先日、一ツ橋総研のセミナーに参加してきました。セミナーでは市川周氏が石原慎太郎氏の政治に対する基本的な考え方を解説してくれました。
市川周氏が石原慎太郎氏から聞いた話。

終戦直後、若かりし頃の石原慎太郎氏が横浜で道を歩いていた時の事、占領軍の米軍が集団で道の真ん中を歩いてたそうです。
すると歩いていた日本人達はみんな道の端に寄って真ん中を米軍たちに譲ったのだそうです。
ところが石原氏、端に寄り損なったのか、そのまま真ん中を歩いていると米軍にぶん殴られたのだそうです。

その経験が後々まで石原氏の記憶に残ったのだそうで、これが敗戦国か!というわけです。
石原氏に一面で反米意識を強く感じるのはなるほどという気がしました。


 この話、私にはそれだけのこと。「敗戦」と言うのは当時を知らない私には「敗戦」は概念でしかない。
しかし、当時を生きた東京や横浜などの日本人にとっては単なる概念ではなく現実の体験であったわけで、その違いは大東亜戦争を解釈する際に大きな違いがあるのではないでしょうか。

 大東亜戦争を概念として捉える私は、終戦後の日本の行方を決めたカイロ宣言とは何か?ポツダム宣言とは何か?サンフランシスコ条約とは何か?は論理の世界、頭の中だけでの解釈となります。
中華民国とUK(イギリス)は否定していると聞く「カイロ宣言」の有効性は極めて疑問。するとそれを受けたポツダム宣言、更にサンフランシスコ条約は?と、疑問が次々と湧いてきます。
法律屋達が何を言おうと私には説得力を全然感じさせません。

サンフランシスコ条約締結をもって「日本の独立」?では日本は連合諸国の植民地だったと言うのでしょうか?
GHQはその有効性が疑問のポツダム宣言の執行機関でマッカーサーはその機関の長に過ぎませんでした。
彼は日本国の議会を解散させて日本政府の行政の長として権限を有していたわけでもありませんでした。
天皇も現人神から人間天皇に変わりましたが皇紀二千六百年の天皇制は継続していました。
勿論強い圧力を掛けて日本政府を背後から操ったのは事実のようですが、形式的には彼は植民地の支配者ではありませんでした。
彼は親からも学校からも礼儀を教育された事のない、かなり無礼な人間であったようではありますが。

ところが戦後の混乱期を大人として生きた人にとっては日本は連合諸国による占領期は米国の植民地としての印象が強いのではないでしょうか?
しかしもしそうなら、事実は明らかに違います。
終戦、敗戦、GHQ、サンフランシスコ条約などなどが概念としてしか理解できない私には、「日本の独立」と言う言葉に強い違和感を感じます。

そういう事がサンフランシスコ条約11条についての不可解な解釈や、シナ、朝鮮からの因縁付けに対する間違った対応に繋がっているのではないでしょうか。

従軍慰安婦については否定する日本人が多数いるのですから、非難する側が証拠を出して証明しなければなりません。
ところが現実は、日本人が悪事を働かなかった事を証明しようとする「保守」ばかりが目立ちます。
挙証責任が逆転しているのです。それも日本人の「保守」の大半がそうなんですから、呆れます。

韓国が捏造歴史によってアメリカで日本に汚名を着せようとしているのですから、日本側から証明を求めるべきなのに、アメリカに対して取り下げるようにと言う嘆願だけのようです。
これだと日本側の主張は負け犬的。韓国とアメリカに対し、名誉毀損で訴えるという発想は無いのでしょうか。残念です。



         栗原茂男
               【純日本人会】 http://www.junnihon.com/
http://jun-nihonjinkai.blog.eonet.jp/



__________ Information from ESET NOD32 Antivirus, version of virus signature database 7316 (20120720) __________

The message was checked by ESET NOD32 Antivirus.

http://www.eset.com