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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成24(2012)年11月17日(土曜日)
   通巻第3816号  
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 王岐山の紀律検査委員会書記就任は市場に失望を運んだが
  汚職腐敗の追放に大なたを振るえる消防隊長と、国民は期待を寄せている
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 習近平政権のトップ七名のうち、李克強副首相がナンバーツーの座を得て、全人代委員長(国会議長)になる張徳江より上位についたことが注目された。さらには劉雲山、張高麗、愈正声といった上海派で江沢民の腰巾着がずらりと無能顔を並べたため背筋に悪寒が走ったという人も多かった。

 市場関係者が期待したのは王岐山が経済を担当する第一副首相となることだったが、意表を突いて、王は紀律検査委員会書記に回され、序列も第六位。

 ところが中国国内で、この人事は好感されているという。
 なぜなら過去にも多くのリスクに直面する度に王岐山は「消防隊長」として獅子奮迅の活躍ぶりで、問題解決にあたってきた実績があり、王ならば汚職腐敗の追放に大なたを振るえそうだからだ。

 温家宝は「汚職をやめなければ国が潰れる」と危機感を吐露したが、軍でもトップの一人となる房峰輝将軍は「軍内部の汚職を止めなければ軍そのものが敗北する」とまで強い危機感を表明している。

 王岐山への期待は嘗ての朱容基(元首相)に寄せられたものと同様で、朱自身が暗殺未遂、脅迫と闘いながらも厦門密輸事件の摘発に豪腕を発揮したようなことを期待している。朱は招待された宴席でも酒を飲まず、自分の勘定はしっかりと自分で支払っていったほど清廉ぶりが言われた。

朱の口癖は「わたしは百個の棺桶を用意した。そのうち一つは私自身のモノだが、残りの99は汚職腐敗幹部どものものだ」と汚職腐敗不正という体質への挑戦を現して、国民の喝采を得たものだった。

 王岐山自身も紀律検査委員会書記という、取り締まりトップの職座を得て、思うさま凄腕を発揮することを欲し、「この選択は賢明だった」(アジアタイムズ、11月16日)という評価となった。

 しかし王を知る人たちの評価はまちまちで「彼自身が太子党であり、知り合いの取り調べは手を抜くだろうし、そもそも王は傲慢なところがあり、周囲との宥和をはかれるか、どうか」との評判が多い。
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  樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム
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 樋泉克夫のコラム
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【知道中国 828回】    
 ――両岸に割かれた庶民の悲しさ・・・台湾人の哀しさ
 『家有親人在台湾』(万華茹 天津人民出版社 2012年)


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「海峡両岸で最初に出版された普通の中国人家族史。1つの家族、互いに望み見る対岸、三代の哀歓。この歳月を、人々はどのように過ごしてきたのか」と記された表紙のことばが象徴するように、この本は1949年という歴史的激変に遭遇し、思いがけなくも台湾海峡を挟んで往来を厳禁されたままに別々に人生を送らざるを得なかった人々――そんな運命に翻弄されながら生き抜いた著者の一族三代の姿を通じ、漢族が背負わねばならず、また避けることのできない国共対立という冷酷非情な政治の現実を描き出す。

共産党は農民の支持をえるため、「政治的賎民の筆頭」と位置づけた地主から強奪した土地を農民に分配した。これを土地改革と呼ぶが、その実態は凄まじい限り。「大抵は地主を縄で縛り上げ、衆人環視の輪の中に立たせる。誰もが地主を指差して罵り、地主が犯した数限りない罪の清算を求める。これを『控訴』という。

口に含んだ水を吹きかけ、髪の毛を引っ張り、服を破るが、この程度では控訴が終わるわけはない。拳や棍棒で激しく殴る。闘争が続けば、その地主はもはや死んだも同じだ。日頃から徳を積むことのなかった悪徳地主はメチャメチャに打ち据えられ息絶えるか、闘争が一段落するやたちまち射殺されてしまう」のである。

