

















日本の心を伝える会
メールマガジンNo.508
2012/5/31









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■□【1】日本人の魂
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今、日本が「世界に誇れるもの」は、沢山あります。技術力であれ経済力であれ、使う人の立場になって作られている電化製品/日用雑貨品などなど、またスポーツや食材もあります。他にも、普段我々日本人が気づかない沢山の分野/製品があることでしょう。
日本の誇れるものは、有形に限らず無形のものも沢山あります。歌舞伎、浄瑠璃、禅、茶の湯、俳句/和歌/短歌/川柳、武道などの世界もそうです。まだまだ沢山あります。無形文化財や人間国宝もあります。
しかし、それでも日本人は、国の内外を問わず、自信満々で偉そうな振る舞いはしません。
この日本人特有の行動様式に対して、嫉妬して日本/日本人を貶めようとする国々が日本の周辺にあります。
某国は、妬みが極限迄きたせいか、日本発祥の文化まで起源を主張しています。盗人猛々しいとは、このことです。
実は、日本にはさらに誇れるものがあります。神道を基にした日本の日本人の心と魂です。まさに、日本/日本人の「源」と言っていいかもしれません。
これがあるゆえに、日本はドンドンと誇れる有形無形の作品/製品/文化/文明を、誇らしげること無く存続し、さらに創造することが可能なのです。
世界で初めてのイオンエンジンで、想像を絶する長距離を飛行した小惑星探査機「はやぶさ」。満身創痍で帰還する姿に、多くの日本人が声援をし涙を流したことと思います。
単なる測定機器/推進機の固まりに、なぜゆえに涙を流したのでしょうか。「はやぶさ」が最後に地球に送ってくれた故郷地球の画像を見た方は、「はやぶさ」に命があると思い「はやぶさ」が何かを感じているを想像したのではないでしょうか。
それは、日本人が「はやぶさ」を単なる無機体として見ているのではなく、「魂のある生き物」として見ている証拠だからです。この探査に関わった多くの人々が吹き込んだ「魂」をそこに見たからでしょう。
この現象は、西欧人には中々見つけられません。同じような顔形をした朝鮮人や中国人にも見られません。
人知を超えた何かに触れて、日本人は感涙するのです。
物を大切に扱う習慣もあります。「もったいない」精神とも呼ばれます。
長い間使用していた/遊んでいた物に対して、私たちは感謝の気持ちを込めて供養もします。仏教とは関係なく、広い意味で供養が広がっています。
雛人形供養、針供養、鏡供養、印鑑供養もあります。古くなったお守りなども神社仏閣へ持参すれば供養してもらえます。
医学向上のため、動物実験で犠牲になった動物の供養もあります。日蓮上人の化身と言われている「鯛」がうちあげられた時などは、「鯛塚」に埋葬して供養するという習慣が、房州小湊にあります。その他にも、地域社会や個人/家庭で行う供養もあります。
万物には命があり、霊性があるとする神道の考え方が、根本的に日本人の遺伝子の中に刻み込まれているからこそ、感謝の気持ちを込めて供養する心が自然と湧いてくるのではないでしょうか。
先頃大ヒットした「トイレの神様」、『トイレに神様がおられる』このような発想が出来、それをよく理解出来るのは日本人だけかもしれません。日本人が世界一の風呂好き/きれい好きなのは、水に関わりのある神道の「禊」の文化があるからでしょう。
戦後、日本の敗戦処理にあたったマッカーサーは、数々の日本の伝統を潰そうとしました。白人に二度と立ち向かわせないために、日本の価値観を歴史を信仰心を伝統を教育を叩き潰し、日本人を抹殺とはいわないまでも、骨抜きにしようとしたのです。
