【尖閣】中国政府自身が日本領有を認める外交文書を1950年に作成していた!!
日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載
大変な文書が発見された。中国(中華人民共和国)は尖閣諸島を自国領土と主張して、公船を派遣して日本の領海を侵犯し続けているが、中国政府自らがその見解を否定する外交文書を作成していたことが12月27日の時事通信の報道で判明した。
「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」と題したこの外交文書は、中華人民共和国の建国翌年の1950年5月15日にまとめられたもので、尖閣諸島を「琉球(沖縄)の一部」と認識し、「尖閣諸島」という日本名で明記していた。
時事通信の報道は3回にわたって行われている。それを時系列で紹介したい。
在日中国大使館の楊宇報道官は27日の記者会見で「私はこの外交文書を自分の目で見たことはないが、文書があるとしても、中国側の立場を変えることはない」(時事通信)と表明しているという。
すでに石井望・長崎純心大学准教授の研究により、中国の楊潔●外相が「中国は明の時代より600年間、釣魚列島を支配している」として依拠した『順風相送』という航路案内書は、実は600年前ではなく440年前に成立したもので、記述は尖閣諸島が琉球に帰属する内容となっていて、中国側の主張に歴史的根拠がないことを示す史料だったことも判明している。(●=簾の广を厂に、兼を虎に)
発見された今回の外交文書は、尖閣諸島が日本領であることを中国自身が証明したことになり、楊外相発言も否定していることになる。中国の「ウソで塗り固めた尖閣領有論」は完全に破綻した。
◆石井望・長崎純心大学准教授が中国・台湾の歴史的根拠を徹底論駁![2012/12/9]
http://melma.com/backnumber_100557_5716181/
-----------------------------------------------------------------------------------------
中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識―初めて発見
【時事通信:2012年12月27日14:00】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121227-00000067-jij-cn
【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。
尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。
この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。
領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。
続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。
東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。
中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。
中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。
領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。
-----------------------------------------------------------------------------------------
中国政府の主張覆す文書=「後付け理屈」鮮明に-尖閣、領土問題と認識せず
【時事通信:2012年12月27日14:36】
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012122700521
写真:中国外務省の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」の原文コピー。コピーは70~79ページまでの計10ページで、写真は73ページ
【北京時事】日中両国間で対立する沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐる問題では、現在の中華人民共和国が成立した1949年から、中国が初めて領有権を公式に主張する71年12月30日までの間に、中国政府内部でどういう認識が持たれていたかが大きな焦点だった。50年に尖閣諸島を「琉球(沖縄)の一部」と認識し、「尖閣諸島」と日本名を明記した外交文書が作成されていた事実は、71年末から現在まで一貫する「釣魚島は古来より台湾の付属島しょ」という中国政府の主張を覆すもので、中国側の主張が「後付けの理屈」であることが鮮明になった。
これまでにも、53年1月8日付の共産党機関紙・人民日報が「琉球諸島は、尖閣諸島など7組の島しょから成る」と記述。58年に中国で発行された「世界地図集」が尖閣を沖縄に属するものとして扱ったことも分かっていた。
人民日報の記述について、尖閣問題に詳しい清華大学当代国際関係研究院の劉江永副院長は中国メディアに、「中国政府の立場を代表していない」と強調。しかし今回発見されたのは中国政府作成の文書で、対日講和に当たって政府としての立場や主張をまとめている。
注目に値するのは、この外交文書が琉球、朝鮮、千島列島などの領土問題を扱いながら、尖閣諸島を主要議題にしていない点だ。中国名の「釣魚島」の登場は皆無。日本名の「尖閣諸島」に言及したのも1回だけで、中国が領土問題として尖閣をほとんど認識していなかった表れとみられる。
中国外務省档案館の他の外交文書でも、尖閣諸島を扱ったものは見当たらない。中国政府が尖閣諸島の領有権を主張するようになるのは、68年に国連アジア極東経済委員会が尖閣周辺海域での石油埋蔵の可能性を指摘し、71年6月の沖縄返還協定で、米国から日本に施政権が返還される対象地域に尖閣が含まれてからだ。
結局、「台湾の付属島しょ」とする現在の論理は、70年代に入って中国側が領有権を主張する際、つじつまを合わせるためにつくり出されたものとみられる。
-----------------------------------------------------------------------------------------
「尖閣は琉球の一部」=中国、76年間異議唱えず-石油資源で領有主張
【時事通信:2012年12月27日15:00】
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012122700534
写真:尖閣諸島周辺の調査に向かう東京都の調査団。奥は魚釣島=9月2日、沖縄県尖閣諸島沖(代表撮影)
写真:中国外務省の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」の原文コピー。写真は75ページ。右下に「尖閣諸島」の文字が見える
【北京時事】「尖閣諸島は台湾から距離が甚だ近く、台湾に組み込むべきか検討の必要がある」。1950年作成の中国政府の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案)はこう記述している。中国政府内部で当時、「尖閣諸島は琉球(沖縄)の一部」と認識されていた表れだ。
