≪台湾歌壇の重鎮、台湾歌壇の事務局長としてここ数年来歌壇を支えてきた黄教子(本名三宅教子)さんが歌集を出版するに当り序文を依頼された。
二つ返事で引き受けたが、さて歌歴の先輩であり、和歌を愛する典型的な家庭に育てられ、幼少の頃には朝、明治天皇御製を朗詠した後に朝食に入る、且つ平成十一年の「宮中歌会始」の御題「時」に詠進され、入選(十人)こそ果たせなかったが、佳作十五人の一人に選ばれた方の歌集の序文をどうしたものかと、約一ヶ月迷い乍らやっと筆を取り上げた。因みに三宅さんの詠進された作品は、楽しかる集ひの時の疾く過ぎてなべては夢のごときたそがれである。
三宅さんから送ってきた歌集の草稿「光を恋ひて」の詠草を読むほどに「流石!」と感嘆するばかりである。年代毎に作品をまとめているので、その時代の事を思い浮べ乍ら読んで行くと、人を愛し、自然を愛し、美を愛し、祖国日本を愛し、夫君及び子供達の祖国台湾を愛し、そして光を恋しながら調べの美しい作品が続いている。
あえて取り上げなくても、読者諸氏がこの珠玉をちりばめたような作品を吟味鑑賞されたほうが三宅さんの作品のよさが更に身に沁みるであろう。作品の中で、特に私の心を打った一首を書き添えて序文と致す。
わが胸を打ちてしめらふ春の雨せつなきほどに桜を見たし
台湾歌壇代表 蔡焜燦≫
蔡代表の序文は実に簡潔で力強い文です! 目次を見ると、三宅さんの作品は年代別に紹介されていて、1977年から2012年までの35年にわたる歳月の「思い」がすべて短歌になって現されており、賛嘆と羨慕の至りです。一ページずつゆっくり読んでいくのがもどかしくて、いきなり歌集のあとがきを読んで、表紙の「光を恋ひて」の題字が、「不二歌道会」の福永眞由美先生の揮毫であり、一株の蘭の絵は、台湾で尊敬を集めておられる「奇美実業」の創設者である許文龍先生が描かれたことを知りました! 許文龍先生までこうしてお力添えなさっておられるとは「さすが台湾歌壇の黄教子先輩!」と感じ入りました。本当に晴れがましく嬉しい限りです。
4月22日台湾歌壇の月例歌会のときに、4月の詠草を渡す時に三宅さんの「光を恋ひて」の歌集を会員の皆様にお配りしました。みなさんは三宅さんが歌集を出版されたと知って、賛嘆と喜びの笑顔になられました。
主役が現れると、先輩達は次々と彼女にお祝いの言葉をかけ、一緒に写真をとりました。
食事の時間を利用して、蔡焜燦代表が三宅さんが歌集を上梓されたことを話されました。
4月の詠草でとても感動した歌があります。それは、
○ 台湾と日本の「光」ひた求め台湾に生くるわが妹よ
三宅さんの二番目のお兄さん三宅章文さんの歌で、台湾歌壇の会員でもあります。この方の歌には、日本と台湾を愛する短歌が多いのですが、この歌にはお兄さんが妹を思う心と兄としての喜びが伝わってきます。
三宅さんの今月の詠草は、
○ 一冊の歌集残ればそれでよし後は余生ぞ無為に生きたし
この歌は三人の人が選びました。その中で劉心心先輩は、歌評の時に「これは三宅さんの作品だと思うのですが、ご出版おめでとうございます。でもこんな素晴らしい歌集が一冊だけでいいなんてもったいないです。この後も引き続き第二冊目、第三冊目と発行してくださいよ」とおっしゃって皆さんから拍手を浴びましたが、実に皆さんの心の声だと思いました。
皆さんの期待に対して、三宅さんの考えを聞いてみました。
≪第一歌集を出すのに三十数年かかりました。5、6年前から纏めようと整理し始めたのですが、何かと忙しくて途中でストップしたりして遅れてしまいました。最近しきりに気になり始めて、台湾で生活するようになってからの歌を纏める事で今までの自分を省みたかったことと、日本語世代の先輩方に読んで頂きたいという気持も強くありました。