これは、実行に移されました。図書館や書店にあった書籍の大量処分は一例です。今では、核家族の美名の下に、家族制度も破壊されてきています。
一方で、彼は「軍服の宣教師」と言われるほど、日本の国をキリスト教化しようと考えていました。事実、GHQで「神道指令」を主導した民間情報教育局で調査にあたったW・P・ウッダードらは、
「国家神道は世界の平和に対する脅威の源泉である」と厳しく弾圧/廃絶することを企画したのです。
幸い廃絶は免れたものの、神社神道として生き残った戦後、日本人はGHQから言われるままに神道を「古くて悪いもの」と考え始めてしまいました。
ゆえに、次第に神職たちの話に聞く耳を持たなくなった日本人が多くなったのです。
戦後、神道が「旧悪」として否定された結果、いまだに神社神道を誹謗中傷し、神社の社殿に放火して回るような日本人自身(某国人による日本精神の破壊活動もあるはずです)の偏見と無理解ぶりです。
自宅の箪笥など大型廃物を神社に持ち込み、「燃やしてくれ」「捨ててくれ」と依頼して来る年配の男性。境内にペットの散歩がてらに糞をさせて片付けない中年夫婦。『木の枝が目障りだ』『祭りの音がうるさい』というマンションの若い住人。
本来なら包むべき御初穂料をむき出しで渡し『お釣りをくれ』という中年男性。
こういう日本人が結果として現れています。さらに、宗教団体から『日本の神社を壊すべき』と教えられ、神社に放火する者。
氏子の自宅と神社の境界線のことでトラブルとなり、猟銃で神社に向けて発砲する者。
このような話を、マスゴミはまず報道しません。
「団塊の世代」という特定の世代が、神社をことさら蔑視し、年代が増す程に立ち振る舞いが悪くなる傾向が出ているのです。
有史以来、「神聖な場所」とされてきた神社は、「私」よりも「公」の精神が優先される場所でした。
戦後の日本が是としてきた「個人主義」は、明らかに国や公の重要性よりも、自分個人を優先し、私利私欲に走る人間を生み育ててきたといえます。
地域社会の公共性などは、なんとも考えなくなっているのでしょう。日本人同士をいがみ合わせて連帯感をなくさせ、破壊することが白人社会の目的でした。今では、支那もこれに加わっています。
これは巧妙に行なわれており、日本人同士が気がつかないところで、日本人の連帯感を失わせることに徐云に成功してきています。
少なくなってきましたが、「鎮守の森」があります。日本人は、自然の恵みや「鎮守の森」から勇気や元気さ清純さといった、目には見えない価値観をもらってきました。
宅地造成や道路開設などで、鎮守の森が破壊されてきています。国土開発と自然環境破壊は裏表の関係にあります。
鎮守の森はなぜ大切なのか。神道は、地上の生き物すべてと連帯し、それぞれが自然の生態系と生命連鎖の中で生きているという考え方があり、その自然に棲む神々を大切に扱う心があります。
日本の国土の約70%は森林と言われながら、戦後、実は国の森林政策で大失敗を犯して来ました。日本の林野庁は、森の生態系を育む広葉樹のブナ、ナラ、カシなどを切り倒し、生産価値の高いとされたスギなどを集中的に植えてしまいました。
この政策はドイツにならったものとされていますが、大事な水源涵養林としての保水力がなく、経済的にも大きな赤字体質を生じてしまったのです。
近年では、「スギ花粉症」という大きな社会問題も引き起こしています。国営林業の裏で進行してきた自然界における生態系の破壊の代表例でしょうか。
現代の日本人は、日本の豊かな自然を「神」でなく「資産」や「物」として捉えてしまったのです。
八百万の神々が力を合わせて協力しながら生き、自然を大切にする。人も同じ様に自然の営みを大事にし、その自然の神々に自ら「生かされる」という発想があるのです。
神道は、「共存共栄」の理想をきわめて重視しています。日本の歴史上、常に日本人の伝統的な精神性を守って来たのは神職です。
神職はいつの時代でも「愛国者」といえる存在といってもいいのかもしれません。