◆橋田雅人『哲人・中村天風』を読み解く
※要旨
・どうしたら心を強く、明るくすることができるだろうか。早くその方法をつかみ出したい。中村三郎(天風)の前進的な決意を見て取ったのか、ヨガの聖者カリアッパは、
「身体に違和感があろうと、泣き言は言ってはならぬ。気分はどうかと私が尋ねたら、ハイ元気です、とニッコリ笑って答えよ」
と言うと、ゆっくり立ち去った。
・インドの修行でよみがえり充実した三郎の生命力は、第二次辛亥革命を助け試運転された。満々と充実した体力と気力は、帰国後もその圧力をいよいよ高めていった。
請われるままに『時事新報』の記者となった。まさに神出鬼没とも言うべき敏捷な行動と筆の冴えに、記者仲間は舌を巻いたという。ほどなく三郎は、実業界へと転身する。製粉会社、電灯会社や銀行など、いくつかの企業の経営に参画した。小気味のよいほどの決断力と精力的な行動は、次々と事業を成功に導いた。
・衆知のように、中村天風は仁侠にすぐれ、清廉潔白そのものの大人であった。対する相手がどのような位階の者で、あるいはどのような財産を持つものあろうとも、そうした内容に心を奪われることは一度としてなかった。常に自己をゼロの地点に置き、己の内側にある真から、決して目をそらすことがなかった。
・中村天風は、1876年生まれ。本名は、中村三郎。父・祐興は、九州柳川藩主の一門で、大蔵省の要職にあった。
13歳のとき東京の小学校を卒業、九州の修猷館に入学。16歳のとき、問題を起こし退学、頭山満の玄洋社に預けられる。その気性の激しさから「玄洋社の豹」と渾名される。
同年、陸軍中佐で軍事探偵の河野金吉の鞄持ちとして日清開戦前の満州、遼東半島の偵察に従う。約1年の調査行動のあいだに中国語を習得する。
26歳のとき、参謀本部の諜報部員として採用され、満州に潜入。日露開戦前後の情報収集と後方攪乱を実施。
帰国後、30歳のとき、肺結核を発病、死に直面する。
病気を治すため、世界を回る。求める答えが見つからず、無念の帰国を決意。帰路のカイロで、偶然ヨガの聖者カリアッパ氏に出会う。彼に連れられ、ヒマラヤ山脈の村で、2年間、ヨガの修行を行う。
・37歳で帰国、実業界で大いに活躍。43歳のとき、感ずるところがあり、実業界から身を引き、上野公園などで説法をはじめる。
政府高官が、この講演を聴き、「この人は大道で講演させておく人ではない」と、有力者へ紹介。政界・財界などの有力者が天風の門下生となった。
彼の会へ入会した人物は、原敬、東郷平八郎、杉浦重剛、松下幸之助、稲盛和夫、山本五十六など多数。
※コメント
中村天風氏は、その波乱万丈の人生も面白い。彼の言葉には、本質を知ることができ、ためになる。現代にも彼の影響を受けている人は多い。今後も彼の記録を追い続けたい。
★橋田雅人『哲人・中村天風』の詳細、amazon購入はこちら↓
http://amzn.to/VCFeXN
日本の歴史には、言葉では表せないほどの器の大きな大物がいた。彼らは、名誉や財産などでははかれない何かを持っていた。
今こそ、トップリーダーたらんと思う方は、彼らから学ぶべきものがあるのではないか。
____________________________________
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【現在、販売中の小冊子&レポート】
http://ameblo.jp/spy/theme-10021050417.html
【発行】国際インテリジェンス研究所:
公式ブログはこちら↓
(http://ameblo.jp/spy/)
【発行開始・解除はこちらから】
http://www.mag2.com/m/0000258752.html
◎国際インテリジェンス機密ファイルのバックナンバー・配信停止はこちら
⇒ http://bn.mobile.mag2.com/bodyView.do?magId=0000258752