初めのうちは異郷で心細く、ホームシックになったり、不安な思いで過ごしたりして、私は一人の弱い人間ですから波のまにまに浮き沈みしながら過ごしてきました。でもその時時に短歌があったことで、どれだけ励まされてきたかわかりません。それがなかったら、寂しさや不安におぼれてしまったかもしれませんが、短歌が心の支えになってくれました。
子供達の幼かった頃の歌もあり、やはりその時にしか詠めないものがあるわけで、短歌が残ったことで、その当時の心境が鮮明に蘇ってきます。写真や日記とはまた異なる感慨があり、短歌を続けて来てよかったなと思うのです。難しいことをよむ必要はなく、その時時に心の底から感じた事や感動した事、喜怒哀楽を素直に表現していけばいいのだと思います。
私は平凡な人間ですから、一冊の歌集が残ればそれでいいと思っています。しかも序文を蔡焜燦代表にいただき、表紙の絵を許文龍先生にいただき、題字は私が少女の頃から姉のようにお慕いしている福永眞由美様にいただいたのですから、私にとっては一生涯で一番大切な宝物になりました。これ以上の幸せはありません。これからを「無為」に過ごしたいというのは、これからはできるだけ自然な心で生活したい、自然に添った生き方をしたいと思うのです。その中で短歌が生まれればそれが一番嬉しいです。≫
彼女の話を聞いて、私は短歌の力というものを更に深めたような気がしました。また、三宅さんの歌集のあとがきに書かれている文章を読んで、私は目頭が熱くなりました。
≪祖国を離れて「あなたは日本人ですか?」と問われて、「はい、私は日本人です」と答えているうちに、自分に「日本人です」と言える何があるというだろうかと、それはそれは心細い思いにとらわれてしまいました。(中略) 台湾の日本語世代の方々と一つの時代を共にすることができ、どれだけ多くのことを教えていただいているかを思うと、感謝でいっぱいです。台湾歌壇の皆様と共に短歌を研鑽し合うことのできる環境に生かしていただいていることを神様に感謝しつつ、台湾に日本の伝統的な短歌がこれからも生き続けられるように心より願っております。≫
台湾歌壇の日本語世代の方々にとって、三宅さんは何物にも替え難い人です。歌壇の事務上での様々な出来事をその肩に担っておられ、また先輩達が彼女を頼り大切になさる様子を見て、私は常々、三宅さんはきっと神様が台湾の苦難の時代を嘗め尽くしてきた日本語世代の方々に使わされた人だと思うのです。後輩の私はこのような大和撫子の女性が台湾へ来られて、先輩方の心を和めてくださる事を非常に感謝しています。でも、彼女が台湾へ来られてから、親を思い、祖国を思う短歌を読んでゆくと、何だか心が疼いてくるようで・・・。
愚痴ひとつ言ふにはあらねど母の瞳に湛へをりたり深き寂しさ
別れとは知らではしやぐ幼な子は祖父母に向かひてバイバイと手を振る
永遠の別れにあらず海を隔て遠く住むといふのみのこと
われの身のことは思はず今はただ老いたる父母の嘆きぞ悲しき
笑顔をば忘れず夫に尽くせよと歌を寄せたりたらちぬの母
病みたまふ母を案じて今宵眠れず夜空に澄める星を見つむる
翼あらば飛びてゆきたしこの夜を母の枕辺に添ひてをりたし
母の漬けし梅干し食めばほろほろと涙こみあげふるさと思ほゆ
父母はさびしくあらむと語るごと文書き続く日々のことども
ふるさとの国にやさしき兄等ゐて父母守ることのうれしき
よしやわが子らは異国に育つとも故郷の国語らざらめや
親族の訃を聞きたる日ひつそりと異郷の神に線香を上ぐ
