

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.601
2012/10/27









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■□【1】終戦と敗戦
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戦前の外務省に、「調査官」という機関がありました。今風にいえば「スパイ」ということになるかもしれません。
けれど、陸軍中野学校などでもそうなのですが、日本における調査官というのは、欧米のスパイ映画に出てくるような、いわゆる「工作」を行うスパイとは、かなり様子が異なります。
現地の人にまじり、現地の人と一体となって信頼関係を築き上げ、その土地土地のさまざまな状況を調査する。そういう機関だったのです。
なぜそうなのか。簡単にいえば、当時の東亜諸国は、いわゆる「工作をするようなところではなかった」のです。
「秘境西域八年の潜行」(中央公論社)という本があります。戦前、まさにホンモノの外務省調査官だった西川一三(にしかわかずみ)さんという方が書かれた本です。氏は、三巻にわたって大東亜戦争当時の東亜諸国についての詳細なレポートを書き綴っています。
西川氏は、昭和18年、外務省の調査官として、支那の内蒙古に入り、ラマ僧に扮して、そこから寧夏、甘粛、青海、チベット、ブータン、西康、シッキム、インドをめぐり、チベットの古都、ラサで終戦を迎えました。
ラサでは、市内近郊にあるレボンという寺に修行に入り、ラマ僧として2年間生活しています。寺を出たあとは、再びヒマラヤを越えてインドに向かい、インドの仏教遺跡巡りをはじめました。
昭和25年6月、彼はインドからビルマに足を延ばそうとした矢先に、インド政府に拘留されて、日本に送還されました。日本に上陸した彼は、上陸と同時にGHQによって逮捕され、6ヶ月間にわたる取り調べを受けています。
取り調べにおいて、彼は8年間の行状について、詳細な報告をしています。すべて記憶だけで報告しているにも関わらず、日時、場所、人名、地名、建物や街の状況について、あまりにも報告内容が正確であったため、取り調べにあたった米国の調査官が、その記憶力の確かさにおどろいたと伝えられています。
この本は、彼の行脚の模様を、そのまま本にして綴ったものなのですが、その中にこんな記述があります。
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旅の途中、漢族のバトという少年がついてきた。チベットで、少年は、当時流行した天然痘を患った。少年は、全身に発疹ができ、最後には顔の何処が鼻だか口だかわからないほど変形し、死んだ。
この時代のチベットに、薬などはない。天然痘にかかったバド少年は、ラマ僧によって悪魔払いの儀式を受けたのである。これが当時の唯一の治療法だった。
バドは、9歳の若さで亡くなった。そして村はずれの死体置き場に置かれ、翌日には鳥につつかれ狼に食べられて骨だけになった。世界はそれほどまでに貧しかった。
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戦前の世界を、いまの価値観、世界観で把握したら、大きな間違いをします。東亜諸国は、植民地として収奪され、餌食にされ、教育を奪われ、私有財産を奪われ、何もかも失った「貧困が支配」していたのです。
ではみなさん、その「貧困」から脱出するためには、何が必要でしょうか。すこし考えていただきたいのです。
まず、働いても収入を支配者たちに持って行かれる。これをなんとかしなきゃなりません。では、白人たちの支配から脱却するためには、何が必要でしょうか。
まず「教育」が必要です。このことには議論の余地はないと思います。民衆が無学文盲では、新国家の建設は不可能だからです。
「教育」のためには、そのためのインフラとしての学校が必要です。「学校」に通うためには、子供達が安心して学校に行ける通学路の整備と子供達の安全の確保のための警備が必要です。さらに警備する人たちの訓練が必要です。
学校を作ったら、学区を編成しなくてはなりません。そのためには、行政制度の整備が必要です。
行政制度の整備のためには、行政官の育成と行政組織の整備が必要です。また育成された新しい現地の行政官たちが、旧支配者やその同調者たちから襲われることがないよう、現地人の教練が必要です。
そしてそれらを行うためには、莫大な投資費用を提供してあげる必要があります。
その全てを、ごく短期間の間に、日本の軍人さんたちは、東亜諸国で実施したのです。経費はもちろん、全部、日本のお金です。
当時、東亜の人々を支配していた白人にとっては、黄色人種は「人」ですらありませんでした。若い白人女性が部屋で素裸になっているところに、掃除のためにと東洋人男性が入ってきても、騒ぎにもならない。それはまるで犬や猫が部屋にはいってきたのと同じものでしかない。もちろん、白人男性がそんなところに入ってきたら、これはもう大騒ぎになります。
白人女性が、庭先に出て、地面にお菓子をまく。そこに東洋人の子供達が、まるで鳩の群れのように、大勢たかってくる。それが東洋人の姿でした。
支配者と、被支配者。とりわけ肌の色の異なる人種間におけるその関係と落差は、まさに天と地だったのです。
これに近い状況は、戦後、GHQに占領された日本においても、その片鱗を見ることができます。当時の上野の駅は、旅費がなくて故郷に帰れない浮浪者の宿泊施設と化していました。私などがまだ小学生だった昭和30年代でも、街のあちこちで、ボロをまとった乞食の姿をよく見かけたものです。
ただ、日本人が6年8ヶ月の占領を経由してもなお、人としての矜持を保つことができたのは、ひとえに、戦前の高井レベルの教育と、古くからある道徳を重んじる日本人の気質が、その後の国家の再生を支えたのです。
大東亜戦争は、日本が起こした侵略戦争だと言う人がいます。けれど、それはねつ造されたデタラメの史観であり、プロパガンダです。日本は、明治の開国以来、日本人の自主独立のために戦い続けました。そして同時に、日本の自主独立のためには、日本だけでなく東亜諸国の自主独立も必要だったのです。
そして世界でただ一国、自主独立を果たし、欧米列強と並ぶ地位を築いた有色人種国日本には、アジア解放のための期待が集まり、同時に白人諸国にとっては、日本は世界最大の敵となったのです。
黄文雄さんの著書に「捏造された日本史」という本があります。そこには、次のような記載があります。
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日本がアジアから白人を追い出し、日本の国益を確保するには、アメリカと対決するしかなかった。
日米決戦(太平洋戦争)は日清、日露戦争と同じようにもともと無理な戦争だった。しかし、日米戦争は、日露戦争と同じようにアジア諸民族に大きなインパクトを与え、東亜の諸民族を覚醒させ、ナショナリズムを形成させたのである。
数百年にわたる西洋植民地体制が日本側の一撃でもろくも崩壊したのである。アジア諸民族からすれば、神にも近い位置に君臨していた白人が、遂に負けたのである。シンガポールが陥落したとき、イギリスに亡命していたド・ゴールも、「アジアの白人帝国、西洋植民地体制が終焉した」と日記に書き記したほどだ。
日本の敗戦後、イギリス、アメリカ、フランス、オランダは再び東南アジアに舞い戻ってきたが、時代は既に変化していた。かつて支配下に置かれていた有色人種はいつの間にか変わっていたのである。
日本軍によって編成され、訓練された独自の軍隊が東南アジア各地にあり、しかも人々はナショナリズムに燃えていた。再来した欧米の支配者にはもう押さえる力が無かった。
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日本の勇敢な戦いによって、世界は変わったのです。
小室直樹氏の「日本の敗因」には、次の記載があります。
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大東亜戦争は、アジア解放戦争である。何よりの証拠に、戦後、帝国主義諸国の植民地が次々と独立した。


