■5.魏と邪馬台国の同盟関係
当時も今も、東アジアの政治外交で重要なのは朝鮮半島の情勢である。
自由社版と育鵬社版は倭人伝の引用を「倭人は、帯方郡の東南の大海にある島に住んでいる」という一文から始めているが、両社とも「帯方郡」に関して「中国の王朝が朝鮮半島に置いた郡で、中心地は現在のソウルあたり」という注釈をしている。
そして3世紀初頭の東アジアの地図を示し、それを見ると朝鮮半島のソウル辺りまでの北西部は、後漢ないしはその後継国家・魏の領土であった。すなわち、現代風に言えば、朝鮮半島の北西部は中国の植民地であったのだ。
「魏志」の中で、「倭人伝」と並んで、朝鮮半島の情勢を記した「高句麗伝」「韓伝」を合わせ読むと、当時の日中朝の緊張関係がよく理解できる。[a]
魏の帯方郡に隣接して、今で言えば北朝鮮の東半分と満洲の一部は高句麗が占めていた。また半島南部は人口は多いが70余国が分立する後進地域だった。さらに「韓伝」には半島南端は倭国が勢力範囲に含めていた事を示す記述がある。
すなわち、魏は国境を接する高句麗と緊張関係にあり、後進地域を挟んで、半島南端から日本列島にかけて倭国が勢力を張っていた。人口十数万程度の高句麗に比べて、当時の倭国はすでに百万規模の大国である。
■6.「たくさんのおくり物」の意味
その倭国から使節がやってきたのは、魏がそれまで遼東半島を領有していた公孫氏を滅ぼした翌年だった。その倭国と組めば、高句麗を抑え込む事ができる。実際に卑弥呼が使いを送ったのが239年、その3年後の242年には魏は高句麗に侵攻を始めている。
魏がいかに倭国との同盟を欲したか、は、卑弥呼の使節への厚遇ぶりから見てとれる。卑弥呼には「親魏倭王」の称号を贈ったが、これは229年の大月氏国に与えられた「親魏大月氏王」と同格で、外臣に与える称号としては最高のものであった。[a]
遣使の二人にまで銀印青綬が与えられ、さらに銅鏡100枚をはじめ高価な品々を贈った。ここまで理解すると、東京書籍版の言う「たくさんのおくり物」の意味が分かってくる。
それは、遠い島国の未開民族がはるばる使いを送ってきた事に、魏の皇帝が気をよくして鷹揚な贈り物をした、ということではない。高句麗を共通の敵とする同盟関係が成立した証なのである。
そして魏が公孫氏を滅ぼして、高句麗と国境を接した翌年に卑弥呼が使いを送ったというのも、偶然にしてはタイミングが良すぎる。卑弥呼としては魏の情況を読んで、同盟関係を持ちかけたのではないか。
紙数の限られた中学の歴史教科書では、ここまでは書けないだろうが、先生が教室でこういうレベルの解説をしてやれば、中学生でも国際政治に必要な戦略外交をよく理解できるのではないか。
■7.東書版の不可思議な構成
東書版では、上述のような帯方郡に関する引用も注釈もなく、魏志倭人伝を記述したページには、現在の中近東から日本までの広域のアジア地図はあるが、どういうわけか、万里の長城やシルクロードなど、本文とはまるで無関係の表示がなされている。
時代的にも2世紀頃の「後漢」の時代を表示しており、魏志倭人伝の書かれた3世紀とは、ずれている。その地図で小さく描かれた朝鮮半島の状況を子細に見ると、この頃の後漢の領土は、まだ朝鮮半島の付け根の部分くらいしか及んでなかったことが分かる。
すなわち、東書版の地図は、時代的にも、内容的にもずれており、この不可思議な構成は、朝鮮半島の中央部が魏の植民地であった事を隠すためではないか、などと弊誌は邪推してしまう。
これまでの「教科書読み比べシリーズ」でも何回か述べたが、この東書版は、朝鮮半島の明るい面は不自然に強調され、暗い面は意図的に隠されている印象を受ける。
よほど愛国的な韓国・朝鮮人が執筆しているのではないか。日本の中学で使われる教科書なのだが。
■8.朝貢外交か、戦略外交か
以上、同じ魏志倭人伝でも、中学生たちは教科書によってだいぶ異なった自画像が描くだろう。
東書版では、せいぜい未開民族の女酋長が、文明大国の中国に使いを送り、皇帝から贈り物をたくさんもらったという朝貢外交を学ぶ。
こういう教科書で学んだ中学生は自虐史観と近隣大国への朝貢外交しか知らずに育つ。そのまま大人になると、尖閣諸島/