日本家屋改造したる茶坊にて異郷に祖国の詩歌を語る
「光を恋ひて」は年代順に35//
二つ返事で引き受けたが、さて歌歴の先輩であり、和歌を愛する典型的な家庭に育てられ、幼少の頃には朝、明治天皇御製を朗詠した後に朝食に入る、且つ平成十一年の「宮中歌会始」の御題「時」に詠進され、入選(十人)こそ果たせなかったが、佳作十五人の一人に選ばれた方の歌集の序文をどうしたものかと、約一ヶ月迷い乍らやっと筆を取り上げた。因みに三宅さんの詠進された作品は、楽しかる集ひの時の疾く過ぎてなべては夢のごときたそがれである。
三宅さんから送ってきた歌集の草稿「光を恋ひて」の詠草を読むほどに「流石!」と感嘆するばかりである。年代毎に作品をまとめているので、その時代の事を思い浮べ乍ら読んで行くと、人を愛し、自然を愛し、美を愛し、祖国日本を愛し、夫君及び子供達の祖国台湾を愛し、そして光を恋しながら調べの美しい作品が続いている。
あえて取り上げなくても、読者諸氏がこの珠玉をちりばめたような作品を吟味鑑賞されたほうが三宅さんの作品のよさが更に身に沁みるであろう。作品の中で、特に私の心を打った一首を書き添えて序文と致す。
わが胸を打ちてしめらふ春の雨せつなきほどに桜を見たし
台湾歌壇代表 蔡焜燦≫
蔡代表の序文は実に簡潔で力強い文です! 目次を見ると、三宅さんの作品は年代別に紹介されていて、1977年から2012年までの35年にわたる歳月の「思い」がすべて短歌になって現されており、賛嘆と羨慕の至りです。一ページずつゆっくり読んでいくのがもどかしくて、いきなり歌集のあとがきを読んで、表紙の「光を恋ひて」の題字が、「不二歌道会」の福永眞由美先生の揮毫であり、一株の蘭の絵は、台湾で尊敬を集めておられる「奇美実業」の創設者である許文龍先生が描かれたことを知りました! 許文龍先生までこうしてお力添えなさっておられるとは「さすが台湾歌壇の黄教子先輩!」と感じ入りました。本当に晴れがましく嬉しい限りです。
4月22日台湾歌壇の月例歌会のときに、4月の詠草を渡す時に三宅さんの「光を恋ひて」の歌集を会員の皆様にお配りしました。みなさんは三宅さんが歌集を出版されたと知って、賛嘆と喜びの笑顔になられました。
主役が現れると、先輩達は次々と彼女にお祝いの言葉をかけ、一緒に写真をとりました。
食事の時間を利用して、蔡焜燦代表が三宅さんが歌集を上梓されたことを話されました。
4月の詠草でとても感動した歌があります。それは、
○ 台湾と日本の「光」ひた求め台湾に生くるわが妹よ
三宅さんの二番目のお兄さん三宅章文さんの歌で、台湾歌壇の会員でもあります。この方の歌には、日本と台湾を愛する短歌が多いのですが、この歌にはお兄さんが妹を思う心と兄としての喜びが伝わってきます。
三宅さんの今月の詠草は、
○ 一冊の歌集残ればそれでよし後は余生ぞ無為に生きたし
この歌は三人の人が選びました。その中で劉心心先輩は、歌評の時に「これは三宅さんの作品だと思うのですが、ご出版おめでとうございます。でもこんな素晴らしい歌集が一冊だけでいいなんてもったいないです。この後も引き続き第二冊目、第三冊目と発行してくださいよ」とおっしゃって皆さんから拍手を浴びましたが、実に皆さんの心の声だと思いました。
皆さんの期待に対して、三宅さんの考えを聞いてみました。
≪第一歌集を出すのに三十数年かかりました。5、6年前から纏めようと整理し始めたのですが、何かと忙しくて途中でストップしたりして遅れてしまいました。最近しきりに気になり始めて、台湾で生活するようになってからの歌を纏める事で今までの自分を省みたかったことと、日本語世代の先輩方に読んで頂きたいという気持も強くありました。
