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 2012/7/6
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■□【1】支那が嫌われる七つの理由(1/2)
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いまから10年前の平成13(2001)年に、拓植大学日本文化研究所客員教授の黄文雄さんが、たいへん貴重な文章を書かれています。今回は、その文をご紹介したいと思います。

支那に関する極めて適切な指摘です。ものすごく勉強になります。できればこの文章は、支那と関わりのある全ての人に読んでいただきたいと思う次第です。

尚、原文で「中国」と表記されている部分は、私の独断で、全て「支那」に置き換えさせていただきました。また「人種差別」は、あえて「人種差蔑」と文字をおきかえさせていただきました。これも信念あってのことです。


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【支那が嫌われる七つの理由】
拓植大学日本文化研究所客員教授黄文雄

隣国同士で非常に友好的な関係を結んでいるという国は案外と少ない。善隣は実はむずかしいのである。

「呉越同舟」という支那故事があるが、これは、善隣を装わなくてはならない悲哀をよく表している。「遠交近攻」とは、善隣のむずかしさから生まれた国家存亡の戦略である。

支那と韓国は嫌日感情が強い。日本に反発し、日本ゆえにあなどろうとする感情は日常的に存在している。

逆に、日本でも、嫌中・嫌韓感情が生まれている。いくら「友好」を強調しても、すればするだけ「善隣」のむずかしさが大きくなる。

実は支那は、日本ばかりでなく、他の近隣諸国からも嫌われている。ベトナム人もインド人、ロシア人、チベット人も嫌中感情が強く、支那国内の回族のようなイスラム教徒は歴史的にはげしい文化摩擦が生じていたので、ほかの国より漢族に対する嫌悪感が強い。

隣国同士の反感は、国同士の利害に関わることばかりに原因があるわけではない。こと支那に関するかぎり、この国の人々に共通している性格に起因することが断然多い。

およそ百年前、宣教師として支那の山東省で三十数年間伝道活動を続け、つぶさに支那社会を見てきたA・H・スミスは不朽の名著『支那人の性格』を著した。私は台湾に居住する支那文壇の最長老で、かつて『醜い支那人』を著して日本人の支那人イメージをー新した柏楊氏に、スミスの分析とくらべて現在の支那人は変わったかどうか、尋ねてみたことがある。

柏楊氏の答えはノーであった。

西欧文明の東漸による近代化の荒波をうけても、支那人の国民性はほとんど不変であった。現在、世界の企業が支那で事業を展開し、海外経験のある支那人も多数いる。

これほど対外的に開放されたにもかかわらず、支那人の保守的傾向はますます強まっているといってよい。支那が嫌われるのは、近隣相嫌うという隣国の原理というよりは、変わらぬ国民性から来ることが多い。本論ではその国民性を徹底的に探ってみたい。

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自分以外は人間ではない
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1.自己中心

「自己中心的であ」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、こういう人間が好かれることはまずない。支那人はまさにジコチューが国民性といってよい。そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。「中国」という自称がその最たる証拠である。

客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。天下(世界)の中心を意味する「支那」は、地理上の中心点ではなく、精神的な中心である。ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。

この精神的な中心意識から生まれたのが、支那文明至上主義である。支那文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという同心円的な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。

支那人は古来、近隣国を蔑視してきた。この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。その優越意識はアパルトヘイト以上である。

その証拠に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は「支那人は人間を人間とも思わない」と、支那人の国民性を批判している。

このような支那人の人種差蔑意識に対抗しようとしたため、日本人は支那人からずいぶんと嫌われてきた。一八九八年の戊戌維新のとき、伊藤博文は維新派の康有為らに政治顧問として北京に招聘されたことがあった。明治維新の成果を清国維新派が評価して、維新の秘訣を徴されたのである。そのとき伊藤はこう忠告している。「まず、外国人を夷狄と呼ばないことだ」。

西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられなかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。

アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。

それでも支那が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。

清末に支那人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に支那人を「半野蛮人」と呼んだ。

イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは支那文明を「半文明Lとみなし、初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。こうなると、支那人とイギリス人のジコチューくらべである。


2.ご都合主義

ジコチューは自分の都合に従って行動する。したがってご都合主義が普遍化されるのである。他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。

政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。

そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出した支那は、七〇年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人はどれほど困惑したことだろうか。

日本にかぎらない。文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、文化大革命そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、支那人の敵として振り落とされていく。支那人のご都合主義についていくのはたいへんなことである。

戦後、日本の世論は「支那人とは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。それは支那政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。

実は、これは原則ではなかった。偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。

ジコチューの支那は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。日本人はまったくこの点を読むことができない。あまりに思いやりのある民族であるため、日本人は相手の意に添うことばかりを考え、ときには迎合することさえある。

ジコチューの支那人と、相手の意に添うことの上手な日本人ならば、これほど理想的な友好カップルはないはずだ。だが、それはあくまで日本人がついていかれるならばの話である。

人治国家の支那では、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。