

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.552
2012/7/30









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■□【1】願兼於業と日本人(2/2)
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※昨日からの続き
私は、すくなくとも、いまの若者達の現実を招いた教育やメディアの責任は、果てしなく重いと思います。
まさに万死に値する。
同時に、そういう戦後思想というか、歪んだ教育を放置し、容認してきた私達自身の責任も、たいへん重いと思うのです。
繰り返しますが、日本人のDNAを持った彼らは、もちろん仕事は誠実にこなします。
約束も守る。
時間も守る。
キチンとした仕事をしようとします。
けれど、過去の日本は醜い国家であったと刷り込まれた彼らは、ひたすら過去から目を背け、いまの瞬間だけを、ただ誠実に生きることしか残されていない。
あるいは、アイデンティティを失った若者にとって、「覚醒した、目覚めた」といっても、それはもしかすると異常行動の発露としての、もっと言えば、いわばカルトの代替物としての保守思想に走っているだけかもしれない。
このブログでも、支那や南北朝鮮、あるいは在日外国人が行なった、あるいはいま現に行なっている数々の非道の数々を書いています。
それらは事実であり、史実だからです。
けれど気をつけたいのは、だからといって、支那人、朝鮮人の全部が全部、異常者ではない。
北朝鮮のことはよくわかりませんが、すくなくとも韓国においては、韓国保守派と呼ばれる、真実に目を向ける、まっとうな人々がいます。彼らは、過去の朝鮮半島を美化するようなことはしません。李氏朝鮮時代の事実と正面から向き合いながら、あるいは日本統治時代の真実に目を向けながら、韓国が真に独立国となり、独立自尊を得るためには、韓国人自体が、世界に受け入れられる「まっとうな民族」に成長していかなければならないと主張しているし、日韓関係についても、真の友好を希求しています。決して火病に陥ることはないし、むしろ勇気を持って過去と向き合い、未来を建設しようとしている。
支那にしても、私は中共政府というものは、決して許すべきものではない。けれど、支那にも、過去と現在の異常な国柄を憂い、誇りある支那の伝統や文化を尊重し、まともな政治の実現に向けて努力しようという人々が、いまやネットなどを通じて数多くの情報発信をするようになってきています。世の中、馬鹿者ばかりではないのです。
ただ、日本にしても、支那にしても韓国にしても、あるいは在日コリアンにしても、いずれの場合も気をつけなければならないのは、アイデンティティに歪みを生じている場合、それらの行動は、否定や過激にしか走らない、ということです。
そこに、未来への建設は、ないのです。
たとえば、在日朝鮮人について、彼らがきわめて多くの犯罪を犯しているという事実は、見過ごすことができない事実です。
ならば、在日朝鮮人を全員、日本から出て行かせれば、問題はすべて解決するのかというと、実はそうでもない。
現実問題として、どこからどこまでが日本人で、どこからが在日朝鮮人といえるのか。
日本人と朝鮮人との間に生まれた子供達、そのまた子供たちとなるクォーターは、どうするのか。線引きはすでに、きわめて困難なレベルにまで達しています。だからといって、在日朝鮮人たちの反日活動について目をつぶって良いことにはなりません。
私は、そうした活動が、意味をもたない、なんの経済的メリットさえも生まないというだけの、峻別がキチンとできる日本の建設が大切だと申し上げているのです。
極端な話、日本人の純血種だから反日主義者ではない、ということでもないのです。
では、何が大切なのかと言えば、他の誰でもない。私達自身が、私達の国日本の、あるいは日本人であることのアイデンティティをしっかりと取り戻すことなのではないかと思うのです。
日本は、世界最古の国家であり、その世界最古の文明を、いまにまるごと伝えている歴史と伝統のある国です。そして他のどこの国さえも実現し得なかった、植民地支配主義と、奴隷という人類最古の風習を、貧しい中で、知恵と勇気をもってまるごと撃滅させた国です。
そういう史実をちゃんと普及する。日本人としての価値観と歴史を取り戻す。
たったそれだけのことで、日本の、特に日本の若者の元気が、未来を築く要となり得る。そう思うのです。
「願兼於業(がんけんおごう)」という言葉があります。
支那の唐代の天台宗の僧侶、湛然(たんねん:妙楽大師ともいう)の言葉なのだそうです。
「願って業を兼(か)ぬ」と読みます。
人はこの世に生まれてくる前に、自分の人生を決めて生まれて来るという概念なのだそうです。
そういうことが本当にあるのかどうかは私にはわからないけれど、もしその「願兼於業」なるものがあるとするならば、大東亜戦争を戦った大和の魂は、この国を守るため、そして植民地支配という世界の悲劇をこの世からなくすために、あえて戦乱の時代に生まれてきた「武人の魂」たちといえるのかもしれません。
同様に、戦後の復興期を担った大和の国の魂たちは、戦争で焼け野原と化した日本をハード面で復興する「工人の魂」たちということになります。
そして、その後の経済復興と成長を担った魂たちは、日本の産業を復興し成長させる「商人の魂」たちだったのかもしれません。
であるとするならば、平成不況からいまを、そしてこれからの未来を担う大和の国の魂たちは、日本の精神面の復興を担うことを使命として生まれてきた「心の復興を担う魂」たちなのかもしれない。
終戦の詔勅で、昭和天皇は「確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ 」と述べられました。
口語訳すると、
「神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ」です。
日本は、戦後の焼け野原から、ハードと経済についての復興は果たしました。
けれど、気高さと清廉を美質とする日本の精神面での復興は、いまだ成し遂げていません。
いま、40歳代の半ば以上の年代の方は、みなさん、バブル期をご経験されてきました。大なり小なり、好景気の恩恵に預かり、高価な買い物をし、海外旅行をし、中には高級クラブでお酒を飲んだ方もおいでになるかもしれませせん。
しかし考えてみると、そのバブル期の好景気は、単にそれ以前の時代を担った先輩達が、泥にまみれて必死になって我が国の再興のために汗水垂らして働いて貯えてくださった国富を、ただいたずらに食いつぶしただけです。そして日本は、あるいみ、再び無一文に近い状態となっています。
本来なら、ハード面の戦後復興のあとに、私達日本人は、精神面の復興(これこそが我が国の国体の精髄)を果たすべきでした。
それをしないで、単にバブルの好景気に浮かれたことが、結果として、天譴(天の制裁)を招き、それがその後の20年の我が国の停滞と不況となっているといえるのかもしれません。
ならば、いまこそ私達は、私達に与えられた本来の使命である「日本精神の復興を担う」ために働かなくてはならないのではないでしょうか。でなければ、冒頭に述べたような、次の世代を担う、日本の若者達が、歪んだ歴史観のまま、人生をすごすことになってしまう。日本から、永遠にアイデンティティが失われてしまう。
江戸時代、日本は、日本文化の、まさに花を咲かせました。
