中国が靖国神社参拝を戦争美化と軍国主義の復活だと批判するのは、日本からより多くの援助をふんだくるための言いがかりにすぎない。こんな理屈が通るなら、中国を含めた戦死者の慰霊施設を持つ国はすべて戦争美化と軍国主義の国ということになる。しかし、靖国神社参拝イコール軍国主義復活という中国の意図的宣伝に、日本国内にも同調者がいる。これは日本社会の寛容性を示しているが、日本を守ろうとする意志すら許そうとしない中国の謀略に加担することにもなるのだ。
国を愛せない人々には沢山の理屈が必要であるが、国を愛する人々に理屈はいらない。それは家族を愛するのと同様に、こころの奥から自然に湧き出る愛情だからである。靖国神社参拝は、国のために命を捧げた戦死者に敬意を表すごく自然な愛情表現であり、一国の総理がそれを行わないとしたら、無責任と言うべきであろう。
二、靖国参拝問題、中国の絶好の外交カード
靖国参拝問題を中国に外交カードとして与えたのは、他ならぬ日本自身である。
中国が8月15日に行う戦勝記念行事は、反日キャンペーンそのもの。言論の自由のない中国であるが、反日キャンペーンならいくら過激な言葉を使って日本をののしっても許される。それにうろたえる日本政府は、中国の絶好のカモになっている。靖国問題ほど、使いやすいカードはない。いくら無礼な態度で日本を攻撃しても、日本政府は謝るか弁解するだけで反撃はしない。なんの犠牲も払わずに外交得点を稼げるのだから、中国にとってこんなうまい話しはない。
更におかしいことに、中国に靖国神社はダメだと言われた日本政府は、別に慰霊施設を造ろうと真剣に検討している。なぜ、自国の魂のあり方について中国に伺いを立てるのか、台湾人の私にはさっぱりわからない。しかし、それで中国が満足すると思うなら、日本の指導者はあまりにもナイーブすぎる。中国にしてみれば、靖国問題はあくまでも外交カードの一枚にすぎない。このカードが有効である限り中国は切り続ける。
有効でなくなったら、別のカードを探す。これが外交というものなの。
このカードを無効にする方法はじつに簡単で、無視するだけでいいのである。
反日キャンペーンをやった分だけ中国に対する援助を減らせば、もっと効果的だ。
日本は得をするだけで、困るのは中国なのだ。もちろん老獪な中国は、そのことを誰よりも知っているはずである。だからこそ、2001年の夏に田中真紀子外相に唐家セン中国外相が小泉総理の靖国神社参拝をやめろと「ゲンメイ」したのである。
これが効いたのか、小泉総理は自分の公約である8月15日の参拝を繰り上げ、13日の参拝となった。小泉総理は屈服し例年のように中国の勝利で終わったのだ。
中国は日本の軍国主義を批判するが、日本には軍国主義の影さえ見当たらず、中国こそが軍国主義国家なのだ。中国共産党政権は銃口から生まれた政権だ、と誇らし気に自認し、軍歌の「義勇軍行進曲」を国歌に定めているのである。
更に、毎年二桁増加する軍事予算と近隣諸国に対する威嚇行為は、まさに中国の覇権体質の現れである。現に、中国は第二次世界大戦後、18回も対外戦争を起こしている。1979年2月に中国が発動したベトナムへの「処罰戦争」では雲南省国境に近いベトナムの村を焼き払い、非武装の村民を屠殺した。
これはベトナムに教訓を与えるための戦争だと中国は主張したが、実は期限切れの武器の在庫を一掃するために発動した戦争だった、と戦争に参加した元人民軍幹部が私に話した。そのせいか、武器の故障と不発弾が多く、まともにベトナム軍と戦えなかったと言う。そのこともあって、中国軍はベトナムの村民に当たり散らし、屠殺したのであろう。この中国の戦争犯罪は不問に付されたままである。
