小松ドットコムさんのブログ-NEC_2191.jpg

小松ドットコムさんのブログ-NEC_2411.jpg

小松ドットコムさんのブログ-NEC_1485.jpg

メルマ!ガオブザイヤー 2012 投票受付中!
http://melma.com/
----------------

 ★今日は赤穂浪士討ち入りの日 あれから310年
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
  平成24(2012)年12月14日(金曜日)
  通巻第3836号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 習近平の広東視察は表向き「新南巡」だが、軍隊を三回も視察した
  まずはトウ小平の銅像に献花、王洋をともなって恵州、仏山、広州などへ
****************************************

 習近平が総書記就任後、まっさきに広東へ赴いたには幾重にも興味深い。
 団派の金城湯池の地区へ風穴をあけに行ったという観測が強いが、深センではトウ小平の大きな銅像に献花して、改革開放路線を堅持しますよ、と内外にアピールした政治的狙いが主目的だろう。トウが「南巡講話」を発表したのは深センであり、中国のマスコミは習近平の広東省視察を「新南巡」と書いて囃した。

 しかし12月8日から12日まで習は五日間を広東省各地に過ごした。経済成長をささえた工業地帯の東莞、広州、仏山、珠海などを巡回し、要所要所の視察には王洋(広東省書記)が同行している。
 つまり団派とも挙党態勢、政権を固めています、というジェスチャーである。

 しかも習近平は三個所も軍隊を訪問しているが、この軍視察には許其亮(軍事委員会副主席)、氾長龍(同)、呉勝利(海軍司令)、馬暁天(空軍司令)が同行していることは注目に値する。
 ミサイル駆逐艦「海口」(南海艦隊所属、7000トン)に試乗した。
 広州戦争区では戦車にものぼって見せた。ともかく五日間の視察で三回も軍を訪問した。

 「この南方訪問は広東省書記を離れて近く副首相になる王洋が強く要請して実現した」とシンガポール紙が伝えた。というのも、12月8日から広東入りしているというニュースは、9日にシンガポール政府交通部長と改憲した王洋が明らかにしたのが最初だからである。

 視察後、何が起きたか?
 13日、北京に帰着した習近平はカーター元大統領と会見した。
 同日午前、中国は尖閣上空を領海侵犯した。軍事行動がエスカレートしたのだ。

    ◎
<宮崎正弘の新刊>
『習近平が仕掛ける尖閣戦争』(並木書房、232p、並製。定価1575円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632999/
(アマゾンでも受付しております↑ 現在在庫18点あります)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 832回】          
 ――声低く語る日本への思念、懐旧、仰望・・・
 『日本への遺書』(陶晶孫 東方書店 1995年)


 △
1951年、著者は久々に東京に戻ってきた。その頃に書かれたエッセーの「近頃の日本」から、印象に残った部分を、思いつくままに抜き書きしてみる。「昔日本にあったものは今も皆ある。即ち昔呉服しかなかった三越呉服店、板橋行きの札をかけた御茶ノ水橋の鉄道馬車、浅草の仲見世、武蔵野の景色、隅田川の水練場。それがアプレゲールで暖簾がライオンになり、鉄道馬車がレトロバスになり、水練が海水浴になっても日本精神は少しも変わらない。山麓に煙突や送電線が一杯になっても富士山のテッペンが少しも変わらないように。/しかしそれは非常に気の毒なことだ。私からみると、どうも民族の性格と云うものは根性となって残るし、いらぬ外来の真似もまた早い。その時はプラスにならない。中国はひどい貧乏や奴隷化を経験したが、日本はそれを免れただけ立ち上がるに違った骨折りが必要だ」

「市街地になってしまった武蔵野でも、二、三本の欅の木が残っている。それは昔の雑木林なのだった、武蔵野の北の方では真黒い土がある、大根が並んで乾してある、すこし遠くいくと農家の屋根に干柿がつるしてある、こういう景色は平凡ながら、前に日本に住んだことのある人には懐かしい」

「国家、社会、人間、どうも隣国でありながら中日間は今まであまり具合がよかったとは云えない。ただ我々が日本の景物や日常生活に入るとき、いろいろの愉快さがある、それを私は特に明治文学で読んだが、どうも今度来て見るとあまりこの方面の随筆や描写が多くない、これもかつて我が国がだんだん外国の圧力のため余裕を失った時と同じではないかと疑ってみる」

同じ時期の執筆と思うが、「落第した秀才・日本」は綴る。「遠慮なくいえば、日本もドイツも、一度暴れたために、先生に落第させられた秀才である。汚い植民地人民の後ろに並べられてしまった。努力して再び進むのに『再び優越』しようと言って他の生徒をつきのけたり、軽べつしたら、また先生に叱られる。おまけに、先生は、始めから日本が再び有力国になることを許していやしない」

「ある人はいった。日本全国民は今一つの列車に乗ってある方向に進んでいる。有識者もそれに乗ったまま、そっちへいっては感心しないといっている、しかしその方向を変えるには車を止めなければならない、だが運転手は止めてくれない、止めるには車をこわさければならない、こわしちゃ人が死ぬ、だから多くは心配しながら乗ってると。これは半殖民地になった初期によくある間違いである」

著者は「幼くして海を渡って日本に移り住み」(「父を憶う」)、日本生活を存分に味わい医学を学んで帰国。日本敗戦時には日本陸軍病院接収委員を務める。後に台北に移り台湾大学に赴任する。国民党の白色テロから逃れんとした学生を懸命に援助したようだが、やがて彼も日本に脱出せざるをえなくなった。「第二の故郷ともいうべき日本で、東京大学で中国文学を講ずる傍ら、創作を意欲的に始めたが、僅か二年で病に倒れた」(「父を憶う」)。

「いつも病気とアベック」だったと自嘲する著者が遺した文章を集めた『日本への遺書』には、納得できない主張も散見される。だが、あれこれと考えさせられもする。騒がしい時期だからこそ読み返す。陶晶孫が呟くように綴るしんみりした日本語が嬉しい。
《QED》


(宮崎正弘のコメント)ところで関連するのですが、戴季陶の『日本論』、持ってませんか?
○○ ○○○ ○○○ ○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(休刊のお知らせ)小誌、地方講演旅行のため15日から17日が休刊です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ♪
(読者の声1) 中国の特許出願が世界一になったと衝撃的ニュースがもたらされましたが、猿まね中国のいつのまに世界一になったのですか。これは日本経済の技術力の敗退を意味するのでしょうか? 宮崎さんは『日米先端特許戦争』『第五世代技術戦争』などの著作があって、この方面にも詳しいと思いますので。
  (JJセブン)


(宮崎正弘のコメント)中国の出願件数はWIPOの調べで52万6000件(2011年度)です。しかし特許の「出願」がたとえ世界一であろうとも、問題は中味であり、特許のなかでも「基本特許」「周辺技術」そして「実用新案」「商標登録」などに別れます。アメリカは「ものつくり」を忘れて以来、ラボが貧弱ですから、もっぱら金融工学と「ビジネスモデル」という、一番横着で、しかし一番カネになる特許方向に傾いています。ビルゲーツやフェイスブックが好例でしょう。この路線を模倣しているのが中国です。