支那事変はこうしてはじまりました。結果日本は、210万の陸軍兵力を持つ支那国民党に対し、全兵力を合わせてもたった25万しかいない戦力で、しかも支那国民党の支配地である支那大陸内での戦いを開始することを余儀なくさせられたのです。
210万に対して、たった25万です。日本が支那事変を、あくまで事変として戦争にまで発展させたくなかった意図もここにあります。なぜなら、戦いが辛く、苦しいものとなることは容易に想像がついたからです。
日本はやむなく国民党と干戈を交えました。そして連戦連勝し、国民党を支那奥地の重慶にまで追いつめました。
けれど、それは常に自軍に十倍する、完全武装した敵と、常に対峙しなければならないという、世界の戦史で考えられないほどのたいへんな戦いだったのです。これをなし得たのは、ひとえに日本軍の戦士達の責任感の強さです。
逆にいえば、日本がもし、悪辣な張作霖を早い段階で殺害していれば、あるいは張作霖が爆死したときに、それこそ支那朝鮮まがいに、張学良までまとめて殺害していれば、日本はそこまで追いつめられることはなかったし、日本人の将兵が死ぬこともなかったし、もしかすると大東亜戦争の開戦すらなかったかもしれないのです。
この「かもしれない」と書くと「歴史にIFは禁物」という言葉が返ってきそうですが、その「歴史にIFは禁物」という言葉自体が、戦後左翼のバラまいた虚飾です。
歴史は、過去を学び、それを現代に活かし、未来を築くために学ぶものです。ならば、「もしあのときこうしていたら、その後の歴史はどのようになっていたであろうか」とあれこれ想像してみるところに、歴史を学ぶ意義があることになります。あたりまえのことです。
日本人は、古来、人が人を殺すということを「穢れ」として忌み嫌ってきました。
そんなことはない。戦国時代があったではないかという人がいるかもしれません。けれど、その戦国時代においてすら、罪を憎んで人を憎まずだったのが日本人です。
戦いが済めば、敵味方とも遺体を丁寧に埋葬し、両軍の兵士をしっかりと弔っています。戦いの理由も、その多くは戦のない国をつくるため、民の安全を図るためです。単純に領土的野心のために兵を起こし、庶民まで虐殺するという歴史は、日本にはありません。
また十一世紀最大の暴君といわれる平清盛でさえ、女性たちの献言をいれ、源氏の嫡子たちを殺害せず流刑にしています。このため後年頼朝や義経が挙兵して平家は倒されますが、熾烈を極めたとされる平家の落人狩りにしても、ウワサだけは熾烈を極めたものの、実体はそれほどまでの追跡はされず、ために現代社会においてまで平家の家系に連なるという家はたくさんあります。
縄文時代は日本で約1万7000年というとほうもない長い期間続いた文化文明ですが、全国に数万カ所ある縄文時代の遺跡から、すでに数百万点の遺物が発掘されているけれど、いまだに対人用の武器は見つかっていません。これはつまり、日本人は縄文の昔から、戦うことよりも作ること、殺すことよりも和して協力することを選択し続けてきた民族である、ということです。
武家は刀を大切なもの、自己の命としましたが、戦いのためなら刀よりも槍や長刀のほうが、柄が長い分だけはるかに有利です。にもかかわらず武士が刀を魂として大切にしたのは、その刀が、いざというときに相手ではなく、自分の命を奪うものだからです。
ですから逆にいえば、日本人が武器を手にして「戦う」というときというのは、よほど追いつめられたとき以外にはありません。我慢して我慢して我慢しぬいて、どうしようもなくなったとき、初めて剣を抜く。その「我慢」という自己との戦いが、日本人にとっての究極の戦いです。
このメルマガで、通州事件の悲惨さを伝える記事を何度かアップさせていただいていますが、そうした史実を目の前に突きつけられてさえ、「だから復讐しよう」などとは誰も考えず、むしろ、二度とそうした悲惨さに遭わないために、我々はこれからどうしたら良いのだ、という、むしろ建設的なものの考え方を自然としてしまう。それが日本人です。これは、もうDNAレベルで日本人に沁み着いた日本人の特徴としか言いようがありません。
ただ、私は思うのです。だからといって、過去を反省しないというのは、それはそれで異常なことなのではないか。
事案が小さいうちに、ちゃんと処理しておかなければ、悪辣な人間は、結局は悪辣な思考、行動しかできないのです。張作霖しかり、張学良しかり、です。
そして昨日の記事にも書きましたが、蛮族は蛮族でしかないのです。彼らは自己の都合のためには、平気で人を殺し、血筋まで根絶やしにする。そのことは、チベット、ウイグル、旧満州がなにより証明しています。
そしてまた歪んだ歴史観、歪んだ価値観のためには、学校の教科書まで捏造をほどこし、あげくのはてが、世界五大文明まで言い出す。そしてどこまでも、平和と協調を目指される陛下に対して侮辱発言を繰り返す。
要するに、背広を着、ネクタイをしめ、どこぞのいい大学を出ていたとしても、野蛮人は野蛮人でしかないということです。その野蛮人の子供が、我がままいっぱいに育てられ、武器や財力、権力を手にしたら何が起こるか。
韓国の数学教科書
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いったい何を教えているんだか。
悪ガキは、しっかりと躾けなければならないのです。大人の怖さを教えなければならないのです。
みなさん、野蛮人と人間の違いは、何ですか?
