◆国民を上からの目線で見ながらのこの石原氏記者会見をどうぞ。
◆今後のシナリオですが、息子を首相に出来なかった悔しさを石原慎太郎氏は、自分が首相に名乗りでることで果たそうとしている。これはあくまでも単なる私の推測ですが、無きにしも非ずという方々がかなり多くおられるのを、いろいろな方(欧州で情報収集活動をしている方も含めて)からの私への情報提供で知ることが出来ました。

その方策として、
◆1.若い層が多い日本維新の会を味方にして、というより抱き込み、新鮮さをアッピールすれば、老人グループ臭いう臭いを消す工作におおいに利用できる。
◆2.「太陽の季節」時代の石原フアンの老人票を狙っている。選挙にそっぽ向いている若者と異なり、石原フアンの古きよき懐かしい時代の老人層は氏にとって手堅い票=宝庫になる
◆3.読売のなべつね氏と連携して、マスコミを動かし反安倍運動を巧妙に演出し結果、自民党の安倍勢力を押さえ込み、党内の石原派の勢いを盛り返させ野田民主党、公明党、出来ればみんなの党をも抱き込み、なべつねの長年の構想大連立政権誕生を目指すというもの。そこで、櫻井よしこ氏など戦後保守グループを「保守の論客」としてメデイアで利用し泳がせ、安倍派のなかにそれとなく潜伏させて、安倍派切り崩しを図る。

◆石原新党】11.13「太陽の党」結党記者会見[桜H24/11/14]
http://www.youtube.com/watch?v=q_DqdcMXk6c&feature=youtube_gdata

◆そこで電子雑誌「言志」第4号の
=巻頭言=
夢は枯野をかけめぐるが… 水島 総
http://p.booklog.jp/book/58809/read
水島社長のお許しを頂きましたので、ここに転載させていただきます。 
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◆<<俳人松尾芭蕉の弟子其角の『枯尾花』に、>>

旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る 芭蕉

ただ壁をへだてて命運を祈る声の耳に入りけるにや、心細き夢のさめたるはとて、旅に病で夢は枯野をかけ廻る。また、枯野を廻るゆめ心、ともせばやともうされしが、是さへ妄執ながら、風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也、と悔まれし。8日の夜の吟なり。

と、芭蕉の臨終近き様子がつづられている。遺句となった「旅に病で」の句は、芸術に終りがないことを芭蕉自身が強く自覚しながら、それでも、妄執のように、作句を続けようとする芭蕉の凄まじく、ひたむきな姿が胸を打つ。
 
◆石原慎太郎都知事が辞任を表明した10月25日、テレビでその記者会見を見ながら、この芭蕉最後の一句を思い出した。石原氏はすでに齢80、ほぼ日本人男性の平均寿命に達している。
その男が都知事の職を放り出し、尖閣問題も放り出し、国政復帰を宣言した。

芥川賞作家から政界に身を投じ、十数年前には国政に絶望したとして、都知事となって地方から国を変えることを宣言して、そして、
◆今回は地方から国を変えることを断念し、再び国政に復帰することを宣言したのである。
 
文学者としての道を捨て、政治行動に起ち上がり、挫折し、
◆息子の自民党総裁就任への夢も断たれ、それでも政治への執念を捨てず、再度起ち上がる石原氏の姿には、胸を衝かれるものがある。「不屈の精神」に感動するといった類のものではない。石原慎太郎という政治家は、常に時代と戦いながらも、時代の求めるものとずれて、つまづき、一度たりとも的を射ることができなかったという印象がある。その無念さを抱えたまま、この齢に至っても、憂国の情や志の「再生産」を繰り返す
◆その凄まじき姿に、ある種の「物狂い」を感じ、胸を打たれるのである。その執念を、人は「憂国の情」と言ったり、「妄執」、あるいは「権力への執着」と言うだろう。いずれも正しく、しかし、それだけではないことも確かだ。私が思い出したのは、「ドン・キホーテ」(セルバンテス作)が、風車を敵だと思い、立ち向かって行く姿である。
 
◆そして、今回の新党立ち上げは、戦後日本の「ドン・キホーテ」石原慎太郎の最終最後の戦いとなるだろう。しかし、それは「枯野をかけ廻る夢」だけで終わる可能性も強い。なぜならば、「枯野」というのは荒廃し切った戦後日本体制と言えるだろうが、この「枯野」に巣食うさまざまな「枯れ尾花」たちと一緒に「かけ廻る」ことで、展望などは拓けないからだ。石原氏は、もっと、「暴走老人」としてラジカルに暴走する必要がある。「枯れ尾花」たちを含め、枯野全体を焼き尽くす覚悟が必要なのである。それは自分自身をも、「枯れ尾花」の一つとして、焼き尽くす自己否定の強い覚悟が必要なのである。
 
◆はっきり言って、石原氏がそこまでの覚悟を持って起ち上がったようには思えない。石原氏は「小異を残して大同につく」という言葉や「薩長連合は考えや方向も違っていても成立した」という言葉で、維新の会やみんなの党、たちあがれ日本などとの連合を想定しているようだ。

◆おそらく、近い将来には、自民党の一部(息子グループ)や公明党、そして野田佳彦首相たち民主党(似非保守)グループも予定に入っているだろう。これは、読売新聞社代表取締役会長・主筆の渡邉恒雄氏の提唱した「大連立構想」とベースを同じくしている。
その大連立上に、石原氏は自らが「総理」として君臨するという最後の政治的夢の実現を考えているのだろう。
 
◆これは私の「妄想」ではない。可能性は低いが、それしか石原氏の「夢」の実現はないからである。今、石原氏が、連携しようとしている相手は、装いはともかく、すべて「戦後日本体制」が生み出した「枯れ尾花」に過ぎない。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」なのである。恐ろしいことだが、石原氏自身も、「幽霊」として、老残の「夢」として、見果てぬ未来を求め、凄まじき修羅の如く、「枯野」の同じ場所を「かけ廻って」いるだけかもしれないのである。
 
◆しかし、それが「悲しき日本」(釈迢空の言葉)の夢のひとつであったことには違いない。文…

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