当時も今も、東アジアの政治外交で重要なのは朝鮮半島の情勢である。
自由社版と育鵬社版は倭人伝の引用を「倭人は、帯方郡の東南の大海にある島に住んでいる」という一文から始めているが、両社とも「帯方郡」に関して「中国の王朝が朝鮮半島に置いた郡で、中心地は現在のソウルあたり」という注釈をしている。
そして3世紀初頭の東アジアの地図を示し、それを見ると朝鮮半島のソウル辺りまでの北西部は、後漢ないしはその後継国家・魏の領土であった。すなわち、現代風に言えば、朝鮮半島の北西部は中国の植民地であったのだ。
「魏志」の中で、「倭人伝」と並んで、朝鮮半島の情勢を記した「高句麗伝」「韓伝」を合わせ読むと、当時の日中朝の緊張関係がよく理解できる。[a]
魏の帯方郡に隣接して、今で言えば北朝鮮の東半分と満洲の一部は高句麗が占めていた。また半島南部は人口は多いが70余国が分立する後進地域だった。さらに「韓伝」には半島南端は倭国が勢力範囲に含めていた事を示す記述がある。
すなわち、魏は国境を接する高句麗と緊張関係にあり、後進地域を挟んで、半島南端から日本列島にかけて倭国が勢力を張っていた。人口十数万程度の高句麗に比べて、当時の倭国はすでに百万規模の大国である。
■6.「たくさんのおくり物」の意味
その倭国から使節がやってきたのは、魏がそれまで遼東半島を領有していた公孫氏を滅ぼした翌年だった。その倭国と組めば、高句麗を抑え込む事ができる。実際に卑弥呼が使いを送ったのが239年、その3年後の242年には魏は高句麗に侵攻を始めている。
魏がいかに倭国との同盟を欲したか、は、卑弥呼の使節への厚遇ぶりから見てとれる。卑弥呼には「親魏倭王」の称号を贈ったが、これは229年の大月氏国に与えられた「親魏大月氏王」と同格で、外臣に与える称号としては最高のものであった。[a]
遣使の二人にまで銀印青綬が与えられ、さらに銅鏡100枚をはじめ高価な品々を贈った。ここまで理解すると、東京書籍版の言う「たくさんのおくり物」の意味が分かってくる。
それは、遠い島国の未開民族がはるばる使いを送ってきた事に、魏の皇帝が気をよくして鷹揚な贈り物をした、ということではない。高句麗を共通の敵とする同盟関係が成立した証なのである。
そして魏が公孫氏を滅ぼして、高句麗と国境を接した翌年に卑弥呼が使いを送ったというのも、偶然にしてはタイミングが良すぎる。卑弥呼としては魏の情況を読んで、同盟関係を持ちかけたのではないか。
紙数の限られた中学の歴史教科書では、ここまでは書けないだろうが、先生が教室でこういうレベルの解説をしてやれば、中学生でも国際政治に必要な戦略外交をよく理解できるのではないか。
■7.東書版の不可思議な構成
東書版では、上述のような帯方郡に関する引用も注釈もなく、魏志倭人伝を記述したページには、現在の中近東から日本までの広域のアジア地図はあるが、どういうわけか、万里の長城やシルクロードなど、本文とはまるで無関係の表示がなされている。
時代的にも2世紀頃の「後漢」の時代を表示しており、魏志倭人伝の書かれた3世紀とは、ずれている。その地図で小さく描かれた朝鮮半島の状況を子細に見ると、この頃の後漢の領土は、まだ朝鮮半島の付け根の部分くらいしか及んでなかったことが分かる。
すなわち、東書版の地図は、時代的にも、内容的にもずれており、この不可思議な構成は、朝鮮半島の中央部が魏の植民地であった事を隠すためではないか、などと弊誌は邪推してしまう。
これまでの「教科書読み比べシリーズ」でも何回か述べたが、この東書版は、朝鮮半島の明るい面は不自然に強調され、暗い面は意図的に隠されている印象を受ける。
よほど愛国的な韓国・朝鮮人が執筆しているのではないか。日本の中学で使われる教科書なのだが。
■8.朝貢外交か、戦略外交か
以上、同じ魏志倭人伝でも、中学生たちは教科書によってだいぶ異なった自画像が描くだろう。
東書版では、せいぜい未開民族の女酋長が、文明大国の中国に使いを送り、皇帝から贈り物をたくさんもらったという朝貢外交を学ぶ。
こういう教科書で学んだ中学生は自虐史観と近隣大国への朝貢外交しか知らずに育つ。そのまま大人になると、尖閣諸島/