人としてのルールを守れるか否かではありませんか?
ならば、人としてのルールを守れない者、人種、民族は、野蛮人です。野蛮人は、檻に入れなければならないし、隣に野蛮人の生息する地域があるなら、必要な警戒を国家としても個人としても行わなければならないのではないでしょうか。
そして野蛮人が、国内にはいりこんでいるのなら、見つけ出して排除するか、徹底して教育して人としてのルールを叩き込まなければならないのではないでしょうか。
それが逆に人が未開の野蛮人のルールに染まってどうするのでしょうか。
シロアリは、見つけたらすぐに退治する。あたりまえです。そうしなければ、家が倒れてしまうのです。




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歴史は、過去を学び、それを現代に活かし、未来を築くために学ぶものです。ならば、「もしあのときこうしていたら、その後の歴史はどのようになっていたであろうか」とあれこれ想像してみるところに、歴史を学ぶ意義があることになります。あたりまえのことです。
日本人は、古来、人が人を殺すということを「穢れ」として忌み嫌ってきました。
そんなことはない。戦国時代があったではないかという人がいるかもしれません。けれど、その戦国時代においてすら、罪を憎んで人を憎まずだったのが日本人です。
戦いが済めば、敵味方とも遺体を丁寧に埋葬し、両軍の兵士をしっかりと弔っています。戦いの理由も、その多くは戦のない国をつくるため、民の安全を図るためです。単純に領土的野心のために兵を起こし、庶民まで虐殺するという歴史は、日本にはありません。
また十一世紀最大の暴君といわれる平清盛でさえ、女性たちの献言をいれ、源氏の嫡子たちを殺害せず流刑にしています。このため後年頼朝や義経が挙兵して平家は倒されますが、熾烈を極めたとされる平家の落人狩りにしても、ウワサだけは熾烈を極めたものの、実体はそれほどまでの追跡はされず、ために現代社会においてまで平家の家系に連なるという家はたくさんあります。
縄文時代は日本で約1万7000年というとほうもない長い期間続いた文化文明ですが、全国に数万カ所ある縄文時代の遺跡から、すでに数百万点の遺物が発掘されているけれど、いまだに対人用の武器は見つかっていません。これはつまり、日本人は縄文の昔から、戦うことよりも作ること、殺すことよりも和して協力することを選択し続けてきた民族である、ということです。
武家は刀を大切なもの、自己の命としましたが、戦いのためなら刀よりも槍や長刀のほうが、柄が長い分だけはるかに有利です。にもかかわらず武士が刀を魂として大切にしたのは、その刀が、いざというときに相手ではなく、自分の命を奪うものだからです。
ですから逆にいえば、日本人が武器を手にして「戦う」というときというのは、よほど追いつめられたとき以外にはありません。我慢して我慢して我慢しぬいて、どうしようもなくなったとき、初めて剣を抜く。その「我慢」という自己との戦いが、日本人にとっての究極の戦いです。
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ただ、私は思うのです。だからといって、過去を反省しないというのは、それはそれで異常なことなのではないか。
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そして昨日の記事にも書きましたが、蛮族は蛮族でしかないのです。彼らは自己の都合のためには、平気で人を殺し、血筋まで根絶やしにする。そのことは、チベット、ウイグル、旧満州がなにより証明しています。
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