▽ 宮内府長官官房文書課長の依命通牒

 百地教授は著書の『政教分離とは何か──争点の解明』の「第十章 憲法と大嘗祭(だいじょうさい)」で、天皇の即位儀礼である大嘗祭をめぐる従来の違憲論・合憲論、そして政府解釈を紹介しつつ、大嘗祭国事説の当否を検討し、「憲法問題を中心」に精緻な議論を展開しています。

 とくに政府見解について、(1)昭和21年12月6日および17日の、第91回帝国議会での金森徳次郎国務大臣の答弁、(2)昭和54年4月17日の、衆院内閣委員会での真田秀夫内閣法制局長官の答弁、(3)昭和59年4月5日の、衆院内閣委員会での前田正道内閣法制局第一部長の答弁、などを例示し、大嘗祭を天皇の国事行為として実施することについて、「政府は、確かにこれまで否定的態度をとり続けてきた」と指摘しています。

 たとえば金森国務大臣は、「皇位継承に伴って、種々なる儀式が行わせられる(ことになるが)、改正憲法におきましては、宗教上の意義をもった事柄は、国の儀式とはいたさないことになっております」(百地教授の引用文のまま)と答弁していると解説されています。百地教授の説明通り、「理由は政教分離に違反するという点にある」ことは勿論です。

 けれども、政府が戦後一貫して、宮中祭祀に対して、「否定的態度をとり続けてきた」のではありません。政教分離に関する憲法解釈・運用は占領前期と後期では異なるし、昭和40~50年代に一変しています。ポイントはここです。

 歴史を振り返ると、終戦直後の昭和20年12月、GHQは「国家と宗教を分離すること」を目的に、いわゆる神道指令を発しました。東京駅の門松や注連縄(しめなわ)までも撤去させるほど過酷なもので、宮中祭祀は存続を認められたものの、公的性を否定され、「皇室の私事」に貶(おとし)められました。

 非占領国の宗教に干渉することは戦時国際法に明確に違反していますが、戦時中から「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の源泉だという考えに固まっていたアメリカは、あえて無視して干渉しました。

 その約1年半後に日本国憲法が施行され、それに伴って宮中祭祀について定める皇室祭祀令など戦前の皇室令はすべて廃止され、天皇の祭祀は成文法上の根拠を失いました。

 けれども、祭祀の伝統は辛うじてながら守られました。「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」という宮内府長官官房文書課長・高尾亮一名による依命通牒(いめいつうちょう)、いまでいう審議官通達が各部局長官に発せされたからです。

 日本政府は、皇室伝統の祭祀を守るため、当面は「宮中祭祀は皇室の私事」という解釈でしのぎ、いずれきちんとした法整備を図る、という方針でした。GHQは、天皇が「皇室の私事」として祭祀を続けられることについては、干渉しませんでした。祭祀に従事する掌典職員は内廷費で雇われ、天皇の私的使用人と位置づけられました。

 終戦直後の宮内次官で、戦後初の侍従長ともなった大金益次郎氏は、「天皇の祭りは天皇個人の私的信仰や否や、という点については深い疑問があったけれども、何分、神道指令はきわめて苛烈なもので、論争の余地がなかった」と国会で答弁したと聞きます。

 けれども数年を経ずして、GHQは政教分離の解釈・運用を、国家と教会を分離する限定分離主義に緩和させます。

 であればこそ、24年11月の松平恒雄参議院議長の参議院葬は議長公邸で、神道形式で行われ、26年10月には吉田茂首相の靖国神社参拝も認められました。つい数年前は靖国神社の焼却があちこちで噂になり、GHQ民間情報教育局(CIE)の大勢は「神道、神社は撲滅せよ」と強硬に主張していたのに、アメリカは神道敵視政策をいとも簡単に捨て去ったのです。

 26年5月に貞明皇后が亡くなり、翌月、御大喪が行われ、斂葬(れんそう)当日に全国の学校で「黙祷」が捧げられたとき、アメリカ人宣教師たちは「戦前の国家宗教への忌まわしい回帰」と猛反発しましたが、GHQは彼らを擁護しませんでした。占領中の宗教政策を担当したCIE職員のW・P・ウッダードは、次のように説明したとのちに回想しています。

「神道指令は(占領中の)いまなお有効だが、『本指令の目的は宗教を国家から分離することである』という語句は、現在は『宗教教団』と国家の分離を意味するものと解されている」(ウッダード「宗教と教育──占領軍の政策と処置批判」)

 明らかに政策は変わったのです。貞明皇后の御大喪が旧皇室喪儀令に準じて行われ、国費が支出され、国家機関が参与したことについて、昭和35年1月、内閣の憲法調査会第三委員会で、宮内庁の高尾亮一皇室経済主管(当時)は次のように証言しています。

「当時、占領下にありましたので、占領軍ともその点について打ち合わせを致しました。…(中略)…占領軍は、喪儀については、宗教と結びつかないものはちょっと考えられない。そうすれば国の経費であっても、ご本人の宗教でやってかまわない。それは憲法に抵触しない、といわれました」

 しかし、神道指令が具体的にどのような経緯で発せられ、しかもなぜまたたく間に緩やかな分離主義へと変更されたのか、は歴史の大きなナゾのままです。

 やがて平和条約の発効で日本は独立を回復し、神道指令も失効しました。けれども天皇/