1996年3月、中国が台湾に向けてミサイル演習をした時、中国の軍指導者は「アメリカが動くなら、ロスアンジェルスまで核ミサイルを飛ばして、めちゃくちゃにしてやる(中国語:打得希巴爛)」と、下品きわまりないことばでアメリカを牽制した。
しかし、アメリカは動ぜず、二空母艦隊を台湾海峡に派遣して、台湾を守る強い意志を示した。すると中国は、しっぽを巻いて退いたのである。
これが中国なのだ。一歩譲れば、十歩踏み込んできて取れるものを根こそぎ取っていく。弱いものは徹底的に蹂躙するが、アメリカのように強い姿勢で臨まれると、ささっと逃げる。靖国問題も、この中国人の本質を見抜かない限り、中国に利用され続けるであろう。
三、台湾人と靖国神社
靖国神社に、日本のために戦死した台湾人の英霊が2万7千柱あまりが祀られている。しかし、小泉首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受け、それはまた違憲であるとして、台湾の原住民枠で選出された国会議員の高金素梅氏と彼女に同調する日本人らが、首相と国に損害賠償を求める訴訟を平成15年2月17日、大阪地裁に起こした。
親日的と思われている台湾人が靖国問題で訴訟を起こしたことは、親台湾的な日本人を落胆させたに違いない。しかし、高金素梅氏は靖国神社に祀られている戦死者の遺族でもなければ、台湾人意識を持ち合わせている人間でもない。彼女の母親は台湾中部のタイヤル族原住民であるが、父親は戦後台湾に渡った中国人退役軍人である。歴史に翻弄された被害者とも言える中国人退役軍人は、台湾人に「老芋仔」(老いぼれ中国人)と呼ばれ、台湾社会では浮いている存在なのだ。そのため、人生の大半を台湾で過ごしながらも彼等は中国人意識が強く、彼等の子供たちも台湾人としての意識は薄い。
高金素梅氏は国会議員になる前、芸能人としてすでに全国的に有名になっていたが、その頃の彼女は原住民出身であることを隠して自分は漢民族で中国人だと主張していた。彼女と連携している政治団体は台湾内部の親中国勢力であり、パフォーマンスに長けた彼女は台湾の少数民族の代弁者に仕立て上げられたのである。彼等にとって、高金素梅氏を利用して靖国問題で攻撃をかけることは、大きな話題を呼ぶと同時に日本と台湾を離間させる一石二鳥の戦術でもあるのだ。
「遺族でもない高金素梅氏が訴訟を起こすのはおかしい」と、毎年靖国神社を参拝している元高砂義勇隊の隊員は憤慨しているが、彼女は親中反日勢力に動かされている一つのコマにすぎず、高金素梅氏は戦後世代の台湾人を代表しているわけではない。戦後世代の台湾人のほとんどは、靖国神社参拝問題を日本の内政問題と見ているし、それ以上の関心は持っていないのが実情だ。靖国問題で騒いでいるのは、中国と繋がっている一握りの政治勢力にすぎないのである。
日本植民地時代を経験していない戦後生まれの高金素梅氏が、日本の植民地統治によって苦痛を与えられたと主張しているのに対して、それを経験した台湾人の大半は親日派であり、靖国神社に台湾人の英霊が祀られていることを誇りに思っている。司馬遼太郎氏の『台湾紀行』に「老台北」として登場している蔡焜燦さんは、著書『台湾人と日本精神』に、靖国神社についてこう書いている。
「加えて、その靖国神社の神門が、実は台湾の阿里山の桧で作られていることも、台湾人と日本人の魂を結びつける一助となり、いまでも桜の季節には多くの台湾人が靖国神社を訪れ、両国の英霊に祈りを捧げていることをここで紹介しておきたい。
毎春、満開の桜が靖国神社に咲き誇るとき、かつてともに戦った台湾人元日本兵たちが「同期の桜を歌う会」の壇上で涙を浮かべて放吟する「台湾軍の歌」に暖かい拍手を送って頂きたいものである。」これこそが、その時代を経験してきた台湾人の生の声なのだ。
戦前、//
