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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成24年(2012)10月26日(金曜日)
    通巻第692号  
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第245回公開講座
「三島由紀夫と保田與重郎、そしてファシズム」(その2)
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 講師:ヴルピッタ・ロマノ氏(京都産業大学名誉教授)


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(承前)
6.行動の文学としての三島文学
文学の観点から、三島文学とファシズムの共通点を探ってみよう。三島文学を一言で表現すると、行動の文学である。特に後期の作品になると、その傾向が強い。前期の小説を見ると、いずれも主人公はやはり行動的である。全般的に見て、三島文学は知性的というよりも行動的である。ファシズムが行動を重視するのと同様である。

ファシズムを哲学的に整理した20世紀イタリアの哲学者ジョヴァンニ・ジェンティーレは「行動(行為)の哲学」を提唱した。彼によると、人間の思考は行動(行為)をもって初めて自己認識し、自分の存在を実現するという。ファシズムが行動の政治学とも言われるのは、このためである。

ムッソリーニはしばしばレーニンと比較される。ムッソリーニの政治論、党組織論はレーニンと共通性があるとされており、レーニンの秘書であった女性はムッソリーニと交際していた。彼女はムッソリーニにマルクス主義を解説しており、その点でレーニンの間接的な影響があったと言える。
ムッソリーニとレーニンの共通点は、組織が少数のものであり、その少数が大衆を指導する、という考え方にある。だだ、両者には根本的な違いがある。それはレーニンの場合、エリートとは知識人であると考えていたのに対して、ムッソリーニの場合、エリートとは行動家であると考えていた。

一方、ムッソリーニと三島由紀夫の共通点は人間を英雄として考える点にある。前述のように、三島文学の主人公は行動家・英雄であり、とにかく個性が強い。人間の在るべき姿は英雄であるという発想に立っており、ファシズムの特徴もそこにある。マルクス主義と自由主義は物質的条件を重視し、人間が経済や環境によって左右されると考えているのに対して、ファシズムはそうした考えを完全に拒絶する。ファシズムは人間の意志を重視し、人間が自分の意志で環境を支配すると見る。つまり、人間は自分で自分の運命を決めるのである。

またもう一つの共通点は伝統と血統の重視である。マルクス主義の言うように、人間は今日という時間的環境の中に孤立した存在ではない。人間の裏には過去がある。人間は歴史の所産であり、過去から受け継がれてきたものを未来に伝えようとする。これは三島の考えと同様である。人間は無意識的にも過去の蓄積の結果であり、将来にわたって継続する。これが伝統であり、物理的に見れば、血統ということになる。だからこそ、保守派・民族派は伝統を重視するのである。そして、三島に大きな影響を与えた日本浪漫派はこの伝統だけではなく、血統を重視していた。

そして、こうした伝統と血統こそ、個人としての人間が共同体の構成員となる上で重要な意味を持つ。伝統とは共同体の基盤であり、この伝統がなければ人間は孤立したものになってしまう。だからこそ、人間は共同体で自らのアイデンティティーを追求するのである。この点で伝統と血統はアイデンティティーの源泉となっていく。三島も「文化防衛論」でこうした問題をはっきり意識していた。人間が社会の中でアイデンティティーをもって成り立つのは伝統があるためである。

現在、世界を標準化しようとする傾向の中で伝統は悪として否定されている。伝統に基づく各国の習慣、地方の違いはグローバリズムを妨げるものとして消去されつつあるが、これは個人の否定につながるものである。伝統の防衛は文化の防衛であり、最終的に伝統はアイデンティティーの源泉として自己の防衛にもなる。
なお、伝統と革新の関係であるが、伝統という言葉にはいい意味と悪い意味がある。伝統は単に過去の旧習の墨守であってはならない。それでは国民のエネルギーや創造力の足かせになる。あくまでも伝統は過去との連続性を念頭に置き、現在を一新して将来の基盤を形成するものでなくてはならないのである。

7.創造力の源泉となるために
20世紀初頭、イタリアでは未来派という大きな文化運動が起きた。未来派は古典と伝統の破壊を提唱し、その影響は文学や絵画、建築、料理など、すべての分野に浸透することでファシズムの形成に大きな影響を及ぼした。イタリアファシズムの最初の基盤を作ったのは元イタリア社会党の一部や元軍人、それに未来派の人々であった。日本で伝統について正しい観念を持っていたのは保田與重郎である。保守は革新の母でなければならない、と保田が主張したように、単に過去を保つだけであれば伝統自体がなくなり、マンネリ化してしまう。

伝統は革新の母であるという観念はファシズムにおける革命の観念でもあると言える。三島も行動をもってこの発想を表明し、伝統の重要性を提唱したが、彼は現代人として自分の時代を生きた。三島は西洋文化・西洋文学を完全に吸収し、それを日本の伝統に導入した。そして、両者を見事に調和させた点で西洋と日本を調和させた人物であった。『近代能楽集』はその象徴的なものである。彼は自らの文学で日本民族すべての歴史的経験を総合したのであり、これこそジョヴァンニ・ジェンティーレが提唱した「民族的ジンテーゼ」に相当する。文明開化以来、日本が受け入れた西洋文化も日本民族の経験であることを認めた上で、それを誰よりも「日本化」したのは三島であろう。元来、ファシズムは「民族的ジンテーゼ」であり、ムッソリーニは左翼から出発し、すべてのイタリア国民の経験を総合することで新しい思想を成立させた。このように「民族的ジンテーゼ」は歴史の正しい理解から始まるのである。

8.保田と三島における歴史の捉え方
保田について、福田恒存の論文には次のようにある。この論文を実際に執筆したのは西尾幹二氏と言われているが、そこには保田の功績として、西洋文学に馴染んでいた昭和の読者たちにも古典を分からせてくれた近代的センスがあった、と述べられている。保田は幼いことから日本の古典に親しんでいたが、西洋文化の教育も受けていた。彼はその経験を日本文化に持ち込むことで、一つのジンテーゼとしたのである。

なお、保田について面白い逸話がある。戦前、彼はほとんど洋服を着ていたが、戦後は和服に切り替えた。彼は戦前、日本に西洋の精神を導入すべきと考えていたが、むしろ戦後は日本文化の防衛を第一義と考えていたのであろう。保田の文学は歴史そのものであり、彼は万葉集以前から始まる一筋の道を日本文化に描き、それを正当な道であると主張した。そして、こうした正道だけでなく邪道も容認した。正も邪も国民の歴史的経験である以上、邪を否定したら国民の歴史は成り立たなくなると考えていた。こうした保田の立場は「民族的ジンテーゼ」に基づく一つの歴史観と見るべきだろう。

同様に三島も歴史を意識し、「歴史と伝統の国」としての日本を提唱した。実際、1941年発表の『花ざかりの森』では歴史と血統が表れているが、それ以降の著作では歴史的意識というものは表れていない。三島の歴史観は現在に集中する面が多く、『豊饒の海』で表れたように、彼にとっての歴史は一世代のスパンであり、あるいは現代と深いかかわりがある幕末までである。その反面、三島は戦後日本の教育に浸透していたマルクス主義の史的唯物論に対して批判的であった。史的唯物論は自由主義と同じく決定論に立脚し、決まった歴史の規格の中に人間を束縛する。これに対してファシズムは人間の自由な意志の結果として歴史を捉えており、三島も同じ立場であった。三島が史的唯物論を批判したのは、歴史は物理的なものではなく、「民族の精神史」でなければならない、とする考えがあったからである。