初めのうちは異郷で心細く、ホームシックになったり、不安な思いで過ごしたりして、私は一人の弱い人間ですから波のまにまに浮き沈みしながら過ごしてきました。でもその時時に短歌があったことで、どれだけ励まされてきたかわかりません。それがなかったら、寂しさや不安におぼれてしまったかもしれませんが、短歌が心の支えになってくれました。
子供達の幼かった頃の歌もあり、やはりその時にしか詠めないものがあるわけで、短歌が残ったことで、その当時の心境が鮮明に蘇ってきます。写真や日記とはまた異なる感慨があり、短歌を続けて来てよかったなと思うのです。難しいことをよむ必要はなく、その時時に心の底から感じた事や感動した事、喜怒哀楽を素直に表現していけばいいのだと思います。
私は平凡な人間ですから、一冊の歌集が残ればそれでいいと思っています。しかも序文を蔡焜燦代表にいただき、表紙の絵を許文龍先生にいただき、題字は私が少女の頃から姉のようにお慕いしている福永眞由美様にいただいたのですから、私にとっては一生涯で一番大切な宝物になりました。これ以上の幸せはありません。これからを「無為」に過ごしたいというのは、これからはできるだけ自然な心で生活したい、自然に添った生き方をしたいと思うのです。その中で短歌が生まれればそれが一番嬉しいです。≫
彼女の話を聞いて、私は短歌の力というものを更に深めたような気がしました。また、三宅さんの歌集のあとがきに書かれている文章を読んで、私は目頭が熱くなりました。
≪祖国を離れて「あなたは日本人ですか?」と問われて、「はい、私は日本人です」と答えているうちに、自分に「日本人です」と言える何があるというだろうかと、それはそれは心細い思いにとらわれてしまいました。(中略) 台湾の日本語世代の方々と一つの時代を共にすることができ、どれだけ多くのことを教えていただいているかを思うと、感謝でいっぱいです。台湾歌壇の皆様と共に短歌を研鑽し合うことのできる環境に生かしていただいていることを神様に感謝しつつ、台湾に日本の伝統的な短歌がこれからも生き続けられるように心より願っております。≫
台湾歌壇の日本語世代の方々にとって、三宅さんは何物にも替え難い人です。歌壇の事務上での様々な出来事をその肩に担っておられ、また先輩達が彼女を頼り大切になさる様子を見て、私は常々、三宅さんはきっと神様が台湾の苦難の時代を嘗め尽くしてきた日本語世代の方々に使わされた人だと思うのです。後輩の私はこのような大和撫子の女性が台湾へ来られて、先輩方の心を和めてくださる事を非常に感謝しています。でも、彼女が台湾へ来られてから、親を思い、祖国を思う短歌を読んでゆくと、何だか心が疼いてくるようで・・・。
愚痴ひとつ言ふにはあらねど母の瞳に湛へをりたり深き寂しさ
別れとは知らではしやぐ幼な子は祖父母に向かひてバイバイと手を振る
永遠の別れにあらず海を隔て遠く住むといふのみのこと
われの身のことは思はず今はただ老いたる父母の嘆きぞ悲しき
笑顔をば忘れず夫に尽くせよと歌を寄せたりたらちぬの母
病みたまふ母を案じて今宵眠れず夜空に澄める星を見つむる
翼あらば飛びてゆきたしこの夜を母の枕辺に添ひてをりたし
母の漬けし梅干し食めばほろほろと涙こみあげふるさと思ほゆ
父母はさびしくあらむと語るごと文書き続く日々のことども
ふるさとの国にやさしき兄等ゐて父母守ることのうれしき
よしやわが子らは異国に育つとも故郷の国語らざらめや
親族の訃を聞きたる日ひつそりと異郷の神に線香を上ぐ
日本家屋改造したる茶坊にて異郷に祖国の詩歌を語る
「光を恋ひて」は年代順に35//