読者の声 どくしゃのこえ READER‘S OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)初歩的な質問ですが、王立軍は成都の米国領事館へ政治亡命をしようと、一旦は領事館建物内に入ったわけですが、丸一日後に館外へ出されてしまい、そこを中国当局に捕まり北京へ連行されてしまうわけですが、どうして米国は王立軍の政治亡命を認めなかったのでしょうか。国家機密の内容が大した内容ではないため匿うには小物すぎたのか、あるいは当時、習近平が米国訪問中で、厄介なことに巻き込まれては米中間の微妙な関係に影響を与えると考えたのか、はたまた、領事館を武装警察(解放軍も)が取り囲んで、威嚇されたために館外へ追い出したのか?その全部が理由なのか?どうにもわかりません。貴誌にはこうあります。「王立軍は四川省成都の裁判所で切り離して扱われ、6月に開廷。王には「国家反逆罪」が適用される。死刑か、無期懲役の可能性が高いと言われるのも国家機密を米国領事館に持ち出したからだ」
(引用止め)
死刑になる可能性もあることぐらいは米国は分っていて、それでも館外へ出したということは、何か裏取引をしたのでしょうか。どうにもよくわかりません。解説していただけたら、霧が晴れるのですが。よろしくお願いします。(MN生、蘇州)
(宮崎正弘のコメント)まず「米国の亡命者保護ガイドライン」は下記の通りです。
a.. 人種、宗教、国籍、特定の社会グループへの帰属、政治的見解を理由に、迫害を受けた者、もしくは迫害を受ける恐れのある者は、亡命者保護を求めることができる
b.. 亡命者保護は、米国内か通関港に入った者にのみ与えることができる
c.. 申請者が他者への迫害を支援した場合、非政治的犯罪を行った場合、米国内で重罪による有罪判決を受けた場合、受け入れを拒否することができる
d.. 申請者が迫害や身体的危害を受ける危険に瀕している場合、米国の在外公館で一時的保護を受けることができる
e.. 申請者が単に米国への移住や現地の法律から逃れることを望んでいる場合、申請者をかくまうことにより公館の安全確保が危うくなる場合、国務省からの指示があった場合は、一時的保護を拒否することができる(出典:米国土安全保障省)
さて王立軍亡命未遂の経過ですが、中国の中原におられるとかえって情報がないのかもしれませんね。先日、上海で中国人の知人に「薄煕来事件どうなっている?」と聞いたら「こちらは『重大な紀律違反で職務停止』というニュースしかありません。逆に教えて下さい」と言われました。ご質問のこと、以下の通りです。過去のメルマガならびに拙著から抜粋しますと、「一週間後に習近平が訪米する政治日程だった。ウォールストリート・ジャーナルは「習近平の訪米直前に政治スタイルのまったく異なる太子党の薄煕来がポピュリズム重視の新しい政治スタイルで重慶市民の圧倒的支持をえていることに何らかの関係がある」とやや善人的な分析を展開した(2月9日)。王立軍は米国領事館に三十六時間を過ごし、領事館員と黄市長に説得されて領事館のそとへ「自発的」にでた。身柄は重慶公安局ではなく、北京から派遣された中央紀律委員会のGメンらに引き渡され、そのまま北京へ連行された。問題は誰が王立軍が米国領事館へ「相談にいった」ことを北京中枢に通報したのか。米国大使館が北京の外交部へ連絡したのが最初で、これが外交部から権力中枢、常務委員会法紀委員会へとリレーで連絡され、ついで九人の常務委員秘書へそれぞれ通知された。中央政治局の常務委員会政法関係の責任者は周永康(江沢民派)であり、しかも周は薄と大の仲良し、政治同盟を組んでいた。周は胡錦涛ではなくボスの江沢民に伝えた。薄煕来は黄奇帆(重慶市長)に連絡を取って成都の米国領事館へ警備を急派するよう要請し、自らも代理人を急遽、成都へおくりこんだ。この時点で薄と右腕の王立軍とはすでに対立関係に陥っていた事実がようやく明瞭となる。米国は領事では決定ができず(しかも成都領事は当日不在だった)、北京のゲイリー・ロック大使から国務省へ繋がり、それはホワイトハ//
