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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成24(2012)年5月14日(月曜日)
         通巻第3646号
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 ダライラマ法王、毒殺されていたかも知れないと英紙に語る
  中共に訓練されたチベット女性がエージェントとなっていた
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 「テンプルトン賞」受賞式のため、14日にロンドンを訪問するダライラマ法王は、『サンディ・テレグラフ』(5月13日付け)との独占インタビューのなかで、「わたしは毒殺されていた可能性がある」と衝撃の内容を語った。

 昨年、或るチベット女性が近づいてきたが彼女の髪毛、衣装のなかに毒が含まれていた。この女性はチベット人だが、或る事情により中共によって訓練されたエージェントであることがわかった、という。
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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 大東亜戦争は十五世紀のマゼラン、種子島鉄砲伝来から伏線があった
  侵略と搾取を繰り返し、暴虐の限りをつくした英米の侵略史をたどる




柴田賢一『米英のアジア太平洋侵略史 年表 1521-1939』(国書刊行会)
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 先々週、雲南省の南西部を評者(宮崎)は旅した。同行は高山正之、樋泉克夫、北村良和氏ら合計18名。目的は英霊の慰霊と現状の取材である。
 大東亜戦争中、激戦地だった雲南省の亡市、龍稜、拉孟、騰越を歩いて、ミャンマー国境の村々も二ケ所みた。すっかり観光地化して翡翠の土産屋はあるが、各地の戦跡は風化していた。日本軍はこの地でおよそ十八万余が祖国のために尊い生命を捧げた。されど日本人墓地はない。龍稜、拉孟の激戦をたたかって奇跡的に生き残ったAさんは89歳。娘さんとお孫さんと帯同して、参加されたが、メンバーの中で一番元気。小高い台地や激戦地の跡をすいすいと歩いて案内してくれた。拉孟ではにわかに豪雨となって寒さに襲われた。英霊たちが「来るのが遅いぞ」と怒っているかのようだった。
 「陸の硫黄島」と言われる雲南戦線は、古山高麗雄の戦争三部作以外、殆ど記録がない。驚くべき事である。インパールは多くが語られた。タイの白骨街道も、最近知られるようになった。しかし湖南省長沙から南西部での日本軍の戦い、悲惨、玉砕(渋江作戦)について戦後の戦史から「欠落」したかのように雲南戦線に関しても空白のページがある。
 戦跡を歩いたあとの反省会で、同行の高山正之氏がつくづくと言ったのだ。
 「この戦争はアメリカと日本の戦いであり、フライング・タイガーが制空権を握って日本兵を殺戮した。シナの兵隊は『アメリカの傭兵』でしかなく、あれは最初から最後まで日米戦争の文脈のなかでの戦闘だった」。
 そうなのである。英米露仏中が「連合国」だなどとひとくちに言っても、中国各地の戦争は、たしかに日本は国民党と戦ったが、背後には最初はロシア、南アジアではフランス、オランダ、英国が背後にあり、そして真珠湾以後はアメリカが空軍力にものをいわせての「援蒋ルート」を構築し、国民党の数百倍、数千倍の火力と空軍で日本に挑んだのだ。ちなみにこの間、毛沢東の山岳ゲリアは日本とは一度も戦火を交えず延安の洞窟に逼塞していただけである。

さて、本書である。
アジア、とりわけシナ大陸への野心を淡々と研いでいたアメリカはフランクリン・ルーズベルト大統領によって、日本との衝突を周到に用意していた。真珠湾は日本をおびき寄せるために、意図的に海軍基地をサンディエゴから移設した、格好の餌である。昭和17年にアジアの前線を歩いた海軍報道班の柴田賢一は、世界の歴史の急変ぶりを刻刻と国民につたえた。英米が十六世紀からすでに虎視眈々とアジアを侵略しようとしており、事実、インド、インドネシア、ラオス、ベトナムを侵略して搾取してきた。最終目標は独立自尊、武士道の生きる日本だったのだ。
 『年表』とはいうが、本書は歴史の出来事を無機質に並べたのではなく、海外情報を精度高く蒐集し、歴史観をもって分析し、必要文献を翻訳し、系統だって歴史物語風に仕立て直した工夫がされており、異常な時代の歴史の記録として読める。
 1521年、マゼランがフィリピンに漂着した。1543年、ポルトガルが種子島に漂着し鉄砲をつたえた。その後、宣教師らがやってきた。南蛮文化、基督教の普及の背後に侵略の意図があると秀吉はにらみ、朝鮮半島へ先制攻撃的予防戦争に打って出た。それからの長い歴史は日本の敗戦まで続き、そして本書はGHQの命令で禁書処分とされた。
爾後、67年の長い眠りから覚めて、ここに復刊された。
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 750回】          
 ――「中国でインド洋にいちばん近い都市」へ、ようこそ・・・


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フライング・タイガー司令部跡は「飛虎楼 主題餐庁 FLYNG TIGERS RESTAURANT」と名前を変え、洒落た中華レストランに大変身し、内部にはフライング・タイガー縁の品々や生みの親でもあるクレア・L・シェンノートの写真などが飾られていた。

数年前、湖南省西端の?江に残るフライング・タイガー基地跡を尋ねた際にも感じたことだが、日中戦争とはいうものの実態は日米戦争であり、であればこそ日本は一時期、太平洋と中国大陸の二正面で米軍と戦っていたことになる。

日米戦争は太平洋だけで戦われたわけではないことを、殊に中国の内陸部から西南地方にかけて点在する戦跡を歩くと痛感する。

同時に、こういった戦跡を北京政府が愛国教育基地と定め、愛国教育に励めば励むほど、共産党の日頃の自画自賛とは裏腹に、日本と戦ったのは米軍の全面支援を受けた国民党軍だということが明らかになってしまう。

少なくとも中国の西南戦線ではそうだ。そこで共産党は中華民族主義という“印籠”を持ちだし、これを振りかざすことで、国民党の貢献を限りなく薄め、相対的に抗日戦争における共産党色を強めようという躍起になっている。

さらにいうなら日本との戦いにおける米軍の貢献をさりげなく押し出すことで、巧まずに中米友好を打ち出そうという魂胆が見え隠れする。
!)江でもそうだったが、西南中国の各地に点在する日中戦争の戦跡が中米友好のシンボルとなっていることの底意は、現在の日・米・中関係を考える時、決して小さくはないことを日本人は知っておくべきだろう。

それにしても「飛虎楼 主題餐庁」の味はサラッとしていて、そのうえ洒落た盛り付け。これまで食べたどの雲南料理より旨かった。やはり経済統計など不要。手元不如意なら、誰も贅沢はしない。店内の盛り上がりは、一般市民の潤う懐具合を如実に物語っていた。

思い起こせばバンコクに住んでいた頃、時折、タイ雲南会館の楊主席の豪邸に遊びいって京劇談義に花を咲かせ、夫人手作りの雲南料理を数多くご馳走になった。楊さんは「ヤツの雲南料理の腕は超一流で味は絶品」と豪語していたが、あれは油濃く、醤油の味が強く、強い酒で流し込みでもしない限り、食えたものではなかった。ついでにいうなら、それは今から20年ほど前の90年前後の数年間のことだったが、彼はバンコク、昆明、香港、台北の4ヶ所に家庭を構えていた。つまり夫人が4人で子女は多数。