【 幸せと平和を願う人々の心が臨界質量を超えるとき世界は変わる 】
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
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人間学を学ぶメルマガ『 こころは超臨界 』
読者:482人 / 発行人:渡部天真
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■桜ウォッチャー:いま注目のネットニュース
【早い話が...】受信契約NHK裁判と「善人劣性」という国民病[桜H24/8/22]
http://www.youtube.com/watch?v=CvSzGrfT1Ko&feature=youtube_gdata
⇒「善人劣性」の国、日本。いまこそ目覚めの時!
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◆ 2011年8月23日 第1391号「 喫茶去(きっさこ) 」
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★禅には「常住坐臥(じょうじゅうざが)・禅」という言葉があります。日常の生活の場や仕事の場での「体験」がそのまま禅であるという意味です。
禅の思想は極めて象徴的で、言句(文字や言葉)を表面的に捉(とら)えると解釈を誤ります。喫茶去というからお茶にとらわれてしまいますが、趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない、「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。( 松原泰道禅師 )
【世界の名言】
時の流れにゆいつの目覚めの瞬間がある
その瞬間がいまだ
( 釈尊 )
There is only one moment in time when it is essential to awaken.
That moment is now.
( Buddha, Indian founder of Buddhism, B.C. 563-483 )
●お茶を飲むということは、日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。
[巻頭の言葉]喫茶去――松原泰道・南無の会会長
【『致知』http://www.chichi.co.jp/ 2009年5月号、p2 】
中国は唐の時代、禅僧・趙州和尚(じょうしゅうおしょう)のもとに、一人の修行僧が教えを請いにやって来ました。趙州和尚が、
「あなたはここへ初めて来たのか?」
と問うと、僧は答えて、
「はい、初めてまいりました」
すると趙州和尚は言いました。
「喫茶去(きっさこ)」(お茶でも召し上がれ)
趙州和尚は、別の訪問僧にも同じことを尋ねました。その僧は、
「いえ、以前にも伺ったことがあります」
と答えましたが、趙州和尚は同様に勧めます。
「喫茶去」
このやり取りを見て、不思議に思った寺の住職が趙州和尚に尋ねます。
「老師は、初めて来た人にも、以前来たことがある人にも、同じに『喫茶去』と言われました。これはどういうわけですか」
すると趙州和尚はまたしても、
「喫茶去」
と答えたのでした。
禅の思想は極めて象徴的で、言句(文字や言葉)を表面的に捉(とら)えると解釈を誤ります。喫茶去というからお茶にとらわれてしまいますが、趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない、「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。
お茶を飲むということは、日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。お茶を飲むことだけではありません。ご飯を食べること、衣服を着ること、そうした日常のすべてが、そのまま禅なのです。
多忙な現代人は、食事もお茶も、他のことをしながらいただいて「ながら族」になりがちです。しかし、何事も「ながら族」ではいけません。お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに徹する。ご飯を食べる時も、衣服を着る時も、ただそのこと一つに徹してすることによって、人生の受け止め方も違ってくる。喫茶去とは、そのことを説いているのです。
自分は回り道をしているとか、自分の本当の仕事は別にあるとか、何事も一時の腰掛のつもりで手を抜いてやっていると、必ず悔いが残ります。しかし、どんな仕事であれ、その時に全力を尽くしてやったことは、後で必ずプラスになって返ってくるものです。全力を尽くして取り組んでいる限り人生に無駄はない。これは、私の長い人生から得た持論です。
●松原禅師の解説をもう少し拝聴してみることにします。「喫茶」の厳粛なこころを味わっていただきたいと思います。
『生きるための杖ことば』http://tinyurl.com/mfzv34
【 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p8 】
《 喫茶去・喫茶来(きっさこ・きっさらい)》
「喫茶去」も「喫茶来」も、ともに“お茶を召しあがれ”である。去と来は、いずれも喫茶を強める助辞で意味はない。喫茶去を「お茶を飲んだら帰れ」、喫茶来を「お茶を飲みに来い」と訳したら、笑い話だ。
わが国の茶祖の珠光(じゅこう)(1502年没)は、はじめは茶の葉を医薬として用いていたが、服茶には礼法が大切であると痛感したのが、茶の湯のはじめだという。そのころ、珠光は一休和尚(1841年没)に参禅していたが、一休は彼に「趙州喫茶去(じょうしゅうきっさこ)」の公案(こうあん=禅の修行者に師が与える命題)を与える。その公案の意味はこうだ。
趙州和尚(中国唐代の禅僧、897年没)は、師を訪れる修行者に誰彼の区別なく「喫茶去」と呼びかける。なぜひとしく「喫茶去」とあいさつするのか、というのが一休が珠光に与えた問いである。よく「茶禅一味(ちゃぜんいちみ=茶と禅の奥義は相通ず)」と言われるのは、一休と珠光の出合いがあったからだ。
いずれにしても真剣な実践の積み重ねの結果、はじめて得られる答えであるから、文字やことばで、その奥義は説明出来るものではない。そこで、世間的にいう喫茶も、ただ「茶を喫(の)む」ですませるのはわびしい。「喫(きっ)す」は、毎日の食後の番茶でも必ず両手で茶碗を持ち、心中で合掌して「頂く」敬虔さを呼び起こす行為であると私は言いたい。
去る第二次世界大戦のときである。シドニー湾内に特殊潜航艇で進入する命を受けた一人の若い海軍の水兵がいた。母艦を去るとき、彼は母の丹精の梅ぼしを細かくさいて、友人と別離の茶を服するのである。そのときの彼の辞世二首を紹介する。「喫茶」の厳粛なこころを読みとってほしい。
敵の地に深く入りける艦内に ふくささばきの音のしずけさ
つつましく薄茶をたてるたたかいの そのひとときのひまのなごやか
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禅の思想は極めて象徴的で、言句(文字や言葉)を表面的に捉(とら)えると解釈を誤ります。喫茶去というからお茶にとらわれてしまいますが、趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない、「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。( 松原泰道禅師 )
【世界の名言】
時の流れにゆいつの目覚めの瞬間がある
その瞬間がいまだ
( 釈尊 )
There is only one moment in time when it is essential to awaken.
