■5.「大神(おおかみ)の奇(く)しき御業(みわざ)」

 出雲大社のホームページでは、大国主大神(オオクニヌシ)について、次のように解説している。[3]

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大国主大神は、「だいこくさま」と申して慕われている神さまです。だいこくさまは、「天の下造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心になり、農耕・漁業をすすめ、殖産の法をお教えになり、人々の生活の基礎を固めて下さいました。

また、医薬の道をお始めになって、今もなお人々の病苦をお救いになる等、慈愛ある御心を寄せて下さったのです。
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 その国土の国譲りについては[4]、

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天照大御神は大国主大神の私心のない「国譲り」にいたく感激され、大国主大神のために天日隅宮(あめのひすみのみや)をおつくりになり、第二子である天穂日命を大国主大神に仕えさせられました。

この天日隅宮が今の出雲大社であり、天穂日命の子孫は代々「出雲國造」と称し、出雲大社宮司の職に就いています。現在は第八十四代出雲国造千家尊祐宮司がその神統と道統を受け継がれています。
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 授業の中で、先生がこうした解説をすれば、このコラムで紹介されている皇后陛下の次の御歌も、実感をもって味わえるだろう。

国譲り祀(まつ)られましし大神(おおかみ)の奇(く)しき御業(みわざ)を偲(しの)びて止(や)まず

 オオクニヌシの希望通り、大和朝廷は巨大な神殿を作った。それが出雲大社である。現在の出雲大社は高さ24mであるが、最近、宮柱の根本が発見され、それによって48mもの高さの神殿を建てることができる事が判明した。現在のビルなら十数階に相当する高さで、その復元模型の写真も掲載されている。[5]

 平和的にオオクニヌシの領土を統合した過程から、当時の日本人の考え方が窺える。自由社版はこう結論づけている。

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 勝者は敗者に対して、その功績を認め、名誉を与え、魂を鎮める祭りを欠かさない。古代の日本人は、こうした政治の在り方を理想としていたのです。[2,p45]
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■6.神武天皇の足跡

 この後、地上に降り立ったニニギの命の子孫が、山の神や海の神の娘たちと結ばれ、それらの霊力が初代の神武天皇に継承されていく。

 神武天皇に関しては、日本サッカー協会のシンボルマークが、「神武天皇が道に迷ったときに導いた3本足の伝説上のカラス」であること、2月11日の建国記念の日が神武天皇の即位したとされる日付を太陽暦に換算したものであること、を紹介している。

 ちなみに、神武天皇は日向から大和の地に東征して、初代天皇として即位されたのだが、通過した各地で様々な言い伝えが残されている。[b]

 たとえば、その船団は宮崎市と延岡市の間にある美々津港から七つばえ島と一つ神島の間を通って出航したのだが、当地の漁師達は、ここを「御船出の瀬戸」と呼び、決して通らないようにしている。

 船団が明石海峡にさしかかると、波の流れが速いことから、「浪速国(なみはやのくに)」と呼ばれた。今日の大阪の難波(なんば)は、これがなまったものだと伝えられている。

 こうした言い伝えが、日向から大和に至る各地に残されている。中学生たちが郷里に残された神武天皇の足跡を調べてみれば、自分が太古からの歴史と連なっていることを実感できるであろう。


■7.神武天皇の理想

 こうしてたどり着いた大和の地で、神武天皇は都を創ろうとの詔を出された。その中には現代語にすれば、こういう一節がある。

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人々がみな幸せに仲良くくらせるようにつとめましょう。天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根(一宇)の下の大家族のように仲よくくらそうではないか。[6]
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 これが「八紘一宇」の理想である。戦後、この言葉から「日本が世界を征服しようとした」などと曲解・喧伝された。しかし、オオクニヌシの国譲りとも併せて考えれば、いろいろな部族が一つの国家にまとまって仲良く暮らしていこうという、きわめて平和的な理想である事が理解できよう。

 太古の日本は樺太・千島列島、朝鮮半島、南西諸島からいろいろな民族が渡ってきた「多民族国家」であったと考えられるが、平和的に一つの国家にまとまっていったのは、この理想が現実に生かされた結果であろう。大陸で様々な民族が血で血を洗う抗争を続け、次々といくつもの王朝が樹立されては倒されていった歴史とは著しい対照をなしている。

 また、先の大戦ではわが国はドイツと同盟を結んだが、そのユダヤ人排斥に対しては、この八紘一宇の理想から賛同せず、ユダヤ人を公正に扱うべしという「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を国策として決定している。[d]

 この方針のもとで、シベリアからのユダヤ人難民2万人が救出されて満洲国に安住の地を与えられたり[e,f]、日本統治下の上海でも数万人規模のユダヤ人難民が安心して暮らしていた[d,g]。


■8.神話と現代のつながり

 神話を学ぶことは、このように我々の先祖の理想や価値観を知り、そこから我々自身が現代をどう生きるべきか、という事を考えさせてくれる。日本神話はそれだけ深く、豊かなのである。

 我々の先人がこのような神話を通じて理想や価値観を代々語り継いできたというのは事実である。神話は史実ではないから無視するという姿勢は歴史研究では許されようが、歴史教育ではなすべきことではない。歴史研究との混同が、今日の歴史教育を歪めている/