『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
平成24年(2012)8月5日(日曜日)
通巻第669号
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三島由紀夫研究会第243回公開講座
「三島由紀夫氏は女系容認論者か―その天皇論の意味するもの―」
講師:富岡幸一郎氏(関東学院大学文学部教授・文藝評論家)
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1、三島事件から三島研究へ
私は昭和32年の生まれであり、三島事件当時は中学校1年生だった。昼休みに職員室に行くと、教員が総立ちになってテレビ報道に見入っており、ある英語教師は午後、自分たちに対して授業の代わりに三島の話をしてくれた。
自分はノーベール文学賞受賞候補にまでなった作家がなぜ自衛隊で自決するに至ったのかという思いを抱いたまま下校した。そして、自宅で中曽根康弘防衛庁長官の記者会見や、林房雄の談話をテレビで観たのを覚えている。
その後、高校時代には三島の評論『太陽と鉄』(講談社、昭和43年)について憂国忌で20分ほど話もした経験があり、それを契機として三島の文学や思想、行動に関心を持つようになった。
今年3月、三島と同じ戦中派世代である吉本?明が88歳で死去した。三島事件当時、吉本は雑誌『試行』を主宰していたが、その巻頭言「情況への発言」では三島の自決は非常に長い時間を経て、初めてその意味が理解されると主張していた。
吉本自身は60年安保闘争以来、左翼陣営に属していた論客であり、思想的にも三島とは生前から対立していた。しかし、吉本は三島の死がはらむ衝撃力を当時最も理解していた人物であると思っている。
2、文化概念としての天皇
三島は辞世の句で「益荒男」(ますらを)という表現を用いており、これは日本文化における武張った性格(ますらをぶり)、剣の原理を表すものである。その一方、三島は天皇や日本文化の一つの形として女性的な性格(たをやめぶり)を指摘している。
三島にとって文学は「たをやめぶり」であり、ある大学での講演では「文学とは徹底してなよなよしたものであり、そこに日本文学あるいは日本文化の本質がある」と述べている。実際、日本語の歴史をたどると、仮名文字の発明、源氏物語、古今和歌集、新古今和歌集に代表されるように、「たをやめぶり」につながるものは広く見られる。このため、三島は日本文学の源流に女性的なものを見いだしていたのであろう。ただし、天皇論として女系容認であったわけではないはずである。
▼三島の天皇論の肯綮は『文化防衛論』にあり
三島の天皇論として一つのまとまった形になっているのは『文化防衛論』(新潮社、和44年。初出は『中央公論』昭和43年7月号)である。この中で三島は「文化概念としての天皇」を掲げ、日本文化の特徴を写し出し、あるいは包含する存在として天皇を捉えている。
そもそも西洋の場合は古代ギリシャを原点としているため、オリジナルな文化はすでに存在しない。オリジナルなものをコピーすることで近代ヨーロッパは文化の再生を成し遂げてきたのである。それに対して日本の場合、天皇制度はこのようなオリジナルとコピーの関係とは異なる。伊勢神宮の式年造営や歌道の本歌取りの形式に見られるように、常に今あるもの、新しく移されたものがオリジナルになっていくのである。
これと同様に歴代天皇も天皇そのものであり、天照大御神との関係はオリジナルとコピーではない。そこには連続性、再帰性、主体性があるのであり、これこそ日本の天皇の在り方、日本文化の特質と言うべきである。
今年4月に自由民主党が改憲草案を発表し、天皇を「元首」と規定した。元首という言葉を用いることは誤りではないが、天皇という存在には元首以上の意味がある。三島が『文化防衛論』で述べているように、天皇は常にオリジナルなものである。今、そこに天皇が元首として存在しつつ、それと同時に連続性、再帰性、主体性があると考えるならば、元首という言葉では覆い尽くせないものがあることになる。
ここで「象徴」という言葉が一つの意味を持つ。日本国憲法で「象徴」(シンボル)という表現は「象徴にすぎない」というネガティブな意味で使われている。しかし、哲学者の和辻哲郎は「象徴」という言葉を深く解釈し、天皇は日本国民総体を表現するものであると捉えている。その意味で「象徴」という言葉は見方によって深い意味を持ち、天皇の存在にある祭祀性・宗教性を包含するものになる。したがって、改憲草案には「元首」という言葉だけではなく、同時に、「象徴」という言葉を積極的な意味で記すべきである。
今上天皇は、「自分は常に象徴としての天皇の在り方を真剣に考えてきた」とおっしゃっている。日本の千年を貫く歴史・伝統、あるいは歴代天皇が民と苦楽をともにする祈り、祭祀という意味を込めて、「象徴」という言葉を使っていらっしゃるのである。これは日本国憲法にある「象徴」という言葉を遙かに超えた意味を持つものである。東日本大震災に関連して昨年3月16日に今上天皇が発表された「おことば」は国民を勇気づけた。また、天皇・皇后両陛下が被災地各地を行幸されたことは、天皇というご存在が何であるか、三島の言う「文化概念としての天皇」、日本の歴史における主体性を国民にお示しになった行動であったと言ってもいいだろう。
▼文化概念としての天皇
震災後に発表された「おことば」の最後には、「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ」(宮内庁ホームページ「おことば・記者会見」より引用)とある。「長く心を寄せ」には日本国民そのものの表現者でいらっしゃる天皇が有する大きな意味が込められているのである。
三島の提示した「文化概念としての天皇」は、現行憲法下でも十分に体現されているのである。その例として、宮中の歌会始では天皇の御製だけではなく、一般から選ばれた歌も詠み上げられる。三島が『文化防衛論』の中で「みやび」と呼んでいる宮廷文化の精華が国民にも共有されているのである。
今回発表された自民党改憲草案のもう一つの特徴は自衛隊を「国防軍」と規定した点にある。その国防軍最高司令官は内閣総理大臣となっているが、天皇と国防軍の関係についてはもっと深く考える必要がある。三島は『文化防衛論』の中で、現行憲法下でも天皇が軍隊に対して栄誉を授与することは可能であると述べている。
実際、日本国憲法第7条には、「天皇は内閣の助言と承認により、国民のために右の国事行為を行ふ」として、その一つに栄典の授与が挙げられている。国防軍に対して栄典を授与すること、すなわち、三島が『文化防衛論』の中で栄誉の大権と表現したものを回復することは現行憲法下でも可能なのである。公僕の中でも軍人には事あるごとに命を捨て、国のために尽くすというパブリック・マインドがある。その国防軍に対して天皇が栄誉を授与し、また、天皇がその国防軍から儀仗を受けるということの二点は絶対に回復しなければならないものである。
勿論、これは天皇が陸海空の三軍の総司令官となり、また、政治に直結するということを意味するものではない。シビリアン・コントロールという枠組みを維持しつつ、その中で天皇の栄誉大権を回復することこそ、三島が『文化防衛論』で主張した大事な論点である。自民党の改憲草案はこの栄誉大権について、もっと踏み込んだ文言を用いるべきである。
3、転機としての昭和41年
三島にとって、思想的・文学的に天皇という存在が大きく出てきたのは若い頃からではない。三島にとっての大きな転機は昭和41年である。この年は『豊穣の海』連載開始の翌年にあたり、6月には『英霊の声』(『文藝』昭和41年6月号。同月、河出書房新社より単行本として刊行)を発表している。『英霊の声』は二・二六事件の青年将校と特攻隊の英霊によって、戦後の天皇人間宣言を問題化したものである。