革命とは、階級闘争とは・・・地主を嬲り殺すこと。ならば地主にとっては生き地獄。漢方医である著者の祖父は「控訴」の実態を知るがゆえに、早々と土地を差し出し、共産党政権下でも善良な漢方医として生きる算段をした。一瞬にして財産を失くしたことに腹を立てた祖母は祖父を詰る。2人の息子――著者にとっては大伯父と伯父――は国共内戦の成り行きや、共産党の実態を知ろうと町に向かったが、これが運命の分かれ道だった。

大伯父も伯父も国民党に勧誘・拉致され、互いが知らぬ間に前後して船に乗せられ、気が付いたら台湾だった。大伯父は兵士となり、やがて除隊して警察官となり台湾娘と結婚を約束したが、貧乏を嫌い彼女は台湾人お金持ちの許へ。以後は独り身の生活だ。周囲からも望まれて幼馴染みと結婚したばかりの伯父は、新妻の妊娠も知らずに台湾へ。

国民党軍で出世した彼は、ある日、台北の街角で偶然に出会う。大陸で別れて以来の出来事を語り合い、故郷の両親を想い、国民党政権下の台湾での行く末に思いを馳せる。

やがて1978年、?経国政権が台湾住民の大陸への「探親(里帰り)」を許可するや、49年に絶たれた台湾海峡を挟んでの往来がはじまる。台湾からの手紙が故郷に届く。帰郷し、両親への不孝を詫びようというのだ。

だが、それは新婚直後に別れたまま生死も判らず、女手一つで娘を育て、度重なる政治闘争の激流で死ぬほどの苦しみを味わってきた伯父の妻にとっては残酷に過ぎた。あれほどまでに恋焦がれた夫と共にやってきた台湾の妻は高価な衣装で着飾り余りにも若かった。夫も若々しく輝いて見えた。それに引き替え自分は、人生の苦労を一身に引き受け、余りにも婆臭く、みすぼらしく、《女》ではなくなっていた。

「みんなは知らないだろうが、俺たちは台湾で外省人と呼ばれている。だが帰郷すれば台湾人だ。いったい俺たちは何処の誰なんだ」と大伯父が慨嘆し、伯父は「全中華民族の教育水準が上がりさえすれば、民智は啓け、民衆は豊かになり、怨讐は消える」と。
  
「怨讐は消える」と静かに呟く著者だが、外省人に蹂躙され続けた本省人の痛みや恨みに心を配ることは一切ない。大陸=外省人の身勝手さに苛立ち、呆れるばかりだ。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OINIONS 読者之声
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(読者の声1) 上海と台北の印象記、両都市を比べるといろいろなことが見えてきます。たとえば上海の地下鉄は1995年の開業からわずか十数年で世界一の路線長を持つまでになっていますが、あまりに早い開業ペースに乗務員の訓練が追いついていません。設備はホームドアもあり立派ですが、停止位置にちゃんと止まれないことが多すぎます。停止位置の修正に何度も手こずる。停止してからドアが開くまで標準5秒、10秒近くかかることもしばしば。日本の首都圏の電車で停止位置の修正に出くわすなど年に2~3回あるかないか。それが上海では1日で5~6回ほど。将来、大事故でも起こすのではと心配になります。

車両の製造メーカーはドイツのODAで建設が始まっただけに欧州勢が独占、ジーメンス・アルストーム・ボンバルディア(鉄道車両の本社はドイツ)ばかり。紅橋駅からの10号線車両はジーメンスの2005年製。やや古いインバータ車両特有の大きな唸り音は京浜急行の車両によく似ています。日本ではインバータ制御も改良が進み、さほど大きな音を立てることもなくなりました。対する台北の捷運、初期の新交通システム採用の路線では試運転中に火を噴くなど問題がありましたが現在は極めて順調。