That moment is now.
( Buddha, Indian founder of Buddhism, B.C. 563-483 )
●お茶を飲むということは、日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。
[巻頭の言葉]喫茶去――松原泰道・南無の会会長
【『致知』http://www.chichi.co.jp/ 2009年5月号、p2 】
中国は唐の時代、禅僧・趙州和尚(じょうしゅうおしょう)のもとに、一人の修行僧が教えを請いにやって来ました。趙州和尚が、
「あなたはここへ初めて来たのか?」
と問うと、僧は答えて、
「はい、初めてまいりました」
すると趙州和尚は言いました。
「喫茶去(きっさこ)」(お茶でも召し上がれ)
趙州和尚は、別の訪問僧にも同じことを尋ねました。その僧は、
「いえ、以前にも伺ったことがあります」
と答えましたが、趙州和尚は同様に勧めます。
「喫茶去」
このやり取りを見て、不思議に思った寺の住職が趙州和尚に尋ねます。
「老師は、初めて来た人にも、以前来たことがある人にも、同じに『喫茶去』と言われました。これはどういうわけですか」
すると趙州和尚はまたしても、
「喫茶去」
と答えたのでした。
禅の思想は極めて象徴的で、言句(文字や言葉)を表面的に捉(とら)えると解釈を誤ります。喫茶去というからお茶にとらわれてしまいますが、趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない、「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。
お茶を飲むということは、日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。お茶を飲むことだけではありません。ご飯を食べること、衣服を着ること、そうした日常のすべてが、そのまま禅なのです。
多忙な現代人は、食事もお茶も、他のことをしながらいただいて「ながら族」になりがちです。しかし、何事も「ながら族」ではいけません。お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに徹する。ご飯を食べる時も、衣服を着る時も、ただそのこと一つに徹してすることによって、人生の受け止め方も違ってくる。喫茶去とは、そのことを説いているのです。
自分は回り道をしているとか、自分の本当の仕事は別にあるとか、何事も一時の腰掛のつもりで手を抜いてやっていると、必ず悔いが残ります。しかし、どんな仕事であれ、その時に全力を尽くしてやったことは、後で必ずプラスになって返ってくるものです。全力を尽くして取り組んでいる限り人生に無駄はない。これは、私の長い人生から得た持論です。
●松原禅師の解説をもう少し拝聴してみることにします。「喫茶」の厳粛なこころを味わっていただきたいと思います。
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《 喫茶去・喫茶来(きっさこ・きっさらい)》
「喫茶去」も「喫茶来」も、ともに“お茶を召しあがれ”である。去と来は、いずれも喫茶を強める助辞で意味はない。喫茶去を「お茶を飲んだら帰れ」、喫茶来を「お茶を飲みに来い」と訳したら、笑い話だ。
わが国の茶祖の珠光(じゅこう)(1502年没)は、はじめは茶の葉を医薬として用いていたが、服茶には礼法が大切であると痛感したのが、茶の湯のはじめだという。そのころ、珠光は一休和尚(1841年没)に参禅していたが、一休は彼に「趙州喫茶去(じょうしゅうきっさこ)」の公案(こうあん=禅の修行者に師が与える命題)を与える。その公案の意味はこうだ。
趙州和尚(中国唐代の禅僧、897年没)は、師を訪れる修行者に誰彼の区別なく「喫茶去」と呼びかける。なぜひとしく「喫茶去」とあいさつするのか、というのが一休が珠光に与えた問いである。よく「茶禅一味(ちゃぜんいちみ=茶と禅の奥義は相通ず)」と言われるのは、一休と珠光の出合いがあったからだ。
いずれにしても真剣な実践の積み重ねの結果、はじめて得られる答えであるから、文字やことばで、その奥義は説明出来るものではない。そこで、世間的にいう喫茶も、ただ「茶を喫(の)む」ですませるのはわびしい。「喫(きっ)す」は、毎日の食後の番茶でも必ず両手で茶碗を持ち、心中で合掌して「頂く」敬虔さを呼び起こす行為であると私は言いたい。
去る第二次世界大戦のときである。シドニー湾内に特殊潜航艇で進入する命を受けた一人の若い海軍の水兵がいた。母艦を去るとき、彼は母の丹精の梅ぼしを細かくさいて、友人と別離の茶を服するのである。そのときの彼の辞世二首を紹介する。「喫茶」の厳粛なこころを読みとってほしい。
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