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 次期中国外相に王毅(元駐日大使)が有力


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25(2013)年2月21日(木曜日)
   通巻第3884号  
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 速報
  次期中国外相に王毅(元駐日大使)が有力
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 在日華字紙の有力紙『陽光導報』(2月14日付け)は次期中国外交を司る外交部長(外務大臣)に王毅(元駐日大使)が有力になったという北京筋の情報を伝えている。

 理由は六年前の安倍政権のおりに、米国より先に北京を訪問する根回しをした「功績」。いま冷え切った日中間の関係を緩和するには最もふさわしいという評価がその判定基準という。

 王毅は現外相の楊潔チが国務委員に出世するにともなう玉突き人事となる。
王は現在「国務院台湾事務弁公室主任」(事実上、対台湾問題の責任者)。彼は駐日大使としては副部長クラス(外務次官)で赴任し、最年少の出世頭といわれた。以後「六カ国協議」の責任者も務めた。

楊潔チは駐米大使を歴任したアメリカ通。王毅は日本通(ちなみに王は日本語がベラベラである)。この人事観測はアドバルーンか、実現するか?

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  中国軍機関紙が「露梁戦争」のことを用いだした
  他方、軍の熱狂に冷や水をあびせる習近平の軍師・劉源の論文
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 中国人民解放軍は先軍思想にでも取り憑かれたのか? 
軍事パラノイア路線ますます激しく、軍を増長させている。冷や水を浴びせたのは「いまは戦争する時期ではない。チャンスを待て」という劉源(陸軍大将)の論文だったが、一部の軍人は次に「露梁海戦で中国は勝った。日本の海軍は弱い」と変なことを言い出した。

 党の学習誌『学習時報』は歴史的事実をややねじ曲げながらも結果には正確で、「露梁海戦は『壬辰戦争』(文禄・慶長の役のこと)六年間の最後の海戦となったが、両軍の痛み分け、これは日中間の尖閣戦争で予測される海戦の教訓になる」と論じている(多維新聞、2月19日)。

 「甲午戦争」(日清戦争の中国の呼び方)は明らかに日本の勝利だったが、中国は負けたとは言わず、威海衛沖合の劉公島に「甲午戦争記念館」を造って中華ナショナリズムを鼓吹している(筆者も見学したことがあるが、入り口の揮毫は江沢民だった)。

 「露梁海戦」とは、文禄・慶長の役の終盤、すなわち1598年に朝鮮半島西海域で、撤退を開始していた日本軍を朝鮮と明の水軍が襲った戦闘を指す。
急遽「水軍」を編成して対応したのは島津義弘、立花宗茂、寺沢広高、宗義智らだが、朝鮮水軍は李舜臣、明の応援部隊はトウ小龍が率いた。この海戦で李舜臣もトウ小龍も戦死した。だから明は皇帝への報告に日本側の平某(架空の武将)を退治したとでっち上げた。

 朝鮮征伐は秀吉がはじめたが、これを侵略という左翼歴史観はあまりにお粗末で、当時、キリスト宣教師らが暗躍した明征服のつぎに日本が標的であったことを秀吉は見抜いていた。こんにちの用語で言えばプリエンプティブ・アタック(予防的先制攻撃)である。

 1952年から始まった朝鮮征伐を日本では「文禄・慶長の役」と呼称する。当然ながら渡海作戦には水軍が必要であり、日本側からは九鬼水軍、来島水軍のほか藤堂、脇坂らの武将も水軍を急遽編成した。
名護屋城には徳川家康以下、精鋭十数万が控えた。
 
明の応援軍は大量であり、陸からは祖承訓、海からは李如松(提督)、碧蹄館らが十余万の大軍を率いて鴨緑江にやってきた。当初、快進撃を続けた日本軍も苦戦を強いられ、翌1953年には明軍が平壌、漢城(ソウル)を回復した。

 やがて和議が成立して日本は撤退を開始するが、その最中に秀吉が病逝する。
だが撤退部隊を闇討ち的に急襲するのが古来より中国の習わし、日本軍が水軍を編成し直して応戦したのである。


 ▼「露梁海戦」をなぜいま中国軍論文が持ち出したのか?

 露梁海戦は十六世紀の世界史最大の海戦となった。
 「日本水軍は450隻を失い、数万が死亡した」と中国の歴史書は言う。誇張があるが、その後の歴史叙述はもっと出鱈目で「軍国主義日本をやっつけたルーズベルトは沖縄を蒋介石に贈呈すると言ったが、我が国は拒否した上、戦後賠償も受け取らなかった(ほど寛容だった)。だから中国は日本に完勝したとは言えず、しかもいま釣魚島(尖閣)を日本領と言い出して軍国主義を復活させようとしている。あの露梁海戦終盤で中朝連合軍が追撃を止めず、完皮なきまでに日本をたたきのめしていれば、こういうことにはならなかった」。

 いかにも軍国主義パラノイア症状が如実に表現されている軍人の論文である。蛇足だが、蒋介石の台湾占領と居座りは国際法的に無効で、日本は台湾を放棄させられたが、『その後の帰属は未定」となっている。現在の馬英九政権はこれを認めていない。

蒋介石は台湾に築きあげた日本の遺産をそっくり受け継いで世界一の金満政党国民党を繁栄させた。だから日本はおつりを貰うべきである。満州の遺産をそっくりいただいた中国にも戦後賠償を言う権利はなく、貸借対照表をつくれば日本側がおつりを貰わなければ計算が合わない(北朝鮮も同じ)。
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(休刊のお知らせ)海外取材のため、小誌は2月23日―27日が休刊となります
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◇ ラジオ日本からのお知らせです ◇
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明日2月22日 12:30からの「ラジオ日本」、「マット安川のずばり勝負」に宮崎正弘が生出演します。
宮崎の出番は12:45頃から13:55まで。
 
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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS
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(読者の声1)貴誌で展開された藤井厳喜氏と蒙古専門家「SJ生」氏のやりとりを愉快に拝読しました。貴誌の他誌に無い点は多くの知識人や専門家が読む事とそういう方々からの投稿がまた魅力です。
 さてやりとりで感じたのは「SJ生」氏の才気迸る気鋭の学者にありがちなやや強引な論の立て方。米国で最新の教育を受けた藤井厳喜氏に「外来地政学何するものぞ」「伝統の日本蒙古学を見よ」と言わんばかりな勇ましさにはパチパチと拍手(因みにバグダッドを占領した蒙古軍は「十字軍の影響で荒廃した」パレスチナに兵を進め今日のイスラエルのガリラヤ地方とヨルダン川西岸地区の中間にあるイズレエル渓谷でエジプトのマムルーク軍と衝突して敗退)。
だが御本人は強引さを分かっているのか論を引っこめるのが早い(笑)。もう少し抵抗すれば面白いのに。
 藤井厳喜氏は「ランドパワーは云々」とセオリーを作ったが、セオリーは単純明快であるほど良い。認めなる例外は少ない方が良い。ただし数学や科学法則と違い完璧なセオリーは存在しない。まして、それを未来予測に応用するなら非常な慎重さが必要となる。
 例えば一昨年のアラブの春革命がチュニジアからエジプトへ移転する十日前にイスラエルのインテリジェンスコミュニティーが国会外交安保委員会で毎年恒例の情勢説明時に「エジプト情勢は至極安定」と報告した。