

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.563
2012/8/24









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■□【1】古関裕而と愛国心
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昭和30~32年よりも前にお生まれになられた方なら、東京オリンピックは、昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックの入場行進をご覧になり、大感動したご記憶をお持ちの方も多いのではないかと思います。
高らかなファンファーレの響きとともに、壮大な行進曲が鳴り響き、各国の入場行進が行なわれました。
参加国93カ国、参加人数5,133人という数字は、オリンピック史上過去最多のものでした。
なぜ、日本で行なわれた東京オリンピックの出場国数が過去最多となったのかというと、理由があります。
大東亜戦争が終結したのが昭和20(1945)年、この年から昭和30年代にかけて、世界中で欧米の植民地支配を破り、アジア、アフリカの諸国が次々と独立を果たしたのです。この結果、東京オリンピックは、史上最多の出場国数となったのです。
日本は、戦争で日本中が丸焼けになりました。終戦直後は、それこそ食べる物さえありませんでした。
その日本が、急に復活を遂げ、昭和27年には独立を回復し、そしてその12年後の昭和39年には、アジアで初めてとなるオリンピックという平和の祭典を成し遂げました。
開会式は10月10日でした。前日まで、雨が続き、入場行進ができるかどうかも危ぶまれていました。けれど当日、東京・代々木の国立競技場は、雲ひとつない青空に晴れ渡りました。
競技場は7万1000人の満員の観客です。午後1時50分、参加国国旗が一斉に掲揚されました。
昭和天皇が、ご臨場されました。君が代が演奏されました。そしてあの、高らかなファンファーレとともに、オリンピックマーチが演奏されたのです。
多くの日本人が、その模様を前に、涙を流しました。日本は、人種の平等を目指して、苦しい戦いをしました。国土が焼土にさえなりました。
でも、その結果、こうして目の前に、独立を勝ち得た世界の国々が集い、いま、目の前で元気いっぱい行進をしているのです。
苦しかった戦争。戦後の貧窮。復興のために懸命に働いた日々。
「俺たちの日本が、ようやくここまできた。」
その嬉しさ、誇らしさ、まさに日本中をかけめぐり、その瞬間、まさに日本中の思いがひとつになりました。
このとき演奏された「東京オリンピックマーチ」は、もう半世紀も昔の出来事ながら、まるで昨日のことのように耳にこびりついている方も多いのではないかと思います。
素晴らしい名曲です。
作曲したのは、古関裕而(こせきゆうじ)です。
古関裕の作曲で、戦前のものには、「愛国の花」「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌(予科練の歌)」「ラバウル海軍航空隊」などがあります。
戦後ですと、「フランチェスカの鐘」「イヨマンテの夜」「決断(アニメ決断のテーマソング」などがあります。
戦後大ヒットしたラジオドラマの「君の名は」、映画の「モスラの歌」、野球ファンなら誰でも知っている「巨人軍の歌(闘魂こめて)」、「ドラゴンズの歌」も、古関裕而の作曲です。
甲子園球児のための名曲「栄冠は君に輝く」も、古関裕而です。
東京オリンピックの行進曲に代表されるように、古関氏の音楽は、どの曲にも独特な哀愁が漂い、日本人の感性を揺り動かす強い力を持っています。
なぜ古関氏は、かように心打つ素晴らしい曲を作曲できたのでしょうか。
私は、その源泉は、古関氏の持つ、限りない祖国愛にあると思っています。故郷の福島を、出身の学校を、親を、兄弟を、友を、家族を、深く愛する心があったから、みんなの苦しみや悲しみを、自分のこととして受け止める感受性があったから、こうした見事な曲を作曲することができたのではないかと思うのです。
バブルの絶頂期だったのが、平成元(1989)年12月29日です。この日の大納会で、日経平均株価は3万8,915円87銭という、市場最高値を付けました。日本人の個人所得は、世界一であり、円高も相俟って、多くのサラリーマンや若い女性たちがこぞって海外旅行にでかけました。
あれから23年が経ちます。日本は、いまだ先の見えない不況の中に沈んでいます。
個人所得が世界一にまでなった日本は、いまでは日本人労働者の4人に一人が年収200万円以下となり、失業者は増え、不動産は売れず、株価は8千円前後を行ったり来たりです。挙げ句の果てが売国政権の誕生。あの好況を呈した日本は、いったいどうなってしまったのでしょうか。
私にはひとつ予感があります。それは、時代は必ず変わる、ということです。
日本は、明治から大正にかけて富国強兵を図り、世界を代表する強国となりました。そして人種差蔑が世界の標準だった時代に、人種の平等を説きました。
おかげで日本は、世界の強国から疎まれ、民族自立のために武力をもって大東亜戦争を戦わざるを得なくなり、終戦時には国中が焼け野原となり、貧窮のドン底にまで追いつめられました。
けれど日本は、懸命に努力し、戦後の復興を成し遂げました。その復興を象徴するのが、東京オリンピックでした。そして日本は成長した。日本は世界第二位の経済大国となり、バブル好景気を満喫しました。
なぜ日本は成長できたのでしょう。
それは、戦前の教育を受けた優秀な人材がたくさんいたからです。要所要所でリーダーとなる人が、しっかりしていた。何がしっかりしていたのかというと、愛国心を持っていたのです。
そして日本古来の家族主義の思想の中で、社員を家族と考え、庇護し、社員や部下とともに成長を図ってくれました。それが日本の伝統的文化だったし、価値観だったのです。私達の先輩達は、限りない愛情を持って、戦中だけでなく、戦後も戦い続けてくださったのです。
けれど、戦後教育を受けた世代は、ある意味、戦いを知らない世代だったのかもしれません。戦争を知らない子供達ではなく、人として戦うことを知らない、あるいは戦うことをハナから「いけないこと」と決めつける世代となりました。
そして戦うことを放棄した日本に、収奪すること、奪うこと、盗むこと、横取りすること、自分の利益を図るこを正義と考える他国民族が、多数はいりこみました。あろうことか彼らは、「日本人のような顔をして」、日本人の中に紛れ込みました。そして、価値観の違う彼らは、日本の富を横取りし、いままさに日本国内で経済的利益を半ば独占している状況にあります。
けれど戦うことを知らない現代日本人は、なぜ自分たちが貧しくなったのかさえ知らず、わらからず、なんかおかしいなあと感じながらも、どうにもすることができない閉塞感の中にいるといわれています。
そんな日本が、ようやく変わりつつあるのが、昨今ではないかと思います。新しい「情報化層」と呼ばれる人たちが台頭してきたのです。
昨今のマスメディアの偏向ぶりに、多くの日本人は、内心で、「おかしい」「へんだ」と感じています。感じているけれど、なぜか、がわからない。
ところが「情報化層」は、その理由に明確な答えを出しています。
「偏向しているから」です。
偏向し、世間一般の価値観と微妙なズレが生じたテレビは、視聴率が下がります。長年続いたのに、いまはなくなってしまった水戸黄門は、在日コリアンが監督になってから、視聴率を下げ続け、ついには夜8時からというゴールデンタイムの番組でありながら、午後4時からの昔の水戸黄門の再放送の方が視聴率が良いという結果となりました。
同様に、偏向が続くテレビは、どこも視聴率が下がり続けています。ある程度の視聴率が稼げるのは、スポーツ番組くらいなもの。これではスポンサーはつかなくなります。
番組スポンサーがつかなければ、テレビ局は支払いに追われ、局の運営が厳しくなります。カネにならなくなる。