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(読者の声1)初歩的な質問ですが、王立軍は成都の米国領事館へ政治亡命をしようと、一旦は領事館建物内に入ったわけですが、丸一日後に館外へ出されてしまい、そこを中国当局に捕まり北京へ連行されてしまうわけですが、どうして米国は王立軍の政治亡命を認めなかったのでしょうか。国家機密の内容が大した内容ではないため匿うには小物すぎたのか、あるいは当時、習近平が米国訪問中で、厄介なことに巻き込まれては米中間の微妙な関係に影響を与えると考えたのか、はたまた、領事館を武装警察(解放軍も)が取り囲んで、威嚇されたために館外へ追い出したのか?その全部が理由なのか?どうにもわかりません。貴誌にはこうあります。「王立軍は四川省成都の裁判所で切り離して扱われ、6月に開廷。王には「国家反逆罪」が適用される。死刑か、無期懲役の可能性が高いと言われるのも国家機密を米国領事館に持ち出したからだ」
(引用止め)
死刑になる可能性もあることぐらいは米国は分っていて、それでも館外へ出したということは、何か裏取引をしたのでしょうか。どうにもよくわかりません。解説していただけたら、霧が晴れるのですが。よろしくお願いします。(MN生、蘇州)
(宮崎正弘のコメント)まず「米国の亡命者保護ガイドライン」は下記の通りです。
a.. 人種、宗教、国籍、特定の社会グループへの帰属、政治的見解を理由に、迫害を受けた者、もしくは迫害を受ける恐れのある者は、亡命者保護を求めることができる
b.. 亡命者保護は、米国内か通関港に入った者にのみ与えることができる
c.. 申請者が他者への迫害を支援した場合、非政治的犯罪を行った場合、米国内で重罪による有罪判決を受けた場合、受け入れを拒否することができる
d.. 申請者が迫害や身体的危害を受ける危険に瀕している場合、米国の在外公館で一時的保護を受けることができる
e.. 申請者が単に米国への移住や現地の法律から逃れることを望んでいる場合、申請者をかくまうことにより公館の安全確保が危うくなる場合、国務省からの指示があった場合は、一時的保護を拒否することができる(出典:米国土安全保障省)
さて王立軍亡命未遂の経過ですが、中国の中原におられるとかえって情報がないのかもしれませんね。先日、上海で中国人の知人に「薄煕来事件どうなっている?」と聞いたら「こちらは『重大な紀律違反で職務停止』というニュースしかありません。逆に教えて下さい」と言われました。ご質問のこと、以下の通りです。過去のメルマガならびに拙著から抜粋しますと、「一週間後に習近平が訪米する政治日程だった。ウォールストリート・ジャーナルは「習近平の訪米直前に政治スタイルのまったく異なる太子党の薄煕来がポピュリズム重視の新しい政治スタイルで重慶市民の圧倒的支持をえていることに何らかの関係がある」とやや善人的な分析を展開した(2月9日)。王立軍は米国領事館に三十六時間を過ごし、領事館員と黄市長に説得されて領事館のそとへ「自発的」にでた。身柄は重慶公安局ではなく、北京から派遣された中央紀律委員会のGメンらに引き渡され、そのまま北京へ連行された。問題は誰が王立軍が米国領事館へ「相談にいった」ことを北京中枢に通報したのか。米国大使館が北京の外交部へ連絡したのが最初で、これが外交部から権力中枢、常務委員会法紀委員会へとリレーで連絡され、ついで九人の常務委員秘書へそれぞれ通知された。中央政治局の常務委員会政法関係の責任者は周永康(江沢民派)であり、しかも周は薄と大の仲良し、政治同盟を組んでいた。周は胡錦涛ではなくボスの江沢民に伝えた。薄煕来は黄奇帆(重慶市長)に連絡を取って成都の米国領事館へ警備を急派するよう要請し、自らも代理人を急遽、成都へおくりこんだ。この時点で薄と右腕の王立軍とはすでに対立関係に陥っていた事実がようやく明瞭となる。米国は領事では決定ができず(しかも成都領事は当日不在だった)、北京のゲイリー・ロック大使から国務省へ繋がり、それはホワイトハ//