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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年5月28日(月曜日)
通巻第3663号
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米国情報筋がマークした劉雲山が政治局常務委員入りの可能性高まる
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最新の北京筋情報では北戴河会議は七月下旬に招集され、政治局の次期常任委員の残り「五人」を選ぶ段取りという。「七名」ではなく、「五名」。つまり二人減員される見通しが強まったという。
北戴河会議は共産党の長老、大幹部が「中国の軽井沢」と呼ばれる避暑地に一同に会し、年次方針、とくに党の基本方針と人事を決める。
党人事は八月には内定し、十月に予定される第十八回党大会までに調整が進む。失脚決定的といわれた周永康(紀律・政法担当)が生き残ったことで、大規模な人事刷新は期待薄となり、かろうじて常任委委員会入りするのは劉雲山となったらしい。
劉雲山は宣伝部担当ポストを李長春から受け継ぐことになるので、上海派と目されていたが「博訊新聞網」に拠れば、劉は「団派」、それも胡錦涛直系という。
劉雲山は1947年生まれ。内蒙古省集寧師範学校卒業、辺境へ自ら志願して教育にあたり、やがて宣伝の能力が認められて新華社の記者となった。同時に共青団で活躍をはじめ、内蒙古自治区の共青団副書記に抜擢された。38歳で中央委員候補となり、宣伝部門での能力を発揮し始める。
遅れて1992年に通信教育で党学校を卒業し、2002年から丁関根のあとを襲って、党中央宣伝部長、ボスは李長春である。第十六、十七大会で政治局員。
胡錦涛に見いだされ、王洋、李克強、李源潮と並んで共青団四天王の一角にジャンプした。基本的に党の宣伝担当は思想的に保守路線。過去に宣伝担当から政治局常務委員になった例は珍しく、胡耀邦時代の朱厚沢、江沢民時代の李長春のふたりくらいしかいない。
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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「吉田ドクトリン」なる原則は戦後政治に存在しなかった
保守は保守するべき価値を「日本」から「戦後レジーム」に転換という窯変
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遠藤浩一『戦後政治史論』(頸草書房)
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副題が「窯変する保守政治 1945-1952」とある。吉田茂時代が中軸、吉田政治とは何であったのか、かの軽武装・経済市場主義という、一種卑屈な日本の政治はいかなる害悪を戦後日本にもたらしたか。
押しつけ憲法を擁護し、国家の伝統を否定する政治に転落した元凶が吉田政治である。
そもそも「吉田ドクトリン」なる、戦後日本の政治空間に存在しなかった原則が、近年の政治学で屡々真理のように用いられているが、その根源に遡及するところから本書の論考が始まる。
それにしても副題が冴える。「窯変」とは。
陶磁器を焼くときに窯の火加減、上薬の調合具体で、まったく予期しなかった陶磁器の色合いがでてくる。予想以上の効果があったり、まるで作者が意図したデザインとは異なる模様に変化していたりする。
あの窯変が戦後の日本の政治に起きていたのだ。
すなわち保守政治が、保守するべき対象が祖国「日本」ではなく、やすっぽい「戦後レジーム」とすりかわった。であるなら愛国心もかわり、歴史教科書からも憂国の論理は喪われる。
その安逸な戦後レジームの克服を叫んだ安部晋三は朝日新聞ばかりか、保守の内側から裏切られて下野した。したがって、いまの保守は保守とは言えない。
吉田茂を高く評価したのは高坂正堯だった。
高坂は「『戦後をつくった政治家』だと言った。『復興のための便宜的措置であった『半独立軽武装路線』を『戦後』の中核的テーゼとして固定化してしまった』と本書の著者である遠藤浩一は総括する。
吉田ドクトリンを命名したのは西原正だった。
それが「一般的に広まったのは、1980年代前半に永井陽之助が、当時の中曽根政権が推進していた防衛力整備を批判する文脈で取り上げて以降」のこと、しかし永井は「政治的キャッチ不レースとして、これを利用した」だけである。吉田自身は吉田ドクトリンなるものを提唱してはいない。
つまり窯編の途中経過とは、「吉田が主導した多数講和によって我が国は自由社会の一員として国際社会に復帰し、東西冷戦の恩恵を最大限に享受するかたちで高度経済成長を達成した。しかしその一方で、憲法、国防に関する国会内外の論議および政策形成は混迷をきわめた。欧州において冷戦が終結し、東アジアにおいてはしぶとく、より歪んだ格好でそれが残存する今日の国際環境のもと、我が国が当惑し迷走している基本的要因は、この『吉田ドクトリン』による呪縛にある」
とまとめる。
かつて永井陽之助は吉田ドクトリンをささえたのは「保守本流の経済合理主義と大蔵省、財界主流、とくに銀行、金融界の均衡予算優先主義であり、それを背後で支えていたのが、社会党はじめ野党諸勢力、そしてなによりも反軍、平和主義だった」と分析したが、この政官財界そして野党合作という指摘を援用して、遠藤教授は次のように本質に横たわるものを喝破する。
「平和主義あるいは進歩主義への共感だったということであり、保守系現実主義の立場を標榜した永井が『吉田ドクトリン』を擁護したようとしたとき、実は同時に戦後民主主義や平和主義への恭順を表明していた」。
つまり吉田ドクトリンなる曖昧模糊とした政治幻影は「吉田個人の思想というよりも、戦後日本を支配してきた教義である」と結語する。
日本は珍妙奇天烈な呪縛にいまもとりつかれ、戦後レジームという共通の利益のために愛国者を葬って売国者を培い、米中という帝国に跪いているのである。
一行一行をかみしめるように熟読するとますます味が濃くなる労作である。
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読者の声 どくしゃのこえ 読者之声 パート?
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(読者の声1)特許の出願件数が日本をぬいて中国がトップになったという衝撃的なニュースがありました。技術大国日本が、まさか技術を盗むばかりの中国に追いつかれ、追い抜かれるなんて。宮崎先生は『日米先端特許戦争』(ダイヤモンド社)を1983年頃、かかれて、いち早く特許技術戦争に警鐘を鳴らされた。今回の中国の特許大躍進に関してどう考えておられますか? (HK生、千代田区)
(宮崎正弘のコメント)出願件数と特許成立件数を間違えていませんか。
日本は特許を出願すると同時に審査請求する方式が主流で、出願の技法もベテラン、成立に自信を持っているのです。つまり精密に厳選したものを出願しているので、効率が良い。
かたや中国はダボハゼ型。
