イスラム教は日本人にも、ドイツ人にも馴染みがない。80年代のドイツ・フランクフルトの広場で突然、イスラム教徒の女性が地面に触れ、アラーの神を祈りだしたのを見たが、やはり私だけでなく他のドイツ人世界から見ても奇妙に写っていた。戦後しばらくヨーロッパ女性も頭にスカーフを巻いていたが、トルコ系などのイスラム女性がヨーロッパに増え、ヨーロッパ女性達は彼らイスラム教徒と間違えられるのを嫌い、70年代にはヨーロッパ女性の頭からスカーフは消えた。イスラムに対する偏見はヨーロッパにも存在する。

トルコは地理的にはヨーロッパという僅かな領土があるが、ヨーロッパの本音ではキリスト教でなくかつアジアでもあるトルコのEU加盟を承認したくない本音もある。皮肉な事に、今日の経済が好調なトルコはEU危機を見て、(現在もEU加盟申請しているが、)承認されてなくて逆に良かったという意見もある。

さて、イスラムは厳格な戒律とウドゥー(礼拝の顔、耳、手や足を洗う事。日本人に判るように置き換えれば、ウドゥーは神社で口を注ぎ手を洗う清めが顔や足まで広がったと言えば理解できる。それを一日5回行なう)サラー(礼拝作法。日本人には神社で正式に祈る作法と同じだと思えだ理解できるだろう。)と断食という事を除けば、その宗教が説いている普遍的な本質的な事は、ユダヤ教、キリスト教、仏教、神道などと大差はない。

ただ、イスラム教はその厳格な戒律と祈りが他の宗教よりもクローズアップされイスラム教徒以外からは特異な印象を与える。世界は各々の枝葉的な違いで宗教対立している。イスラムの中では穏健派から過激派まであり、大半のイスラム教徒がテロを認めていないか憎んでいるというとだ。

(モスクでのアドバイス:汝、聖なる場所だ。靴を脱げと神は申されるが・・・足元が臭い・・・モスクを訪問すると、靴を脱ぐため、できるだけ床の絨毯に染みこんだ多くの人の強い足臭が移り足や靴が強烈に臭くなるので、靴下とソールの予備と取替えはした方が良い。靴べら持参のこと。イスラム教徒は草履かサンダルなので彼等にとって足の臭いは問題ないらしい。)

他方、アメリカもイスラムを狂信的とは言える資格はない。戦後アメリカから大きな影響受けている日本人だが、そのアメリカ人の宗教性について日本人は認識できているとは言えないだろう。アメリカに住んだことがある者であればわかる事だが、実はアメリカもかなり極端に宗教的でもあり宗派に寄っては狂信的な活動もかなり多い。自分たちの信仰を揺るがす近代文明の一部を拒否するアーミッシュ、欧州ではあまりない過激なショーのようなテレビ宣教師、子供に罪の意識を与え、泣くまで懺悔や祈りをさせる教会、聖書の文言一字一句がすべて正しい主張する原理主義、あるいは進化論は正しくなく、聖書のアダムとイブの誕生が事実であり、進化論を教育現場では教えるなとする地区もある。これらを挙げるだけでもお判りになるだろう。

したがって、このような彼らアメリカ人が発信するイスラム情報を見る場合は、彼らのフイルターに留意して、情報を見なければならない。

コーヒーブレイク:キリスト教に正確な理解がない日本人の中には、キリスト教式の結婚式に憧れて方もいる。しかしながら、日本ではでたらめなキリスト教の結婚式は多い。例えば著者が日本の結婚式にご招待いただいた中には、神父または牧師がどこどこの教会から派遣されたと自己紹介し式を始める本物の神父、牧師もいるが、所属も述べないで、恐らく流れ者のような外国人のバイトを牧師にした…

[続きはコチラから]
https://mypage.mobile.mag2.com/WebLeading.do?id=z43kvENMP6&position=4500#position
◎クライン孝子の日記のバックナンバー・配信停止はこちら
⇒ http://bn.mobile.mag2.com/bodyView.do?magId=0000098767