◆台湾の戦後状況から馬英九政権まで

 では、台湾の状況からお話を始めます。台湾は第2次世界大戦後、連合国軍軍最高司令官のマッカーサーの命令により、中華民国の国民党政権に占領されます。占領は領土変更ではないことにご留意下さい。

 1951年にサンフランシスコ平和条約で、日本は台湾を放棄しますが、放棄先が明記されませんでした。これも条約史上珍しい例です。この間、蒋介石・経国父子の独裁政治が続きます。

 しかし、固定した土地・人民・独裁とはいえ、有効に管轄する政府・対外交渉能力を持つ政府が存在し、一国を形成する客観的条件を持っていましたが、当局者は1949年にすでに消滅した「中華民国という虚構を創造し、台湾海峡の対岸をも領土と見倣し、そこを占拠している中華人民共和国を「共匪」と称して「反攻大陸」を掲げ、台湾自ら一国を形成する意志を明確に否定し、従ってひとつの国家ではなく、国際的な「独立した政治的実体(independent political entity)」として過ごして来ました。

 1990年代に台湾は民主化が始まり、立法院(一院制国会)の全面選挙、1996年には総統の直接選挙で国民党の李登輝が当選、しかもこれらの選挙は台湾住民だけによる選挙でした。

 2000年の総統選挙では民進党の陳水扁が当選、それから2期8年の陳政権が続きます。李総統は1999年に台・中関係は「特殊国と国の関係」、陳総統は2002年に「台湾・中国一辺一国(それぞれ別の国)」と称し、ともに台・中関係の国際化を指向します。

 しかし「中華民国」という虚構を放棄できず、独立国家を設立する意志が不明瞭で、固定した土地・人民・民主化し有効に管轄する政府・対外交渉能力を持つ政府が存在するが、「事実上の独立国家(de facto independent state)」としかいえない状態にとどまりました。

 2007年7月陳総統は、国連に「台湾という名義で新参加」を申し込みましたが、秘書長潘基文は、「1972年の2758号決議によって台湾は中国の一部である」という理由によって、受付を拒否しました。後に「台湾は中国の一部である」という決議をしたことはないと、潘は米・加・日などから正式抗議を受けました。

 陳総統の申し込みは、世界に対して台湾政府の最高当局者が初めて「中華民国の虚構を捨て、台湾はひとつの「新生国家(new born state)」であるということを表明したものであります。そこから「法理上の独立国家(de jure in dependent state)」を実現する手がかりができたわけです。

 しかし2008年5月には、中国国民党の馬英九政権が誕生し、2011年の再選後には「一国両区」、つまり台湾と中国は統治者が違うだけで、ひとつの国であると言い出します。

 台湾は李登輝・陳水扁によってだんだん国際化してきたのが、一挙に「ひとつの中国」に引き戻されたのです。しかも台・中関係も、蒋政権時代の「反共匪」、「反攻大陸」のような相手に厳しい姿勢ではなく、馬政権の「傾中(対中国傾斜)」政策といわれるように中国一辺倒です。

 中国国民党を挙げての中国共産党指導者に対する訪問競争、また台湾を中国市場に囲い込むECFA(貿易協定枠組み)の締結、馬総統2期目は平和政治協定締結か? とも疑われています。

 今年1月中旬に総統選挙投票があって、そのときは51%余の得票率だったのですが、現在馬総統に対する支持率は20%以下に落ちています。それはあまりにも早い「傾中」に加えて、物価上昇、失業、貧富の差、米牛肉輸入、高官汚職などが原因になっています。

◆代表時代の重要な仕事

 私は陳水扁政権の後半(2004─08年)に駐日代表として参りました。その時、日米間には同盟、台米間には米の「台湾関係法」があり、これらを通してどのように台日米擬似同盟関係を作れるのか? それが私の当時の重要な仕事でもあり、陳総統も賛成した構想です。

 また、日本当局者が中国あるいは米国の高官と会談する前には、私は「台湾は中国の一部である」、および中国に併合されていない現状の「台湾独立」を「支持しない」とは言っても「反対」と言わないで欲しい、と伝える努力をしたものでした。

 それがいまの馬政権では、「台湾は中国の一部である」、「台湾独立反対」ということになります。

 因みに、台湾の行政院(内閣)の一部会である大陸委員会の今年発表の世論調査では、「すぐに独立」6.1%、「現状維持後に独立」15.7%、「永遠に現状維持」29.9%、「現状維持以後再決定」32.4%、「現状維持後の統一」8.2%、「すぐに統一」1.5%という結果が出ております。

 中国との無条件合併が1.5%、現状維持後の統一を加えても9.7%で、現状維持、つまり中国とは合併しないというのが9割以上ということです。

 陳水扁総統、さらに遡って李登輝総統の時代も含めて、台湾は世界を見回して、日本・米国などと結んで中国の侵略から身を守る方策をとりました。しかし、馬総統は中国と結んでその侵略を和らげるということで、つまり中国の好意に身を委ねるというもので、中国が台湾併合を核心的利益としている限りは危険な選択であると思います。

 さらに、日米とは自由主義・民主主義・法治・人権という共通価値観・社会制度を持ち、中国共産党の一党独裁政治とは価値観・社会制度が異なる、という重要な点を表に出さないようにしています。

                 (つづく)


2>>【書評】呉国光著『次の中国はなりふり構わない』  鳥居 民(中国現代史研究家)

◆独裁中国の維持とその限界

 中国についてだれもがもっとも関心を抱く問題、なぜ中国は民主化しないのか、明日の中国はどうなるのかを解明したのがこの本である。

 著者の呉国光氏は現在、カナダに在住している。呉氏は年若くして人民日報の論説委員となり、趙紫陽首相の政治改革計画に参画した。呉氏が中国を離れたのは1989年の天安門事件が起きる直前、趙氏が首相の椅子を逐(お)われる直前だった。

 呉氏はこの著書のなかで、「2001年で中国の改革は終結した」と説いている。

 どういうことなのか。中国政府は中国の企業が国際的な競争力を持つようになるためにはWTO(世界貿易機関)に加盟することが是非とも必要と承知していた。そこで1995年に中国は国際人権A規約に署名し、さらに民主化のポーズをとり、翌96年には「すべての市民は自決の権利を有する」と定めた国際人権B規約に署名し、アメリカとWTO加盟を交渉する用意を整えた。こうして2001年に調印にこぎつけ、加盟3年あとには中国の輸出入総額は1兆ドルを超え、日本を抜いて世界3位となったのである。

 そして呉氏は中国が2001年からは改革をおこなうことなく、独裁体制を「安定維持」するための対策だけを講じてきたのだと説く。本書の巻頭に載せた櫻井よし//