目を通し、カルル・ブッセの「山のあなた」の詩をのぞく、全ての作品は、悉く新たな訳者に依頼して新訳を得、又、同じ訳者の場合にも、更に良い訳を得るために加筆を求めたといいます。
私がこの本を読んだ頃、日本は既に英語を敵国語とし、その教育を禁止していました。戦場におもむく学徒の携帯する本にも、さまざまな制約があったと後に聞きました。子供の私自身、英米は敵だとはっきりと思っておりました。
フロストやブレイクの詩も、もしこうした国の詩人の詩だと意識していたら、何らかの偏見を持って読んでいたかも知れません。
世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供達のために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時これらの本を手にすることの出来た日本の子供達にとり、幸いなことでした。
この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、又、人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう。
因(ちな)みにこの名作選の最初の数頁には、日本や世界の絵画、彫刻の写真が 、黒白ではありますが載っていました。
当時私はまだ幼く、こうした編集者の願いを、どれだけ十分に受けとめていたかは分かりません。しかし、少なくとも、国が戦っていたあの暗い日々のさ中に、これらの本は国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私にかいま見させ、自分とは異なる環境下にある人々に対する想像を引き起こしてくれました。
数冊の本と、本を私に手渡してくれた父の愛情のおかげで、私も又、世界の屋根の上にぷっかりと浮き、楽しく本を読むあのIBBYのポスターの少年の分身でいられたのです。
戦争は1945年の8月に終わりました。私達家族は、その後しばらく田舎にとどまり、戦災をまぬがれた東京の家にもどりました。もう小学校の最終学年になっていました。
この辺で、これまでここでとり上げてきた本の殆どが、疎開生活という、やや特殊な環境下で、私の読んだ本であったということにつき、少しふれたいと思います。
この時期、私は本当に僅かしか本を持ちませんでした。それは、数少ない本――それも、大人の手を通って来た、ある意味ではかなり教育的な本――を、普段よりもずっと集中して読んでいた、一つの特殊な期間でした。
疎開生活に入る以前、私の生活に読書がもった比重は、それ程大きなものではありません。自分の本はあまり持たず、三つ年上の兄のかなり充実した本棚に行っては、気楽で面白そうな本を選び出してきて読んでいました。
私の読書力は、主に少年むきに書かれた剣豪ものや探偵小説、日本で当時ユーモア小説といわれていた、実に楽しく愉快な本の読書により得られたものです。
漫画は今と違い、種類が少なかったのですが、新しいものが出ると、待ちかねて読みました。今回とり上げた「少国民文庫」にも、武井武雄という人の描いた、赤ノッポ青ノッポという、二匹の鬼を主人公とする漫画がどの巻にも入っており、私はくり返しくり返しこれらを楽しみ、かなり乱暴な「鬼語」に熟達しました。
子供はまず、「読みたい」という気持から読書を始めます。ロッテンマイアーさんの指導下で少しも字を覚えなかったハイジが、クララのおばあ様から頂いた一冊の本を読みたさに、そしてそこに、ペーターの盲目のおばあ様のために本を読んであげたい、というもう一つの動機が加わって、どんどん本が読めるようになったように。
幼少時に活字に親しむことが、何より大切だと思います。
