■6.イネのDNA分析で実証された大陸からの直接伝来ルート
もう一つ、稲がどのように日本列島に伝わったかについても、先に述べたように、二つの教科書の記述は微妙な違いがある。
東書:大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって
育鵬:大陸や朝鮮半島から
総合地球環境学研究所教授・佐藤洋一郎氏は、日本の各所の遺跡から出土したイネの遺伝子を調べたところ、日本各地に点在するRM1-b遺伝子が、中国大陸には90品種中61品種で見つかっているのに、朝鮮半島での55品種では全く存在していない、という事実を発見した。[5]
これは、すなわち育鵬の記述するように、中国大陸から朝鮮半島を経由せずに、直接、日本列島にもたらされたルートもあったことを示唆する事実である。
紀元前6000年から5000年頃と推定される中国長江流域の河姆渡(かぼと)遺跡では、大量の稲モミなど稲作の痕跡が見つかっている。[c]で紹介したように、この長江文明の高床式の倉や太陽信仰、鳥信仰は、日本古代とうり二つである。
紀元前2200年頃から気候の寒冷化・乾燥化が起こり、黄河流域の漢民族が南下して、敗れた長江文明の民の一部が海に逃れ、日本列島に漂着したという説がある。DNA分析が示唆する、イネの大陸から日本列島への直接伝来ルートは、この説によく合致する。
■7.「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」?
いずれにせよ、こうした最近の考古学の進展から見て、東書のように、稲作が「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」もたらされたと断言することには、違和感がある。
「おもに」と書いてあるから、他にもルートがあったことは分かるはず、と著者は抗弁するかもしれないが、他のルートをまるで示されていない。
山東半島から朝鮮半島南部を経由するルートが最有力だったとしても、それは経由しただけの話で、しかもその「渡来人」とは一説にあるように、中国の動乱を逃れた難民であったかも知れない。
わざわざ「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」などと、さも文明人が日本列島に先進文明を持ち込んだ、というイメージを与える必要は無い。
育鵬のように、「大陸や朝鮮半島から」として、ルートのいくつかを地図で示す、というのが学問的な表現である。
東書の縄文時代の記述ぶりには、「歴史教科書読み比べシリーズ」の前号で、次のように批判した。[a]
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せいぜい3600年前から2千年前の中国文明を記述した後で、いきなり1万年前の日本列島の様子を、しかも原始生活の想像図で描く、という構成では、中国では文字を発明したり、儒学を興したりしていた時代に、日本列島では毛皮を着た原始生活をしていた、という誤解を中学生たちに与えかねない。
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「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」というごく短い一節にも、疑り深い弊誌なぞは「文明の遅れた日本は中国や朝鮮から先進文明を学んだ」というステレオタイプの歴史観を嗅ぎつけてしまうのである。
■8.「ずいぶんと視界が狭く、ふところが浅く、長い見通しにも欠けた理解」
いずれにせよ、東書の「紀元前4世紀ごろ、大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって、稲作が九州北部に伝えられ」という記述は、時期にしても、ルートにしても、近年の考古学進展の成果をまったく無視した、現在では通用しない時代像なのである。
近年のさまざまな研究成果を紹介した後で、『列島創世記』は、こう結論づけている。
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以上のように概観してみると、「朝鮮半島からの渡来者が北部九州に水稲農作の文化を伝え、さらにそれが西日本から東日本へと広がった」という弥生時代の開始像は、それ自体は事実の/